査定のお時間でございます。
日本は3月が年度末だと思うんですが、うちの会社は4月だと思われます。思われます、というのは、4月の第3週末までに溜まった有給取れよ~って言われていたから。それが去年から、繰越できるようになりましたので、年度末の忙しいときに有給消化で人が居ない!ということが無くなりました。ほっ。
年度末なので、査定のお時間もやってまいります。毎年度のゴール設定が、毎年度第2期まで決まらないのも面白いんですけど(もう半年しかないじゃん!ってゴール作ってどうするって。。)、このゴール設定もねーーーー難しいんですよ!もう与えられた仕事やってりゃよくね?みたいになるんです。私とか私とか私とか。そう思わん?
そこでふと振り返ると、私達って他人からの評価をずっと受けてきたな、と。成績表、テスト成績、内申表!仕事先でも多分、上司からの評価とかはあるだろうけど、日本も自己査定ってするのかしら?
ちょっと話がそれるけど、私は料理するより片付けるほうが好きだったり、作り出すより始末するほうが好きだったりします。色々占いとか性格診断とかそういうのやると、火がエネルギーのもとなので、料理とかいいよ!って出てくるんですけど。インスピレーションが沸かないとする気がないんですよね~(母、妻として失格発言とも取られかねない)
でもね、それは本当なのか?と思うわけですよ。
片付けって、出てるから片付けるって理由がある行動じゃないですか(ある意味、言われたことやってりゃいい、と一緒)。
作り出すって、何もないところからやらないといけない行動です(ゴール設定も一緒)。
楽なんだよね!思考的に!!片付け専門って!(やるかやらないかは別問題)
ふと思うと、これって怖いことだな、と。
脳がさぼりまくってるんじゃないかと。すでに存在するものを片付ける、とかね、どこに片付けようか~とかは思っても、領域で言ったらきっとすごく小さいですよ。作り出すことよりもずーっと小さい。
これって、他人評価ばかりされてきた弊害なんじゃないかな?って。
ゴールを決めるって、まず自分が何をしているかを自主的に見て、そこから何が自分ができるかを自主的に観察して、そして今年はこれを成し遂げることにしよう!って自主的に考えて、書き出すじゃないですか。普通。すごい沢山自主的、があるんですけど、私のゴールの書き方ってそうじゃないんですよ。たいてい、ボスが「こういうのはどう~?」って言うから「いいですね~カキカキ」ってなるんで、何書いたか、このシーズンになるまで覚えてないので、先日自己査定に
『ゴールに届きませんでした』
って選んで提出したら、20近く年下のボスに
『こんな査定だしちゃあかん!!!!!やったこと沢山あったでしょ!すごく貢献したでしょ!』みたいに怒られました(笑 英語なのに、↑こんな感じだった。
日本って、素直が美徳みたいなとこあるじゃないですか。
アメリカって、ハッタリばっかですよ!
This is a penくらいの言葉しか、英語以外の言語で言えないやつが、僕、○○語、しゃべれますよ~とか平気で履歴書に書いたりするらしい。私のレベルなら、スペイン語はぺらぺ~ららしいですよ。はるか彼方昔に学士号取っただけっすけど?
そんなこと言ったら私の英語は神レベルって言っちゃってもいいんじゃないですか?ってくらいハッタリで、びっくりですよ(笑
ここでも文化の違いと言うかなんというか。伸るか反るかみたいな生き方をするアメリカ人と、地道に確実に生きていく日本人の違いが見えますよね。でも、すごいな、と思うところは、そのハッタリを本当にしようと頑張るっていうか、努力するんですよね。結果社会ですからね。言ったんだから守れよ、守らないなら、ク・ビ、みたいなところがあります。日本じゃ最初からそんな大風呂敷広げないものね?たいていね?
なので、今日午後にミーティングするんですけどね、多分、全部はやって無くてもこの部分はやったでしょ!とか、はっきり書いてあることはやって無くても、比較的近いことはやったでしょ!って言われて、はい、やりました、って自己査定をすることになるんですよ(笑 なんかそういうのむず痒い。。だってやってないじゃ~んって言いたくなる(もともと白黒つけたい人だから)。
こういうのを考えていてすごく感じたことが、謙遜の美徳という誤解!もーほんと辞めたい。日本脱出してからのほうが長いくせに、ずっと根底にあるこの謙遜ってやつ!!!あーうっざ!
