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Aceの二次元露出について

 TLで以前「Aceは気軽に描いていい分野ではない!」という意見が流れてきた.正確な出典は忘れてしまったものの、元オタクとして、Aceの当事者として、その言葉が妙に引っかかっていた.ただすぐに言語化出来るかと言われたそういうわけでもなかったので、とりあえず温めておいたのだ.なんとなく、まとまりつつあるかなと思ったので特に特別な日というわけではないが、出してみようと思う.
 今回はAceの困難とか、わかってほしいとかそういうことは別に主題としていないので、ここでは割愛するし、そもそもAceってなんぞやってところもそれをやると長くなるので割愛する.

1:私見

 まずここで私見を述べておくが、僕個人としては「別に気軽に描いてもらって構わない」と思ってる.そこに対して消費している!とか、馬鹿にしている!とかは感じたことは今のところない.こういう現実に存在する属性の表現を当事者の専売特許にするのも表現の多様性という観点からは賛同できないし、これは個人的な問題なのであるが、むしろ一般人がどうAceを解釈し、どう表現するかは非常に興味がある.非AceがAceを表現をするにあたり、学習し、取材をする過程を経て何かを思い、それをキャラクター造形やストーリー構築においてアウトプットする、アウトプットの結果を非Aceの読者が読むという形でAceの存在に間接的に触れるという過程にはAceと非Aceの相互理解の可能性を見出してさえいる.
 漫画や映画、小説がきっかけで何かに興味を持ったという人は少なくない.司馬遼太郎や吉川英治、戦国系ゲームがきっかけで歴史が好きになった(専門家になった)という人だって少なくない.歴史や文化に限らず、医療や生物分野であってもそうだ.であるならば、芸術作品の門戸開放性はAceにおいても同様のことが言えるのではないか.故に当事者や支援者がそうあまり口酸っぱく口を出すのもどうなのかとも思えてしまう.

2:ないわけではない懸念

 それでも懸念がないわけではない.Aceが実際に存在して生活をしている以上表現次第ではAceに対しての偏見が発生したり、増強されることで当事者に害をもたらす事は否定が出来ない.
 例えばAceが「治る」と世間一般に確信を持たれると、「治そうとしてくる」人も増えてくる.勿論「治って」界隈から卒業する人もいるので、「治る」こと自体は否定しない.しかし、Aceは異性愛・生殖至上主義の社会においてスティグマ性を帯びた属性であり、出来る限りならないほうが良い属性であり、そして出来る限りウチにはいて欲しくない属性である.そんな社会では善意で「治そう」とする人が出てくるのも無理はないのかもしれない.が、そんな社会において適齢期になったAceー特に女性ーの当事者は「男(女)の良さを知らないだけ」「まだ会ってないだけ」等々言われて当人の主張は透明化される傾向にある.人によっては厨二病扱いを受けたり、嘲笑を受けることで消耗している人もいる.Aceが「治る」かのような表現はこれらを助長する危険性を大いに孕んでおり、そういう表現には敏感にならざるを得ない.
たかが表現、されど表現なのだ.いつどこで誰が話題になるかわからない以上特にこういう当事者が実在する属性を描くときは注意しなければならない.それは別にAceに限った話ではないのだが、性的少数者の中では社会的な摩擦が少ないAceはそこが見落とされがちである.従って、完全な創作よりは注意が必要な属性である事は否定できない.

3:二次創作との兼ね合い

 また、二次創作との兼ね合いもある.特に性表現を伴う二次創作はAce性をすこぶる相性が悪いと言わざるを得ない.アラスター(ハズビンホテル)の場合は比較的治安統制の効いている女性オタク界隈で流行していたことから、二次創作においてもAce性が尊重されている印象があったが、じゃあこれが女性キャラクターだった場合、男性オタク界隈での流行だった場合どうだったかを考えたら、Ace性が即堕ち二コマやわからせのBeforeに使われる事はほぼ確実だろうなと思う.Ace性が尊重されない、否定される、それどころか性欲に消費され、それを当事者が見てしまうことで傷付いたり、トラブルになったりする可能性はありうる.
 恐らく「Aceは簡単に手を出していいものじゃない」という意見はここを懸念したためのものなのだろうと思う.Aceのような属性はバルカン半島みたいなもので揉め易いのだから、最初から触れるべきではないという意見もわからなくはない.が、原則的に表現は自由であるべきという観点から個人的には、性表現が伴うものはゾーニングを徹底する文化を男性オタク界隈においても周知徹底してもらうのが落とし所なんじゃないかなと思う.流石に手を出すなとするのはやり過ぎな気がしなくもない.

3:当事者のいる少数性を如何に表現するか

 こう言語化してみると、存外表現においてはAce特有の問題というよりも実在する属性と表現の折り合いの付け方全般に言える問題なように思う.今までゲイやビアンでは「簡単に手を出していい領域ではない(自粛すべき)」という意見を散見していたから、ある意味そうやって配慮すべき論が出てくるまでに知名度が上がってきたことをまずは喜ぶべきなのかもしれない.その上で、当事者がいる特異な属性をどう表現するかは適宜議論していくべきなのではないかと思う.

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