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陣中に生きる—14

B 陣中日誌

一、上海北方地区に於ける戦闘準備

昭和十二年十月 四日より
同    同  六日まで


おじいちゃんの手書きの地図

十月 四日 曇

― ウースン港上陸 ―

朝早くから、黄浦江をそ行。
十一時、ウースン(呉淞)港に上陸することになる。
また、馬卸しの船内掛を命ぜられる。
これにはウンザリしていたのに・・・・・。
船倉に入ると蒸されるように暑く、たちこめる臭気はむせ返るばかりである。
それに、蠅の群はまるで煙だ。

正午までに半分をすまし、十三時、完了して上陸する。
いよいよ敵国の土をふんだ。
戦場にの乗りこんだ。
兵隊たちは狂おしく、自分のものを探しまわっていた。


先着部隊の兵隊たちは、疲労の色をハッキリと見せて、たち働いていた。
広漠たる新戦場は、破壊の限りをつくし、悲鳴とも荒廃とも言いようがない。
じつに<戦争は破壊なり>である。
その言葉を思い出さずに、この光景を眺めることはできない。
先着兵たちは、いろいろと体験談を話してくれる。
初陣兵たちはそれを、目を見張って聞いていた。


十六時ごろ、西方に向って出発。
行くこと約四粁、畑の中で露営をすることになる。
東南方は二百米ほどで黄ほ江、西北方は約四粁で第一線であるが、楊柳のこんもりと茂る田んぼで、戦況などまったく分からない。
友軍機が時々飛び去り、頭上をせん回しては飛び去っていく。
今はそれのみが、まことに心強く頼母しい。
銃砲声は、引切りなしにとどろいている。


十月 五日 雨

― 手りゅう弾さく裂 ―

装具をつけたまま、背のうを枕に寝ていた。
と、夜中から雨になりだす。
そこで砲車覆の中に雑魚寝したが、尻が痛くて眠れたものでない。
しかし、呼ばれてもすぐには返事ができないことからすると、どうやら半眠りだったらしい。
中には、高いびきのものもいた。
夜明けごろから、砲声が一段と猛烈さを加える。


七時出発。
八粁ほど行軍。
いたるところで友軍兵士を見たが、ひとりの例外もなく、垢とほこりで真黒である。
自動車が頻繁に通った。
飛行場も二つあって、さかんに発着していた。

とくに目を引いたのは、輜重隊の馬である。
畑につくった馬繋場に、彼らはものうげに立っていた。
それらのすべてに、大きな鞍傷があり、その深さが十糎にも及んでいた。
まったく骨と皮ばかりにやせ衰え、中には、ようやく立っているのもいた。

人家のすべてが破壊しつくされ、黒こげの土壁のみが、わずかに残っているにすぎない。
われわれが、三日ほど滞在するかも知れないということになった王家宅もその例にもれなかった。
もともと小さな部落が、わずかに焼け残っているにすぎない。

それはともかく、問題はその不潔さである。
とても入れたものでない。
大ていのものは、畑の中に露営の準備をしていた。
馬繋場は棉畑である。
高梁や大豆の畑もある。

稲をふみたおして、その上で朝食をした。
秋の昼さがりの太陽が、<われ関せず>とばかり、うらうらと照っている。
秋とは思えぬのどかさであり、まるで天国のようなすばらしさである。

ところがここでも、支那の蠅を見せつけられた。
一歩部屋に入ると、つむじ風に吹き上げられたほこりのような、蠅の大群なのである。
不潔は蠅を生む。
おどろくべき不潔は、おどろくべき蠅を生んだ。
予期しなかったこの大敵に、まず度ぎもを抜かれた。


各分隊ごとに、思い思いの幕舎をはり、やがて幾すじかの炊煙が、しずかに揺れて上りはじめた。
そうした間にも、銃砲声・飛行機の爆音が絶えまもない。
向うの道路には、歩兵・担架隊・砲兵の段列・各種自動車等々の往復で、市街さながら絡えきとしていた。
ところで、十六時にもなっているのに、どうしたことか、まだ昼食にもありつけていないのだ。

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