見出し画像

【同性愛】男二人で見上げる花火への想い

「幸せにできないなら付き合うな」

冗談として聞こえるように。でも、はっきりとした口調で友人はそう言った。
当時高校生だった僕が、彼女と別れたことを伝えた時のことである。

3ヶ月程度で別れてしまった。
その前も、その前の前も、付き合いが長く続いた試しがない。
一方その友人は、入学して早々に付き合い始めた女の子と長いこと続いていた。
その後も、少なくとも卒業するまでは校内の有名カップルとしてその子と付き合っていたはずだ。

——「幸せにできないなら付き合うな」。
友人も別に説教のつもりで言った訳ではないだろう。
休み時間での何気ない会話、何気ない一言だ。
ただ、ちゃんと関係を続かせていて、彼女を大切にしている彼から発せられた一言はとても重たい。

この頃、「自分はゲイだ」と割り切れるほどの確固たる自覚は無かった。
実際、同性愛者でも異性と付き合ったことのある人の方が多いだろうし、そのほとんどはいわゆる"カモフラージュ"なんかではないと思う。

僕の場合、シンプルに分からなかったのだ。世間の『好き』が。

沢山いる女子の同級生の中で、何か特別に感じる人がいる。
その子に対する気持ちを思い出すと、一番近いのは「ドキドキ」の様な気がする。
とにかく、他の同級生とは違って見えるのだ。

一方、男友達でも他の同級生より特別に感じる人は出てくる。
居心地の良さや楽しさ、こちらも同じ様に言葉に当てはめるなら一番近いのは「ワクワク」だろうか。

分からなかったのだ。彼等に抱いている感情が恋愛なのか、友情なのか、人間愛なのか。
だから、特別に見える女の子は「恋愛感情」で、特別に感じる男友達は「親友」として振り分けた。
そして、自分以外の皆が抱いている感情も同じなんだと思っていたのだ。

それなのに、いざ付き合い始めると距離の縮め方が分からない。
「男女」として次の段階に進もうとすると行き詰まる。
中学生ならまだしも、高校生くらいになってそんなことが続くとさすがに、「自分が女性に対して思っている『好き』は世間でいう『好き』とは違うのかも」と、小さい頃からくすぶっていた自身への疑惑が濃くなってくる。

同様に、「自分が男友達に対して思っている『友情』は世間でいう『友情』以上に重たいものなのか?」とも考える。
とりあえず言えるのは、自分は「付き合うのには向いていない」ということのようだ。

それから数年が経ち、決着がついた。
今まで抱いたことのない感情を持った。
それは、「この気持ちは世間的にどの感情にあてはまるのだろう?」なんてことを考える余地なく、『好き』だった。
そして、その相手は男だった。

今ははっきりと「自分はゲイだ」という自覚がある。
もし今、女性と付き合うことがあればそれはまさしく“カモフラージュ”に違わないだろう。
同性と付き合う様になって、あの時友人が言っていた「幸せに出来ないなら付き合うな」の言葉が腑に落ちる様になった。

あの言葉の本質は「結果」ではなく「スタート」の在り方にあるのだと思う。
付き合っていればすれ違ったり傷つけることもあるだろうが、それがダメなんて話ではないのだ。

この言葉の本質は、「お前は『恋人』として相手が求めることに応えたいと思う情熱や覚悟があったか?」ということなのだと思う。
その情熱や覚悟を持っていたけれど結局出来なかったのと、元から持っていないのでは話は全く変わってくるのだ。

そして、それを僕は持っていなかった。
彼女になってくれた人達に僕が一番抱いていた感情は恐らく、「申し訳なさ」だったから。
勝手にときめき、告白をし、申し訳なさを感じて別れる。
恋愛は、相手がいて一人ではできないものという当たり前のことさえ分からずにいた僕に覚悟があった訳ないのだ。

社会人になってからは男としか付き合っていない。
マイノリティであるが故の生き辛さと引き換えに、恋人に対しての申し訳なさを抱くこともなくなった。

初めてまともに付き合った男性とは数年続いた。
その彼と過ごす初めての夏、「花火大会を見に行こう」と誘われたのだが、周りの目を気にしてしまう僕はそれを断った。
別にそれが問題で喧嘩にはならなかったし、僕のスタンスを彼も分かっていたのでそれ以降誘ってくることはなかった。

が、その日の夜、二人でスーパーから帰ってきた時に花火が見えてしまったのだ。
見えたといっても、マンションのせいで上半分しか見えないし、それすら遠くて小さい姿である。
それでも彼は言ったのだ。「一緒に花火を見れて良かった」と。

この時、高校時代のあの言葉が頭を駆け巡った。
男相手なら、ある程度のことは応えられると思っていたのに。
同性愛カップルにとって、スタンスの違い問題は出てくるものだし、周りの目を気にしてしまうことを悪だとは思わない。

けれど、もし自分にもう少し覚悟があれば、あんなちっぽけな花火を彼はありがたかることもなかっただろう。
この一件は、付き合っていた期間での苦い思い出ナンバー1である。

今付き合っている恋人とは恒例行事の如く、二人で花火大会に足を運んでいる。
別に彼は「恋人と一緒に行きたい」からではなく、シンプルに花火が好きで、恋人より先に他の人を誘うのは悪いと思っているから最初に伺いを立ててくれていることは分かっている。
だから、もし断っても他の友人とでも行っているだろうことも。

こちらも、いやいや見に行って「あげてる」という感覚は全くない。
シンプルに嬉しい、楽しい。
けれども、例の経験がなければ行くことは無かったかも、と思うのも事実である。

僕は花火大会に行くとまず、同じ様に男二人で来ている人を探す。
グループが100組あれば、そのうちの1か2組程度の割合だ。
そして花火を見上げながら、ひそかにその二人の方に目を配る。
彼らはどんな気持ちで花火を見ているのだろうか。
どの様な関係かは知らないが、もしカップルだった場合、居心地の悪さではなく、ちゃんと花火の美しさに集中できてるといいなって。

かく言う自分も、以前ほどは周りの目も気にならなくなった。
行動的には普通のカップルの様に過ごせる今は幸せだし、彼もそれなりに幸せだろうと信じたい。
自分の覚悟次第でどうにかなることに対しては後悔させたくないし、したくないと思う。
そうしてなるべく多くの思い出を作っていけたらと考えている。

さぁ、いよいよ夏がやってくる。
今年はどこの花火を見に行こうか。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?