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TureDure 20 : ほんとのことを言うのは怖い

ぼくには忘れられないエピソードがある.修士課程でのことだ.

ぼくという人間は一言でいえば“何がしたいのか分からない人間”だ.小学生の頃の夢は漫画家で、デザイン科のある高校への進学を目指していた.しかし、ぼくはいたってふつうな人間だったので、周りの人たちとは違う方へ足を進めることが怖かった.だから「いったん、普通科に行ってそれでも漫画家になりたかったらそこから目指すわ」と言って、普通科高校に進学した.大学の志望動機は「芸能人になりたい」とコメントし難い底無しの無垢であったが、神様のサイコロはぼくを愛知から東京へと進ませてくれた.

ぼくは芸能人になるべく東京に勇んで来たのだが、広がったのは絶望するほどの知らない世界であった.小中高とバスケ部で過ごしてきたぼくは平凡に無垢であり、無知であった.その時の衝撃は忘れられないものだが、現代社会に記すには偏見がすぎるので、またどこかで書くことにする.

そうしてぼくの大学3年間は演劇活動へと吸い込まれていった.小学生の頃は漫画を描いていたし、中学生の頃は隠れて小説や詩を書いていたし、高校生の頃はクラス長をしていたし、これまでも“クラスのまとめ役“で“いつも面白いことを言ってはみんなを笑わせてくれます”と自他ともに認める評価をいただいていたこともあって、ぼくは物語を書ける脚本家と、リーダーシップを発揮できる演出家を希望し、60分−100分のお芝居を3本、30分程度のお芝居を5本書いて演出して時には出演した.それぞれの作品についてもその経緯含め紹介したいことはたくさんあるが、ここでは割愛.

そうして大学3年間を過ごしたぼくは、就職活動という荒波が襲う.ぼくの人生といえば行き当たりばったり、衝動的で、無計画的な線を描いてきた、そこに一貫した“自分の軸”を見出すのはぼくにとって難しく感じられた.そこで指導教官に頼み、“何か見つかるかもしれない”という幻想を抱えながらビジネスパーソンが多数通う授業へもぐりこむことになる.この時の衝撃もハンパないものではあるのだが、書いていては『イリアス』、『オデュッセイア』もびっくり大叙事詩をかましてしまうことにはならないまでも匹敵するかもしれない可能性は1%未満はあるので割愛する.

そうしてぼくは修士課程へと進学することになる.ぼくの忘れられないエピソードはこうして経験される手筈が整った.

修士課程、特に学部からそのまま進学するパターンの修士課程はいくつかの分類ができると思う.1つ目、「研究者型」、これは言わずもがな理想形である、学部で非凡な好奇心と努力と成績を残して学問への貢献を志し進学する、おそらくそのまま博士課程へと進む.2つ目「キャリア、資格型」、世の中には修士卒でないと取得できない資格や免許あるいはキャリア上修士卒というのが有利に機能する世界線が存在するそうだ、そうした場合すでに修了後の就職先は決まっており、自分の研究テーマを就職先への貢献を見据えながら選択する、そして2年で修了し就職する.3つ目「延長型」、大学生活を人並みに終えたがもう2年延長したいという思いを持つ、成績も悪くなく、修士課程に入学できるくらいには努力ができる、あるいは可愛がられている.

ぼくは「延長型」であったもんだから大変だ.就職をするという問題を先延ばしにしたに過ぎなかった.ぼくは“何か人に認めてもらいたい“という思いだけはあり、その“何か”はなんでも良かったのかもしれない.だからぼくは手を替え品を替えいろんなことをやってきた、確かに興味のあることだったが、一義的には褒められたい、認めてもらいたいという欲求がぼくを駆り立てていたんだろうと思う.だからぼくはいろんなアピールをする.たくさん本を読んでいること、いろんな理論、いろんな人物、いろんな分野の知識を持っていること、大半の人が見向きもしない事柄に面白さを見出す眼を持っていること、かといって頭でっかちではなくきちんと仕事をこなせる身体的技量も持ち合わせていること.しかし、そのどれもが修士課程では功を成さない.修士課程は“研究をするところ”だからだ.

研究のためにはあらゆる分野の中で的を絞り、まだそこにはない新しい情報を生み出すことが必要だ.それをしない限り研究として認めてもらえない.ぼくはこれまでの人生で最も避けてきた問いに真っ向から立ち向かわなくてはならなくなった.それは「君は何をしたいのか?そのためには何が必要か?」である.

これまで誰かに認めてもらいたいために触手を伸ばしてきたぼくにとってこれほど混乱する問いはなかった.この問いは「ぼくは〇〇がしたいです!そのためには◯◯が必要です!」と定型文的に答えるだけでは不十分だ.ぼくにとっての課題は、“ほんとうのことを言うこと“だったからだ.定型文的に答える時に起きているのは誰かに認めてもらいたい症候群である.だから「〇〇がしたい!」と言って認めてもらえなければ「□□がしたい!」に変わり、それがダメなら「△△がしたい!」に変わる.つまり、自分で自分を信じることができない状態だ.

ぼくはそれはそれは追い詰められた.もともと広かったおでこはついに眉上から生え際までの間に手がすっぽり収まるくらいには領土を拡大させていた.こうして、あの夜はしとしとやってきた.

ぼくは研究について発表をしなくてはならなかった.怖かったので顔隠しのためにマスクをしていった.ゼミに共有した資料は断片的な意味ありげな文章の羅列のみ.つまり資料を発表することは時間を稼ぐことにしかならなかった.ぼくはそうして沈黙の立役者となった.指導教員はぼくが黙っている間何も言葉を発しなかった.ぼくは何度も詰まりながら最終的にこう言った.

「インプロはすげぇって言いたい」

そこからぼくが何を話したのかほとんど覚えていないが、枕ではなくマスクを濡らしながらつらつらと時折り言い淀みながら何かを話していた.その場にいた人は黙ってぼくの話を聞いてくれていた.ぼくはどうして泣いているのか分からないながら話した.この時の言葉は頭から口に伝うのではなく、言葉が胸から全身に広がっていくような身体感覚であった.こうして言葉を話すのは初めてだったと記憶している.そうしてぼくが話し合えた後、指導教官はこういった.

「今、矢が放たれました」

嘘みたいなほんとの話だ.これは『弓と禅』というインプロ関連書籍からの引用だ.射っても射っても弓道の師匠から「まだ矢は放たれていません」と言われ続ける弟子が、ある日何の気なしに射った際に師匠が言ったセリフだ.ぼくは正解に自分を当てはめようとしてきたわけだが、この夜だけはそれをやめたわけである.ぼくにとってこの日は教育の風景である.

その後すぐにぼくの“誰かに認めてもらいたい症候群”は再発してしまうわけだが、時折この日のことを思い出しては、自分のことを知ろうと思い至る.今日もそんな日だ.またやり直しである.

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