私、アメリカンハッタリ流じゃなくったって、博士号もってますし、プロ専門職やってましたよ。今だって戻れますよ。英語だって、英検やなんやらの得点にはならずとも、まー、そこらのバイリンガルって言うレベルよりはできますよ。今働いてる会社はこの業種では世界1ですよ。超大企業ですよ。これらは事実。
でも、実際『自分』を当てはめてしまうと、博士号もってるけど、もう現場離れて10年になるし、その職種でトップってわけでもなきゃ、論文書いたこともないです。Ph.Dでもないですし。英語だって知らない単語もたくさんあるし、発音だって完璧とは言えないです。未だにRとLは間違うし、母音は雰囲気でわかってるとこあるし、文法はどうだか。。。英検なんて、2級もきっと受からないかもだし、日本に居たらこの会社にはきっと入れてないし。。。だから大したこと無いのよ
になってしまう。
なんで事実に『私』を当てはめると、いきなり謙遜つか、地を這うんだろう?!?!?!
そりゃ自己評価が低いとか自己肯定感が低いって言うよね!言う人多いはずよね!自分でめっちゃ下げてんじゃん!!!!!
で、誰得?って話よ、ほんっとに!
いいじゃんか、事実は事実じゃんか。全然嘘ついてないよ?そこにくっつく付加価値みたいなものが他人が想像してつけたとしてもよ?骨となる事実は事実なのよ。どんなに運が良かったとして、家に恵まれてたとして、能力に恵まれてたとしてよ?それを手に入れるために努力もしたわけよ。好きだから、大変だったーなんて全然思わんけど。だから努力って言ってもさーとか言っちゃうけど、その努力が大変かどうかなんて、私のスケールと他人のスケールは違うわけだから、『すごいねー大変だったねー頑張ったねー、英語喋れてかっこいい!』って言われて、
うん
って言って、誰が損するの?
せめて心のなかで「そうなのよー私頑張ったのよー、かっこいいでしょ~」って言ってあげて、なんか損するの?自己肯定感それでアゲアゲすればいいじゃないの。
そんなことを順番に書いていって、まさに私の思考がこんな感じで変化してるから書いてるんだけど(笑)、こうやって迷走していて思ったのよ。
他人軸で生きている自分って、こんな奥底に根底の思想があったんじゃないか?と。
他人からの評価で生きてきて、他人からどう見えれば自分が突出してないか考えて謙遜し、他人が広げた仕事だろうがゴールだろうが、与えられたものをやることを仕事でいいだろ、と片付けし、他人がしてくれる自己査定を毎年して、あー今年も終わった、で『。』をつけてしまう。
これって文化だとか、民族的なものだとか、そういう子供時代だからなんて色々思ってたし、夫と文化のちがい~みたいな話ししたけどね、そうじゃなくてね、
私、すっごい怠惰だね!怠慢だね!
他の人が私も他人軸で生きてる~とかいうのは知らないよ。興味もない。でも、私の他人軸は、ただの怠惰だって、気づいちゃった!だからゴールも他人が決めたものを、1年かけてやるかもしれないし、やらなかったら、できなかったっけ~で終わらせようとする。←これ多分やり続けたら、次の解雇メンバーに即入るだろうね。だから怒られたんだろうけど。
人に、助かったよ、頑張ったね、役立ったよって言われて、その評価で自分が良い社員かを判断する。そうするとね、誰も失望しないじゃないですか。失敗も無いし。他人評価って危険回避にちょうどいいよね。
そういえばね、私多分、すごい生まれたときからきっと怠惰だよ!怠惰だから、やってくれない~思うようにならない~とか言って、半世紀。。。うっわ。
私の学んだ心理学では、傲慢、怠惰、無知、と出てくるんですけど、傲慢だとは分かっていました。先生にもあなたは女王様気質よねって、会って翌日くらいに言われました(苦笑)。でも、傲慢は悪いばかりじゃないんですよ。傲慢だから、ここまでに自分がなってきたんでしょ?って言われました。
ただ、自分の中の怠惰と無知って、多分気づいてなかった。表層レベルでしか、大人ぶって、そうよね~とか言ってるレベルくらいでしか、分かってなかった。
いや、改めて言う。あれから、10年経ってきっと初めて言う。
私、めっちゃ怠惰です!きっと傲慢以上に怠惰です!!怠惰だから傲慢だった、きっと!
そしてやっとここにたどり着いたという自分の無知さ。なんだよ、勢揃いじゃん。ポーカーだったら一人勝ちくらいに揃ってるじゃん。
私が諦めるのが早いのもきっと怠慢だからだし、キレやすいのも(静かにキレるタイプ)怠慢だからだし、他人軸なのも怠慢だからだし、今のままでいいやーって言えちゃう自分も怠慢。
でも、そうじゃない自分が居た。過去には絶対居た。だって私は上昇志向1000%だったもの。そんな私に夫は惚れてくれたんだもの。
怠慢な私は、それを自覚してそれを所持したままで(無くせないからね。これは誰もが持っているもの)、無知であることを自覚して、謙遜ではなく自分の至らなさを忘れずに、傲慢気質を存分に活かすために、これから進もう。
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