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文学とハードコア:Zwarとは一体何か
4月22日に発売したevylockのNEW ALBUM「Profunda bluo」、もう手にしていただけましたか?
残念ながら今日時点で、札幌では自粛延長中で、プッシュしていただける予定のTOWER RECORDSとHMVは営業再開しておりません。
中には、「せっかく店頭でプッシュしてくれる予定なんだから、そこで買うね!」と言っていただいている方もいて・・・お待たせして本当申し訳ないです。
もう少しお待ちいただければ幸いです。
今日は、
文学とハードコアと題して、2曲目「Dis Love Song」の歌詞に出てくる”Zwar”という言葉について、賢治研究的な視点から考察をしたいと思います。
少し、小難しい話かもしれませんがお付き合いください。
「Dis Love Song」
Zwar Zwar とざわめく人に
一人ずつぶつかって浮き上がる死の群像
そもそも、この”Zwar”とは、宮沢賢治の心象スケッチ「山火」に出てくる言葉です。
『春と修羅』第二集 八六 「山火」
風がきれぎれ遠い列車のどよみを載せて
樹々にさびしく復誦する
……その青黒い混淆林のてっぺんで
鳥が"Zwar"と叫んでゐる……
1924年5月4日に着想のあった本作品は、賢治さんの『春と修羅』第二集に収められています。
賢治さんはこの月、19日から花巻農学校の修学旅行引率で北海道へとやってきます。
賢治さんは、後に「札幌市」というタイトルの心象スケッチも残しています。
『春と修羅』第三集 一〇一九 「札幌市」
遠くなだれる灰光と
貨物列車のふるひのなかで
わたくしは湧きあがるかなしさを
きれぎれ青い神話に変へて
開拓紀念の楡の広場に
力いっぱい撒いたけれども
小鳥はそれを啄まなかった
ただし、こちらは修学旅行引率から約3年後の1927年3月28日付で着想のあった作品とされています。
「山火」と「札幌市」には、「きれぎれ」「遠」「列車」「青」といった興味深い共通のキーワードが見られます。
私は、『宮澤賢治 心象スケッチ「一〇一九 札幌市」論』という論文を書いているのですが、拙稿の中で「札幌市」の着想は1927年3月ではなく、もともとは修学旅行で札幌滞在中の1924年5月20日だったのではないかと考察しています。
賢治さんにとって北海道は亡き妹の魂を求めた地でもあります。
北海道への旅立ち前に描いた「山火」のなかにも、妹トシさんへの想いを私は感じとることができます。
話を戻して、ではこの「山火」に出てくる”Zwar”とは何なのか。
”ざわざわ”なのか。
ドイツ語の”zwar”(同時に、しかし、ゆえに の意)なのか。
ではなぜ、頭文字のZが大文字なのか。
大文字の”Z”と、賢治さんの関係性。
色々調べていくうちに分かったことがあります。
それは岩手県奥州市に水沢緯度観測所があり、賢治さんはそこを何度も訪れていたという事実です。
1902年、この観測所で天文学者の木村榮によるZ項の発見がありました。
(木村は、緯度変化を表す式に、すべての局に共通の変化を表すZという項を入れて表した。Z項の導入により、未知の現象を発見したばかりでなく水沢の観測精度が高いことも示し、木村は世界の天文学界に対して面目を保つことができた。)
現に奥州市は、Zの街として、Zホール(文化会館)、Zプラザ(観光物産センター)、Zアリーナ(体育館)など、公共の施設にZがついています。
賢治さんは、1924年4月6日に「測候所」という心象スケッチも残しています。
そして、5月4日に「山火」を残したのです。
ちなみに、木村榮は賢治の童話『風の叉三郎(先駆形)』の中で「観測所の木村博士」として登場もしている人物です。
天文学好きの賢治さんは、もちろんZ項についても知識を得ていたはずです。
「ざわぁ」という林が風に共鳴する響き、ドイツ語の「zwar」という文字の配列、そしてこのZ項を掛け合わせた賢治さんの造語が「Zwar」なのでは、と私は考えています。
考えれば考えるほど、この”Zwar”という響き、面白くないですか??
言葉ひとつにしても奥が深い、賢治ワールド。
是非賢治さんの心象スケッチ『春と修羅』を読みながら、「Profunda bluo」をBGMにしていただければ、これ以上の幸いはありません。
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