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市場価値もへったくれもない男が立ち向かう転職奮闘記

「企業からのメッセージが1件届いています!」

待ちわびていた様な、きてほしくなかった様な求人サイトからの通知を見て、恐る恐るメールを開いてみる。

「———社内で慎重に協議を重ねた結果、誠に申し訳ございませんが今回は採用を見送らせて頂くことになりました。
何卒、ご理解頂けますと幸いです。
最後にはなりますが、貴殿のこれからのご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます」

心の内一面に緩衝材を敷き詰める様に、「どうせ落ちてんでしょ」と事前にハードルを下げていたにも関わらず、その文面を見た瞬間あっけなく僕の心にはピキっとヒビが入ってしまった。

それでも、「次が大変なのは辞める時から分かっていたことじゃないか」という俯瞰の言葉を接着剤代わりに、どうにか継ぎはぎのグラスに注がれている未来への希望が漏れ切ってしまわぬ様に持ち堪えている。

僕は、「人柄」なんて主観的なものでその人の良し悪しは計れないからこそ、勤続年数や達成してきた実績など定量化できるもので一定の線引きをするのは一種の優しさなんじゃないかって思っていて、それにあやかることができないのも、片手と同じくらいの転職を経験しており1年程度での短期離職も多い僕の経歴ではいわば当然のことであるとわきまえている。

そんな市場価値もへったくれもない現在派遣で食いつないでいる男が、改めて正社員へ向けて転職をしようと決意してそうそう上手くことが進む筈がなく、ましてやその茨の道を進むと決めたのも他ならぬ自分自身じゃないか。 と、沈みかけた気持ちを奮い立たせては、また血眼になって求人を探すという日々が近頃は続いている。

今日も求人に目を通していると、昔に比べて自分が頭でっかちになっていることに気がついた。

若い頃の僕は面接自体が好きだったし、もっと気軽に色んなところへ応募していた。
面接官の質問に答えた時に初めて自分の価値観に気付けるのも、絶えず自己分析を続けているみたいで楽しかった。

想像すらしていなかった質問が飛んできた時なんかは最高だ。
考えを言語化するのは、自身に関するクロスワードパズルを解いている様な感覚で、嘘偽りのない言葉達がスッカラカンな自分の中に縦へ横へと入り込んできては、ようやく自身が何者なのか、そのアイデンティティーが実態を帯び始める。

あの頃の僕はそうやって他人から査定されることも楽しめていたし、「人生どうにでもなる」と、どこかで思えていた。
当時から職歴も増え、年齢も重ねた現状は深刻であることに違いないのだが、これくらいの楽観さがないと切り拓けるものも切り拓けないのだろう。
今の自分に圧倒的に足りていないのはそこだ。

と、いうことで僕は「楽しみながら転職活動を行う」という目標を打ち立ててみた。

とは言っても、転職活動には体力も精神力も削られるのは事実なので、どうすれば傷つかざるをえないこの期間に受ける精神的ダメージを減らせるのか考えた結果、「そもそものHPを増やすしかない」と思い至り、生活習慣を変えてみることにした。

まず、「第二の脳」とも呼ばれる腸。
幸せホルモンとか自律神経とか、腸内環境が良いと感情面的にもメリットが沢山あるとのことで、毎朝の朝食にヨーグルトを追加することにした。
ちなみに、腸内環境も様々な菌が共生する多様化社会の方が良いらしい。
優しい社会だ。

また、音楽を聴くだけで脳は楽しいと勘違いすると昔テレビで見たので、僕のイヤホンは通勤用にいつだって充電満タンである。

そういえば先日、槇原敬之の「もう恋なんてしない」がシャッフルで流れてきて、「結局この歌の主人公は今後恋をするのか、しないのか、どっちなのか問題」を10分ほど一人で考え込むハメに陥ったのだが、それも含めて脳が楽しいと感じてくれていたら結果オーライである。

それでもやっぱり現実に打ちのめされてマイナス思考に陥ってしまうことがある。
そうなった時はテレビでも見ながらひたすら腹筋をすることにした。
体を動かしている間は幾分か無駄なことを考えないで済むだろうし、不安に囚われて何も手つかずになっていた筈の時間を健康へと錬金できるのなら願ったり叶ったりだ。

そう、結局どれだけ思い詰めても現実は変わらないのだ。
面接まで進めてくれる企業が100社に1社あったとして、思い詰めた代わりにその割合が増えることはないのだから。

ずっと、どうしていくか考えないといけないと分かっていながら後回しにしてきた仕事のことについて向き合おうと決めたのには自身の心の変化にある。

丁度一年前にも就活をしていたのだが、当時は一体自分はどの様に生きていきたいのかとか、組織で働く上で個人的に今までハードルに感じていた自身のセクシャリティのこととか、光の射さない真っ暗な部屋の中にいて自分の姿もここがどこなのかも分からない状況にいる様な感覚の中で生きていた。

そこから家族にカミングアウトをして、ウェブサイトを立ち上げ、そこやnoteで自身の経験を発信していく内に、知恵の輪みたいにがんじがらめになっていた思考の棚卸しができ、大きく心の持ち方は変わった。
一年前の自分と今では確実に違う実感がある。

どれだけ長い時間かかるか分からないし、もしかすると終わりは来ないのかもしれない。
それでも次の道が見える迄思いっきり自分を甘やかしながら、僕は僕の味方であり続けたいと思う。
強く生き切ってやる。


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