SNSと依存症

noteで「スキ」されたい人はSNS依存、いますぐスマホを投げ出そう、楽になれる。


突然の暴言を失礼しました。

ちなみに私は承認欲求を満たされたい。自分に正直。欲望に忠実。本能に従え。

本能を満たすのが人間の幸せだ。

だけど本能的なことを恥ずかしいと感じている。

面白い生き物。

「あー」とか「うー」とかで欲求を満たしてもらえるのが赤ちゃん。

自分で社会のルールを使って満たしていくのがおとな。

本能をあらわにするのみでは赤ちゃんと一緒、だから恥ずかしい。

社会は人のためにある。欲を満たそうとすれば経済が回る。

資本主義社会、襲来(シン・エヴァンゲリオンは今週観に行くのでネタバレしないでください)。


ひとまずスマホの利用状況を想像し、シチュエーションを少しまとめてみる。

使える人は幸せだ。依存できる人は幸せだ。

最後に少し感想を入れるけれど、そこまでお付き合いいただけたなら幸い。


スマホは情報ツールなのか

私がインターネットに依存しているのかなと感じるのは、睡眠を必要としながらも数分おきにスマホ画面を眺めてしまう時。

そこからいろいろ気になって、Twitterやポイントカードの残高など確認してしまう。

眠りにつこうとする数分の間、耳で聞ける動画の音声を流しておきたくて探してしまう。画面を見て、である。

健康法とか常に考えていても、この誘惑から逃れるにはスマホを海に投げ捨てるくらいのショック療法が必要だろうなと思う。

さすがにそこまでしないし、もし海への投棄を回避できるなら何日もスマホを持ち歩かない生活もしよう。

通信料がもったいないから、そんなことはしないけれど。

スマホは、というより今の社会は本当に、人の注意喚起がうまいのだ。


日時問わず承認欲求をくすぐられる

SNSは良くも悪くも、多くの人からの反応を見ることができてしまう。

「いいね」がついてないか、評価が上がってないか、常時気にする。

これでスマホを確認する習慣が出来ると、依存状態にもなりがち。

誰かが「いいね」と言わなくても、自分の価値は変わらない。

…はずなのだが、インターネットで手軽にレスポンスを受けられるのだという事実に気が付いて、それを意識してしまうと。

本当の自分の価値というのを勘違いしそうになる。

もっとこう、凪の気持ちで、SNSに向き合うと心穏やかに過ごせるのだろうなと。

言いながら、私は今日もいかに読んでもらえるか、注目してもらえるかを考えつつ書いている。

マーケティングに関する人間の心理とかを、勉強まではしなくとも、聞きかじりの知識で考えてみることが非常に好きだ。

ちなみに推理小説における事実と心情の融合と統制みたいなものも好きだ。

名探偵が証拠から人間をプロファイリングしていくのとか、たまらなく面白い。

普段の生活で事件の犯人のプロファイリングはしなくとも、取引先とかお客さんとか、上司や部下ならやって損はないだろう。


話を戻そう。

承認欲求を簡単に満たす方法!とか記事にしたら、みんな読みたいだろうか。

私なら特に読みたいと思わない。

読んだところで、読むまでもなく答えが出ている。たぶん、際限ない。

承認欲求は叶えることのその瞬間が快感だから、何度も味わいたくなる。

何度も再現したくなる。際限なく再現を求める。


とにかく情報と刺激が多い

SNSのように反応を見る以外にも、情報が溢れている。

スマホに目をやる機会が増えると、広告を見る機会も増えることになる。

刷り込みのように、ふとした瞬間に思い出す。人間は目でみた情報に無意識に引っ張られる。目につくことは売上に繋がっている。

見た者は「買わされた」ということになる。しかも買わされたことに気付いていない。自分で選んで購入したと感じている。

広告の情報のせいなんだよ!(他にもあります、でも影響はある)


