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TureDure 36 : 圧縮フォルダとカーニバル

最近、言葉ということを考える時に、あるイメージを使う。それが箱ということだ。ラッパーであるダース・レイダーさんの受け売りでもあるが、ぼくはダース・レイダーさんの本を読む前に言葉というのは「圧縮フォルダ」だと考えていた。これも同じように箱のイメージで言葉を捉えている。

ぼくはこれまでワークショップと呼ばれる活動によく関わってきた。ワークショップのメニューを考えてデザインするだけのことも最近では多くなってきたが、それよりも進行役(ファシリテーターと呼ぶ)としてワークショップの現場にそれなりに携わってきた。

ぼくがよく経験したのは演劇のワークショップだ。だからどんなワークショップでも無意識的に演劇のことをどこか思い浮かべながらその場にいることが多い。

そのせいか、ぼくは人間が話す言葉には、たとえ1つの単語であっても複数の響きがあることを前提にしている。つまり、同じ「ありがとう」という言葉でもどんな文脈のフローに置かれるかでその意味は大きく変わる(これをコンテクストと言ったりする)。また、その「ありがとう」には発した人が重ねてきた経験や時間も折り畳まれている(すなわちメタ・コンテクストと言えるかもしれない)。それはまるで「ありがとう」というフォルダにその人特有の、大量の経験や感情や記憶や時間が圧縮されて格納されているような感じが時には、する。「圧縮」と表現しているのは、私たちがコミュニケーションをするためには普段そんなこと気にしないで、ただ「ありがとう」というフォルダ名だけで十分事足りるからだ。

ただし、この圧縮フォルダを「すべて展開」するタイミングというのが少なからず、ある。

すべてのワークショップがそういう場になるとは限らないが、時々、そうした繊細な作業が必要になる現場というのもある。たとえばきちんと対話することが求められるような場とか。対話は議論や会話とは違い、それぞれの気持ちや考えを持ちよって、それを相互にしっとり味わうような時間になる。その時には参加者はなるべく本音というか、素直な言葉を持ちよってほしい。でないと対話の結果、行きついた仮説なり暫定解が参加者みなの身体感覚的に納得のいくものにはなりにくいからだ(もちろんここでいう仮説なり暫定解すらも出なくてもよくてただ問いに満ち溢れることもよい)。

この素直な言葉や、身体感覚とフィットした言葉が紡がれていき、かつそれが他人と共有されるために、参加者は普段はあまり意識しないで済んでいる情報をあらためて参照する必要が出てくる。「すべて展開」とまではいかなくとも、「ちょっと展開」を積み重ねていって、自分がどうしてそう思うのか、本当はどんなことを望んでいるのか、なるべく避けたいと思っていることはどんなことなのかというのを場にポトンッと落とす。

このプロセスを経ていって、参加者同士の間に新しい圧縮フォルダが作成されていき、なにかしらの共通認識が生成されていく(もちろん生成されなくてもいい)。だから、ファシリテーターはあまり先入観で参加者の言葉の意味を確定させたりせず、むしろ、新しく「ちょっと展開」が起きるような問いかけや、あんまりやらないけど、少しリスクを取って触発を仕掛けてみたりする。

このように、圧縮フォルダとしての言葉を「ちょっと展開」し続けるイメージとして対話の風景を捉えた時に、ぼくが連想するのはミハイル・バフチンというロシアの文学者のことだ。

バフチンという思想家は、文学理論にとどまらず様々な領域に影響力をもたらした人物として知られている。その中でもキーワードとなるのが「対話」である。バフチンの対話論は彼の様々な思想や概念の通奏低音として、一貫したテーマである。たとえばポリフォニー、異種混淆といった概念も対話論のフローから生成されたものだ。そして、バフチンの概念の中でも特に異彩を放っているのが「カーニバル」という概念である。

ぼくはこの「カーニバル」と「対話」との間に長いこと隔絶を感じていた。なぜ対話の思想が垂れ流しの祝祭、カーニバルと結び付くのかよく理解できずにいた。しかし、人間があらゆる人生経験を日常では圧縮フォルダに格納して過ごしているのだとして、対話の場ではそれを「ちょっと展開」していく。もし、その圧縮フォルダが「ほとんどすべて展開」となったら、それはたしかに垂れ流しのカーニバルに近い様になるのではないかとふと思った。

そのカーニバルの風景は必ずしもアッパーなハイテンションなものでなくてもいいと思うし、反対に傷口にそっと触れるような繊細な真面目な雰囲気でなくてもいいような気がする。そこにはドバドバと圧縮フォルダ内のぐちゃぐちゃな情報群が垂れ流しになりながらも、至って本人はさめざめとしつつ、時に笑いがこぼれたり、ふっと真面目な表情になったりする時もある。少なからずぼくはこうした風景を何度かみたことがあるかもしれないなぁと思う。すぐに思い返すのは祖母の通夜、ぼくと父と母と長男と次男だけで広い会場の一角でポツンと寿司を食べながら話していた時のことだ。

祖母は認知症だったので、時々深夜にいなくなっては何度か警察に保護してもらったり、火事が起きるのではと不安になって兄たちの部屋の雑誌を無断で処分しようとしたりと色々と大変だった。

兄たちもそれなりにグレていたし、家計はいつも苦しかったので、思春期を過ごした我が家は決して居心地のよい、安心できる環境ではなかった。それはきっと父や母や兄たちや、祖母だって少なからずそう感じていただろう。

そんな祖母が94歳で亡くなった通夜の日に、そんなかつての環境をみんなで振り返りつつ、あんなことが大変だった、あの時のあの行動はこんなことを考えていたのだ、あの頃の自分はいけないことをしたと思う、などの壮大なリフレクションがドバドバと溢れ出して、時にドッと笑ったり、時に気恥ずかしくなってちょっと黙ったりといった時間が流れた。これはたしかにあまり「対話」という言葉から連想されるイメージとは少しばかりかけ離れているのかもしれないと思うものの、バフチンが「カーニバル」と「対話」を重ねている時、もしかしたらあの時に流れた時間の心地よさの正体は「対話性」にあったんじゃなかろうかと信じたくなってしまうのが私だ。

私たちは日々いろんな経験をしながらいろんなことを考え、感じ、思い、話している。言葉になりきれなかった無数のものは消えるのではない、代わりに言葉になってくれたものたちにぎゅぎゅぎゅっと圧縮されている。そして、今か今かと待ちわびているのだと思う。「すべて展開」されて、垂れ流されるカーニバル/対話の時を。

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