1945年のクリスマス
1945年のクリスマス・イブ。
ひとりのユダヤ系アメリカ人の女性が日本に戻ってきた。
彼女の名前はベアテ・シロタ。
父は世界的ピアニストで、東京音楽学校に赴任した父に伴い5歳から10年間日本で暮し、その後留学のため単身渡米。
その間に、太平洋戦争が勃発。
戦争が終わりGHQの民生局のスタッフとして再来日し、戦時中、日本に残った両親と劇的な再会を果たす。
そんな22歳のベアテが、日本国憲法草案の人権条項作成にたずさわる物語。
それが、本書である。
ー日本人というのは、本質的に封建民族だと私は思う。
権力者の命令ならば、たとえ気が進まなくとも実行する。
(中略)
一歩前に出る勇気よりも、一歩前に出ない勇気の方が日本では難しいのだ。
また、日本の道徳は、犠牲的精神を発揮する人物を、必要以上に美化する。
その中にヒロイズムを感じる人も、他の民族より多いように思う。
日本人に人権という概念を話しても通じない。
わがままとか、個人主義とかいう悪意のあることばに置きかえられてしまうからだ。ー
本文より
戦後70年以上経過した今なお、「ニッポン」は随所に見られる。
最近だと、個人の努力をヒロイズムに転換し、オリンピック開催の大義名分にしてしまうその心理は非常に狂気を感じる。
上記したベアテさんの言葉で、改めて日本人の同質的なコミュニティの怖さを感じた。
日本という国の平和は、「日本国憲法」でなんとか均衡が保たれているのである。
彼女の父が日本に呼ばれていなかったら・・・。
彼女の両親が彼女とともにアメリカに渡っていたら・・・。
彼女が、GHQの職員として日本に戻ってこなかったら・・・。
そして彼女が、日本の女性の権利のために涙を流して訴えなかったら・・・。
もしかすると僕は、男の特権だと言わんばかり、あぐらをかいて妻の家事をただ眺めるだけのクソな夫だったかもしれない。
たくさんの「もしも」が重なり、今の日本国憲法があり、そして僕は女性の人権を尊重して生きることができている。
ふと、洗濯ものを干しながら、
”家事ができる喜び”を改めて感じた。
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