コンテンツが優秀すぎ

動画配信も増えた。

私は教育系をよく観るのだが、これがまた、夜更かしの罪悪感を軽減してくれちゃって。

朝、出勤の支度の合間で普段1.5倍速くらいで流しているのだが、夜にうっかりいつもの調子で1.5倍速で枕元に置き。

脳が興奮状態になるのだろうか。気付いたら布団に入ってから2時間経っていたこともある。

普段は0時前には布団に入り、気付いたら朝を迎えているのに。

ゆっくり流すと得られる情報量がその分少ないので、「もったいない」と感じてしまう。


何時間費やしたか明確でない

そもそもスマホに依存をしてはならない理由はなんだ。

依存して困っている状況とは、具体的にどういうことだ。

寝る前に見てしまって眠れなくなって生活に支障をきたすことか。

日中しっかり満足いくまでスマホ、SNSに触れることをしていれば、寝る前に触れなくてすんだりしないだろうか。

スマホが悪いのではなくて、多くを求めすぎる自分が悪いということになってしまうのでは。

ここでまた大ブーイングだろうか。


冷静に考えてみよう。

毎日8時間働いて、睡眠も8時間が理想だと言われて、それ以外で何が出来るだろう。

あと8時間を自由に使えるはずだが。全部をスマホとにらめっこして費やすことがあるだろうか。

通勤、通学、食事、家事はどうか。

家事をしなくても生活できてしまうという人の場合は。

家事をしなくても、人間としての生活はある。

食事は必要だし、身なりを清潔にしないと寿命が縮む(風呂に入る気力もないとか、入りたくないという気持ちは理解する)。

ひとまず心身共に調子が悪くないとしても、8時間の内、食事や風呂で2時間とするとあと6時間スマホを触っていられる。


家事をしている人ではどうだろう。

毎日簡単に掃除して、何分程度か。

例えば私は軽くホコリを落としてクイックルワイパーを使うので頑張れば10分、少し丁寧めに20分程度。

洗濯は洗濯機がする。乾燥機までついていれば、かなり楽ちんだ。

私は「洗濯物を干す」という行為が必要で、量にもよるが15分前後とする。そういう家なので仕方ない。

彼氏は効率化が好きなので、乾燥機つきにして「時短」している。

他にはどうだろう。


そもそも空いた時間だけか。

通勤、通学の間や、掃除、洗濯の間、風呂の間にも、挟み込むことができるツールがスマホである。

私は通勤の時は基本的にスマホを見る。掃除中もただ掃除するのでなく、スマホで音声を聞いている。

こういう時間まで換算すると、結構な時間をスマホに費やしていないだろうか。


ダイエットでもそうだが、毎日体重を測っていれば増える可能性は低くなる。

数値化して把握すると、人はコントロール出来る。

スマホはさりげなく時間を奪いすぎる。

自分がどれだけの時間をスマホに使っているか、きちんと把握しているスマホユーザーが果たしてどれだけいるだろうか。


心理にフィットしたソシャゲ

欲望に忠実な私はほとんどの時間をスマホと一緒に過ごしている。

恋人以上に仲良くしているかもしれない。

恋人と一緒にいるときは恋人と話すけれど、情報交換のネタ元としてスマホの画面を提示することはよくある。

彼はゲームが好きで、ソシャゲマスターというわけではないが、流行っているものは私にも紹介してくれる。

最近は、「ウマ娘」をおすすめされた。

彼は真剣にやりすぎて3日間ほど、睡眠時間が一日平均3時間になっていたとか。

彼も社会人なので普段からこういう生活ではない。

何かハマるものがあると一直線になれるのが、彼の魅力でもある。

彼はゲームをプレイするのが好きで、多種多様なゲームに詳しい。

何かプレイすると、私にそのゲームの特徴を説明してくれる。

私のようにゲームに興味がなくても分かりやすく解説してくれるので、私は労せずして、ゲーム文化に詳しくなれる。

ちなみに「ウマ娘」については、歴史や文化に興味があれば楽しめそうなゲームだと思ったので私もインストールした。


ソシャゲに付きまとう「ガチャ」という適度な運の要素と、「育成」「自分だけの」など特別感は、人の購買意欲を高める。

ワンクリック、ワンタップで少額から課金出来るのも手軽な雰囲気で、手を出しやすい。

少額でも課金すれば、人はそれに執着する。毎日やらねば気が済まなくなる。

ソシャゲなんて入れ替わりの激しい分野に、お金を流していく行為を簡単にしてしまう。

企業は常に考えているだろう。

人々が最も多く、ガチャを引いてそれを続けてくれる確率はどれほどか。

企業は常にその確率を操作して、最も課金率が高くなるように設定しているのだ。

可愛いレアキャラがあなたの元にやってきたのは、運命なんかじゃない。

ソシャゲの神様は企業経営戦略を考えている人たちだ!

その出会いは企業戦略によって出てきた副産!おこぼれ!!!

ラッキーでしたね、おめでとう。


さいごに 使役される人間になりたいか

依存症というのは、やめられず、それで生活に支障が出てしまう状態。

スマホは便利だ。注意を引く力の塊だ。

これへの依存を治す方法を募れば、「捨てる」が解決策第一位を取ってしまうだろう。大ブーイング必須。

利便性を求めてスマホを持っているのに、情報の早さを求めて携帯しているのにこの回答は頭がおかしい。

そんなことおすすめするのはGoogleとYouTubeに勤めていた人たちくらい(『時間術大全』のことを言っている)。

実際の書籍はスマホのアプリをことごとく削って必要最低限にするというのを勧めているのだが。

時間を奪うコンテンツを作った両社がそんなバカげた本気のやり口を紹介するなんて、毒を開発したら血清開発までがセットらしい。

少年漫画から学ぶことは多いな(奴は血清を持っているはずだ!と毒に侵されながら戦うシーンが何かの漫画のどこかにあった)(適当すぎる)。


情報社会だから、人間だから、ルールや社会に従う必要はある。

しかしコンテンツを消費する段階で、私たちは情報に踊らされてもいるわけだ。

私という人間はプライドが高い。

「踊らされる」と聞くだけで嫌悪を抱く(でも抗えないこと多々)。

情報のあふれる社会で、スマホの奴隷にならないために私ができることは何だろうか。

能動的に行動することだろう。

スマホから流される情報ではなく、自分自身で求める情報を決め、取り入れる。

知識の偏りを避けるために、反対意見も調べる。

情報提供された時に、とことんまで調べること。

相手の裏まできっちりと。

それが自分にとってどんな利益があるかまで想定して。


それからSNS。

これは正直、私には難しい。

だって「スキ」欲しい。褒められたい。

でも毎日人目を気にする生活も耐えられない。

書きたいこと、書くと決めたことを語りたい。

私の目標は「人が読める文章を書けるようになること」。

ほど遠いけれど、まず今は文書化する機会自体が珍しいので、まずは書かせて欲しい。

そして140字のつぶやきに「いいね」ってして欲しい。

noteも「スキ」欲しい。

私は欲望をすぐ言葉にする。

よく素直と言われる。誉め言葉とは思わない。

隠したって本心は本心だ。

言わないことはあるけど、偽らない。

私は自分がかわいい。

嘘をつくことをさせたくないのだ。

そして本心から満たされたい。

私はすぐに人の影響を受けるので、逐一、自分の望みを確認する必要があるのだ。

実は最も広告に踊らされがちなのが私だ。

だから欲望は言葉にして確認しておく。

必ず満足したいから、自分のことを言葉にする。

ちゃちな努力が、このnoteだ。

私の「ウマ娘」の経過はまた後日。


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