有料にする理由

私はこのブログを懸命に書いている。

懸命に書くだけでは公的に価値あるものにならないのは承知している。

しかし私は、自分の時間、感情、そういったものには価値があると思っている。

何故なら私は社会人だ。

職場に行って、人と接して、事務作業をして、そうしてお給料を貰っている。

私が労力をかけたものには人件費が支払われるべきと考えている。

ブログは趣味ではある。

ひとりの人間の体験と、感じたこと、学びを書く。

本音で書く。

体験談も本心もネットに転がっている、人の考えることなんて調べれば分かるよ、と考える人もいるかもしれない。

脚色があるかもしれない。

真実かもしれない。

読者からすれば脚色があっていいのかもしれない。

むしろ脚色があった方がエンターテイメントとして「売れる」かもしれない。

インターネットにおける真実は、面白ければそれでいいということ。

であれば私の体験談も、エッセイとして値段をつけてもいいじゃないか。

私は芸能人でもないし、有名人でもない。

いち社会人だ。

ひとつ自慢に思っていることは、人を公正に見るよう心がけてきたことだ。

個人的に、状況や、環境や、人や、人の言動について嫌だなと感じたり、いいなと感じたり、多くのことに対して感情を動かしてきた。

私は自分の内面についてよく考え、納得して進みたいような人間だ。

最近の起業家だとか、セールスマンや、サラリーマンや、そういう仕事の業績がずば抜けていい人たちは、過去をあまり悔やまないという。

考えても答えが出ないものは仕方ないと割り切っているから、前進できる。

私はそれでは前進できないタイプの人間だ。

ひとまず歩みを止めないが、決して忘れずに答えが出るまで悩み通しすこともしばしば。

前進タイプには前進してもらって、色々な分野で活躍して欲しい。

その分私が考えて書き記しておこう。

私の体験談をしっかり本心から書き残していこう。

こういう人間がいて、こういう考えを持っているということを、ここで他人に体感して欲しい。

私は普段から主張が苦手だから。

主張が苦手で、他人を気遣って、思いやりがあるから、本当のところを言えなくて。

いち社員というだけの多数の人間のうちのひとり。

主張が得意な人は意見を注目してもらえる。

注目されない人はどこかでお金を支払って話を聞いてもらわないといけない。

そういう風潮がある。

けれど本当に?話を聞いてもらってお金も支払う?

本当にそれは正しいことなのか。

「話してくれてありがとう」と言われてお金を貰ってもいいんじゃないか。

お互いに、そういう性質の人間もいていいじゃないか。

せっかく本心を語るのだから、金額をつけてもいいじゃないか。

私は目立たない人間、私の意見はマイノリティ。

だからこそ、ここに多くを赤裸々に書いて、書いたことに価値をつけたい。

私の真実をここに記したい。

気持ちをきちんと整理して、抽出して、書き上げていきたい。

その思いを込めたのが、私の有料記事なのだ。

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