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東北自動車道⑧館林ー渡良瀬川

※独自のバスガイド台本をまとめてみました。
バスガイドの皆様と共有してみたいと思い投稿しております。
表現や情報の誤り、新しい情報を見つけましたらご指導ご鞭撻ください。

向井千秋記念子ども科学館

1991年に館林市子ども科学館として開館しまして日本人女性として初めてスペースシャトルで宇宙に飛び立った向井千秋さんが
ここ館林市出身という事で「向井千秋記念子ども科学館」という現在の名前になりました。
メインのプラネタリウムやスペースシャトルや向井千秋さん関連の展示も多くございます。

プラネタリウム

ドームの直径は23m
傾斜角30度
240席の大型プラネタリウムがございます。
2014年7月にコニカミノルカ製の最新機を導入しリニューアルされました。

正田醤油(しょうだしょうゆ)

醤油メーカーの老舗「正田醤油」の本社は館林駅近くにございまして
こちら東北自動車道東側すぐに 館林東工場がございます。

歴史

明治 6 年(1873 年)に創業し、醤油作りの伝統を伝え継承してきた企業です。
キャッチコピーは
「おいしいがうれしい。」です。
上皇后美智子さまのご実家としても知られます。

正田記念

江戸時代の嘉永6年(1853年)に住居兼店舗として2代正田文右衛門が創建した建物が記念館となっておりご見学する事が出来ます。
昭和61年(1986年)まで本社屋として使用された建物でして現在は建物自体が登録有形文化財に指定されております。
正田家300年の家系図や、創業当時の醸造道具、昭和初期のポスターなど数多くの貴重な記念品をご鑑賞いただけます。


カルピスみらいミュージアム

2019年アサヒ飲料カルピスの100周年を記念してカルピス初の工場見学「カルピス』みらいのミュージアム」が館林市のカルピス群馬工場で開業しました。
ブランドカラーの白と青を基調としたエントランスには巨大オブジェが置かれ「カルピス」のカルピスの製造ライン見学や、試飲、映像上映などが無料で楽しめます。

歴史

カルピスは1908年(明治41年)創業者の三島海雲(みしまかいうん)が内モンゴルを訪れそこで口にした酸乳を参考にしカルピスを開発し1919年に発売しました。
カルピス独特の風味は長く企業秘密とされていたましたが1990年代半ばに公開されました。

社名・商品名の由来

社名の「カルピス」は「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(じゅくそ)を合わせたものだそうです。
※じゅくそというのは牛乳の精製過程でできる五階級のうち、第四にできるもの。
社名を決定する際には、当時音楽の第一人者だった山田耕筰(やまだこうさく)氏相談し「カルピス」が最も響きが良いということで社名・商品名になったそうです。


渡良瀬川(わたらせがわ)

お車は群馬県と栃木県の境を流れる渡良瀬川に差し掛かりました。
渡良瀬川は栃木県日光市と群馬県沼田市の境にある皇海山(すかいさん)を源に群馬県みどり市、栃木県足利市と栃木、群馬を流れ茨城県古河市で利根川に注ぐ約107㎞の河川です。

由来

上流にある足尾町の渡良瀬という地名に由来するようです。
この地名は日光を開山した勝道上人が命名と伝えられており、勝道上人が川を渡ろうとしたところ、渡るのにちょうど良い浅瀬があったことからその場所を渡良瀬と名づけたそうです。

渡良瀬橋(曲) 

1993(平成5)年に発売された歌手の森高千里さんの楽曲「渡良瀬橋」で全国的に知られるようになり観光名所となった橋はここから15㎞ほど上流、栃木県足利市内にかかっております。
作詞
作詞は森高千里さんご本人で、橋をテーマに詞を作ることにし地図を広げた際「言葉の響きの美しい川や橋」を探し「渡良瀬川」という文字が気に入ったそう。
その後1989年に足利工業大学でライブを行った際に渡良瀬橋の周辺を散策、そのイメージを使って詞を書いたと語っているそうです。
※森高さんご自身は熊本県出身
実在の建物
市内には歌詞に登場する「八雲神社」や「床屋」は実在するもので中でも「公衆電話」はNTT東日本の撤去対象になっていましたが市側の要望により今もなお現存しております。


渡良瀬川②鉱毒事件と田中正造

渡良瀬川と言いますと日本で最初に公害が問題になった川として有名でございます。
渡良瀬川の源流近くにあった足尾銅山は東洋一の鉱山と呼ばれた大鉱山でしたがそれと同時に鉱毒による被害が広がったのでございます。
1800年代後半の明治時代、現在の栃木県と群馬県を流れる渡良瀬川周辺で公害事件が起こりました。これが日本初の公害事件として知られる「足尾銅山鉱毒事件」です。
銅山から排水された毒によって、渡良瀬川の魚が死んだり、川沿いの畑の農作物が枯れたりしました。
そのことに気が付いた当時衆議院議員の田中正造
はすぐに国会で取り上げましたが、政府側は、まったくやる気を見せず何の対応もしてくれなかったのです。
その後洪水が起こり被害は利根川流域まで広がると、「足尾銅山の仕事をやめさせよう」という声が増え
群馬県川俣村で農民たち5000人と警官隊が大乱闘を起こす事件が起きてしまいました。
それでも動かない国に田中が起こした行動は
辞職、そして明治天皇への直談判でした。
実は全国で起こっていた公害の被害に目を向けるきっかけともなった事件でした。

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