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たどり着いたのは、読みやすい文章を手放すことだった


今、こうして文字を打っているスマホのメモ帳には、今まで書いてきた記事が4,000件ほど残っている。
これだけ文章を発信してきて、結局これかよって感じですが、ぼくが書く文章は、年々文字量が増え、徐々に改行や見やすさを意識しなくなった。

「文章はそもそも読まれない」
書き手である人は、そもそもこの前提を持って文章に臨まなければならない。
タイトルにこだわったり、最初のつかみでどれだけ読者に興味を持たせるのか。
そういったことを工夫してこそ、やっと自分の書いた文章を読んでくれるようになる。

ただぼくは、徐々に「読みやすさ」からは離れていった。本で例えるならば、ぼくははじめ、できるだけ読書をあまりしない人でも読みやすいような、ページ数も少なく、文字も大き目の本を書いていた。

でも今はどちらかというと、分厚くて文字がいっぱい書いてあるような本のイメージだ。本当に欲しいと思っている人でないと手が出せず、値段も普通の本に比べると高いし、何より、気合いを入れて読まないとまず読みきれない。一冊読むのに、何日もかかり、たった一回では理解することが難しいような分厚い本だ。


こういう本は、広くいろんな人に読んでもらうことをはじめから考えていない。ごく一部の限られた人が、この本めがけてわざわざ買いに来る、そんな人を想定して書かれている。
本当に必要としていて、本気で臨まなければまず読むことはできない、そして何日もかけて何度も何度も読まなくてはいけない本。いや、そういう人にだけ読んでもらうことを目的としている。

本屋の商売としては、まずこういう本では売上は見込めない。いろんな人に買ってもらえるようなわかりやすくて簡単な本の方が売れやすい。

でもぼくは、この分厚くて読みづらい本にならなければならないと思ったのだ。そして他の本と同じ本屋に並べられてはいけないと思った。本気で必要としてくれる人が、多少他と比べて高い金額でも、わざわざその本を書いに来てくれる、そんな本にならなければいけない。

それが商売として成り立つのは、ぼくたちの商品が本屋ではなく、著者でもないからだ。本の印税で食べているのではなく、そこから出会ったお客さんと、サービス提供を通して、自分という商品の価値で食べているから成り立つのだ。

この商品は、たくさんの人には売ることができない。時間がなによりも希少性のあるものだからだ。本当に必要としてくれていて、自分との相性の良い人にだけ、こちらがしっかりと選んでサービスを届けていく。

この目的を文章での発信の段階から、意識して書いていくようになっていった。その結果、たどり着いたのは、いろんな人が手に取りやすくて読みやすい文章を手放すことだった。

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