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尾崎豊さんと言葉の格闘


人間の言語は過去を物語るもので、

原始内部に起きている連鎖反応を認識するには

充分ではない



「え?😮」


と、思われた方が沢山いらっしゃるでしょう。

僕もよく分からず5〜6時間この言葉の意味を考え続けていました(長い)


尾崎豊さんはこういう哲学的というか、パッと聞いて理解できないような難しい言葉を話すことがあります。

だから、僕自身凄く考えてしまいます。この言葉の意味についてただただ考えて僕の解釈を述べる…そんな内容です。


彼の音楽プロデューサー・須藤晃さんはこの言葉についてこう語っています。

「言語は彼自身の脳裏にあることを整理して物語るには充分ではないと感じているようだ。彼は言葉にこだわるが、常に言葉に裏切られ続けている」と。

これを踏まえて僕のイメージをお話しします。


まず自分の頭の中を覗いてみる。

自分の感情を外に出す時、伝えたい適切な言葉に変換する。

しかし、脳内では常に細胞同士が新たなエネルギーを生み出している。

細胞の原子レベルでやりとりが行われている事をそのまま表現したいけど、その反応が産まれてからでないと言葉に変換する事はできない。

リアルタイムで脳内の新しい反応を表現することは言葉では追いつかない。

つまりは自分の感情を言語化した時点でそれはもうリアルタイムの感情ではなくなっているという事で、脳の中で産まれる新たな反応に常に追い越されているという事かと思います。

尾崎豊さんはそれがもどかしいという事が言いたかったのかもしれません。


言葉のもどかしさ


自分の伝えようとした言葉と自分の気持ちがマッチしなかった事ってありませんか?

僕は会話の中でこんな経験があります。

相手🤵‍♂️「さっきと言ってる事違うよ笑」

僕🤦‍♂️「うん、さっきはそう言ったけど今はこういう考えもあるなって思って…(ボソボソ)」

(あぁ、自分の脳みそを人に移せたらどんなに楽だろう、言葉のタイムラグが邪魔をする!!あーー!!)と発狂する事多々。笑


アメリカの実業家イーロン・マスクも何かの記事で「人間はインプット能力は高いのにアウトプット能力はバカバカしい程遅い」と話していました。

ゲームでコントローラーを操作していて画面の中のキャラクターが少し遅れて動くもどかしさに似ているのかなと思います。


いつまで経っても言葉が自分の原子内部を追い越す事はない、だからこそ、言葉ともっと向き合わないといけない。言葉と格闘し続けなければ本当の自分は伝えられない。

そんな風に思えた、尾崎豊さんの発言でした。

皆さんはどのように思いますか?是非あなたなりの解釈を教えてください📙




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