見出し画像

当たり前、の凄さ。

子供の視点。

「親はいつも私が頑張っているのを褒めてくれない」と言ったことのない人を数えたほうがきっと早いくらい、きっと子供のときは言ったでしょう。私も言わなくても沢山思ってました。

子供からしたら褒められないことに、親から「そんなのできて当たり前じゃない」と言われたこと、多くないですか?当たり前なんて簡単に言うな!!って思ったり。あれってなんでしょうね、褒めるとなんか減るわけ?って思いますよね(苦笑 豚もおだてりゃ木に登るんだから、登らせておいてよ!なんて。

そして大人になって一人前に育ったと思われてから、聞く親からの褒め言葉。今更感ってこういう事を言うんだろうな~と思いつつ、まぁ、認めてもらえたってことかな、なんて思ったり。

逆に親が「もっと○○してあげれば」という言葉に、「でもできる精一杯をしたんだと思うよ」なんて言ってみたり。

親の視点。

「もっとできる!」「子供には自分よりもっと成功、成長してほしい!」と思っている親は多く、そのためにできたことよりも、挑戦できることに目を向けてしまい、励ました(つもりだった)り、叱咤(激励を忘れ)することも多かったり。または自分に付随するもの=子供と思っていると、自分の価値が下がらないために、子供に色々強制したり。また逆に自分の価値を上げる(と錯覚する)ようにと、これまた色々強制したり成功を求めたり。



いつまでも褒められたい、褒められなくて辛い、という心はインナーチャイルドの発言だと、いろんなところで言われていると思いますが、こいつがなかなか曲者で、私も折りに触れてなだめてみたり反省してみたり、大人心で説得している間に。。

飽きた(笑 そして最近は、「そうかいそうかい」で放置してた。

だって、親の心子知らず、でも子の心も親知らず。これはどうしようもないんじゃないかなって。だって立場が違って、見えるものが絶対違うんだもの。このあたりの、もうどうしようもないなーって気持ちになってたんです。そうなったら自分の内含する(インナー)チャイルドとアダルト(マインド)も、相容れないわけですよ。そりゃ飽きるわ。

そうやって放置していたのに、ものすごい閃きが昨夜あったんです(が、書き忘れたんで思い出しながら)。


きっかけは友達の親子関係のお話を第三者視点で聞いたあと。やっぱり子供ちゃんが、褒めてくれればいいんだよ!頑張ってるねって寄り添ってくれればいいんだよ!という発言をした、その気持を考えていたとき。


今ある「できて当たり前」を大したことじゃない、との前提をしたのは誰なのか、と思ったのです。

例えば、日本より在米生活のほうが長くなった私にとって、英語でコミュニケーションは、まぁ、ふつうのコトです。でも、そのできて当たり前、の前には、泣く日々もあれば、ノイローゼ気味の日々もあれば、仕事が決まらなくて悩んだり、悔しかったり、沢山ありました。そして、どうしてもネイティブが使うレベルになりたかったので、子どもたちはバイリンガルにはできなかったし、後悔することも犠牲にしたことも、人よりもっともっと頑張ったこともありました。その全部をひっくるめた今が『当たり前』の今。

同じように今できることが、できて当たり前だとして、その前にどんだけ苦しもうが時間がかかろうが努力して自分のものにしたプロセスがあることも『当たり前』

当たり前って、ものすごい当たり前じゃないことの積み重ねで、それすらも(それがなきゃできないことだったんだから)『当たり前の(やって当然の)』努力だったんだな、と。そしてあなたはその努力ができる人(ということすら当たり前)なんであると。

手元にある当たり前って、全然宝くじじゃないんだなって。

そう思ったら、「親は『そんなのできて当たり前』って褒めてくれない」という言葉って、実は「親は『できるまでの当たり前の努力をできるあなたは素晴らしいことすら当たり前』だから褒めてくれない」のかなって思いついたんです。

だってねぇ、ダイヤモンドが素晴らしいからって、ダイヤモンドの素晴らしさを褒めないじゃないですか。その上にカットが素晴らしいとか、デザインが素晴らしいから、褒めるけど。

素晴らしいことが素敵じゃない、のではなく、もうすでに存在すら素晴らしいという前提がある、というか。素晴らしいことが当たり前なら、そこを褒める必要って無いんですよねぇ。だって素晴らしいんだもん。

え、親はそんなふうに思ってない、って?

いやいいじゃん。親の心子知らず、子の心親知らず、なんだからさぁ、結局わからないわけよ。

それならさ、『うちの親は私が最高級の宝だってすでに知ってるから、もうそこを褒めないのね』って勝手に思ってれば。ねぇ?

人生時には図に乗ったほうが勝ち、だと思うわけよ。だって、自分の身についたものは自分だけのもの、自分にのみ本当の価値があるのだもの。

なので、子供を付随物として、自分の価値の上下を心配するような親は、いつまでたっても価値のある『つもり』気分を味わうしかできないので、○○のためにやっている、という考えは早いうちに手放したほうがお得です。努力するのも自分なら手に入れるのも自分。オリンピアンがゴールドを手に入れてどれだけ周りが誇りに思うとも、ゴールドはあなたのもの。あなたがなし得たこと、なんだもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?