星めぐりの旅 盛岡本編
先述した、もりおか啄木・賢治青春館で開催中の展示、
第97回企画展「高校生が考える 賢治と北海道展 -心象スケッチ「札幌市」から-」
2月15日〜20日、企画をした生徒たちと一緒に行ってきました。
目的はもちろん、自分たちが企画した展示を見てくることもあったのですが、生徒たちは今回のためにトークイベントも計画していたのです。
トークイベントのタイトルは「伝えたい‼ビュウティフルサッポロ」
2月18日(土)の午後2時~60分程度のトークセッション。
賢治さんの地元岩手で、賢治さんを好きな人たちにトークイベントを仕掛ける北海道の高校生。
考えただけで、変な汗が出そうなイベントです。
8月の札幌市役所のイベントまでは、私もなんとなく裏方としてサポートしていたのですが、今回は完全に握っていた手を離しました。
高校生だけで、どれだけチャレンジできるのか。
3年間の集大成を見たかったからです。
青春館とのやり取り、新しい資料の準備、各種申請手続きなど、生徒たちは精力的に動きました。
CCでメールのやり取りを見ていたのですが、途中何度か躓きながらも、ちゃんと前に進んでいる生徒たちの姿がありました。
特に難しそうだったのは、実際の展示会場を想定した展示内容のレイアウト決め。
生徒たちは、理科実験室で何度もシミュレーションして展示の動線を練っていました。
トークイベントは、札幌からゲストも呼んでいました。
元円山動物園園長で、札幌市広報課部長の加藤修さん。
加藤さんを盛岡まで呼んでしまう生徒たちの大胆さに驚きましたが、それにしっかり応えてくれる加藤さんと札幌市の懐の深さにも感動しました。
今回、私自身が携わったことは、チラシ裏面の文章と、パネル用に文章を寄稿したことです。
パネル用の文章には、札幌新陽高校と、もりおか啄木・賢治青春館を結びつけてくれた外岡秀俊さんへの想いを綴りました。
彼がいなかったら、本展は実現していませんでした。
新聞の連載コラム「道しるべ」の取材で、新陽高校に来てくれた時に渡した『青の旅路』を、啄木・賢治青春館に紹介してくれたのです。
残念ながら、外岡さんは2021年12月23日に急逝されました。
外岡さんに、見てほしかった。
実際の展示を目の当たりにしたのは、2月16日。
生徒も私もソワソワしながら、2階の展示室へ向かいました。
目の前に広がる展示室の光景は、私の想像を遥かに超えるスケールでした。
まさしく、そこは宮澤賢治の心象世界。
そのとき、私の脳裏には『春と修羅』の序の言葉たちが遠くからこだましていました。
展示室の優しい照明が、空間にぼんやりとした光と影を創り出し、その中で静かに賢治さんが佇んでいるような気がしたのです。
いや、もしかしたらそれは賢治さんではなく、外岡さんだったのかもしれません。
なにかに導かれ、ここまでたどり着いたような感覚に陥りました。
私たちが訪れたとき、ちょうどお客さんが一人みえました。
早速、声をかけにいく生徒たち。
すると、なんとその方は盛岡「宮沢賢治の会」会長の佐々木陽さんだったのです。
賢治さんが結びつけてくれたご縁でしょうか。
当日のトークイベントにも、会のメンバーと来てくれるとのこと。
そして、18日を迎えます。
今回来れなかったメンバー、宮下が事前に用意してくれた台本を握りしめながら本番に臨む生徒たち。
もちろん、トークイベントの進行は人生初経験です。
会場は、来場者の皆さんと新聞社2社も加わり満席近い状態になりました。
私も登壇させられましたが、自分のことよりも生徒たちの様子に終始ドギマギしてしまいました。
生徒たちは、明らかに普段より歯切れの悪いトークで、伝えたい内容も飛び飛びになります。
さらに、緊張のあまり、メンバーの寺分がプロジェクターのコンセントを足に引っ掛けてしまい、断線する始末。
会場内も、微妙な空気に・・・。
しかし、そこはゲストスピーカーの加藤さんが上手に軌道修正してくださいました。
イベントが進行するにつれ、生徒たちも笑顔を取り戻し、いつの間にか会場が和やかな雰囲気になりました。
メンバーの歌夏、響、寺分、それぞれ伝えたいことを出し切ったのではないでしょうか。
質疑応答も活発に行われ、気が付けば予定時間を超過し、あっという間の90分でした。
トークイベント終了後、がんばった生徒たちにご褒美が。
なんと、盛岡宮沢賢治の会の例会にご招待いただきました。
宮沢賢治の会は、賢治さんが亡くなった翌年に発足した、一番歴史のある会です。
宮沢賢治の詩友で、岩手県初の直木賞作家である森荘已池さんの娘さん、詩人の森三紗さんもいらっしゃいました。
三紗さんから著書をプレゼントしていただきました。
奇遇にも、この日のスピーカーテーマは”賢治と修学旅行、函館”といった、なんともタイムリーな内容。
だいぶ緊張もほぐれたのか、生徒たちは意気揚々と発言をしています。
その光景を目にしながら、やはり私は、なにかに導かれているような不思議な感覚に陥りました。
この座敷は、賢治さんのいた大正時代と、第四次元でつながっているのではないだろうか・・・。
今、この座敷を立ち上がって外に出たら、そこはもしや大正時代の盛岡なのではないか、と。
実に不思議な時間でした。
思えば、思うほど、この展示会に至る道程は必然だったような気がします。
生徒たちと賢治さんの副読本を作ったあの日から。
外岡さんが、高校に電話をくれたあの日から。
はたまた、生徒たちとはじめて青春館を訪れたあの日から。
いや、もしかすると、もっと前かもしれません。
私自身、父親から宮澤賢治詩集を手渡された、高校生のあの日から。
ずっと、ずっと、つながっているような気がするのです。
そして、この青い旅路は、これから先もずっと続きます。
私の手から、また宮澤賢治詩集が誰かの手へ。
つながっていくのでしょう。
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