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死ぬまで生きるために

仕事納めも無事に終わり、忘年会の前に時間が空いたので同期とスタバでお茶をする。
これから忘年会でごちそうだってのに、新作のほうじ茶フラペチーノを飲み干す。以前2人でご飯に行った際に私が多めに払ったらしく(←覚えていない)、同期がスタバを奢ってくれた。その心意気がうれしい。

忘年会が終わった後、まだ話し足りないねぇ…と閉店間際のショッピングモールに行き、ただ歩きながら話す。
本屋さんでオススメの本を言い合い、次に貸し借りする本を決める。

同期は「もっと本当は人前でボケたい!」とか「彼氏が欲しい!」と叫び、私は「人前で素直な感情が出せない!」と叫び、笑い合い、頷き合う。
こんな青春みたいな時間を過ごすなんて、入社前は思っていなかった。

きっとこの今の気持ちもまた忘れていくだろうから、こうして書き留めておく。

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私は「どうせ自分も人も変わっていく」「いいことがあって希望を持ったって、また必ず絶望が来る」と、色々なものを諦めたフリをして生きてきた。

土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』を思い出す。

過去と現在と未来は繋がっている。過去を悪いものだと認識していると、繋がっている現在や未来に希望を見出すのは難しい。
過去は変わらない。だが捉え直すことはできる。過去に「なかったもの」に目を向けるのではなく、「あったもの」に目を向けてみる。
例えば、部屋に誰かからもらったプレゼントはあるか?これをくれた時、その人はどんな気持ちを渡したかったのか。ひとつひとつの意味を確認してみる。
このくだりで、蘭さんが言う。「それって『過去』の愛情ですよね。今はその人の中に、その愛情はなくなっているかもしれない。消えてしまった『過去』を思い出すのって、寂しいことじゃありませんか?」
本に向かって私はひどく頷く。すると本の中で本田さんは言う。
「いえ、『過去』は消えません。『過去』はあなたの中に蓄積されるものだからです。それがあなたの『現在』なんです。
あの時はあったけど今はもうないんだな、と悲しむことはないんです。その『過去』は、あなたの一部になっているんです」


こういうものが、確かに過去にあった。
歩んできた道の上にあった、という事実自体は消えない。


これを読んだ時、言葉にできない衝撃と、長年の謎が解けたような、ほんの少しだけ遠くに小さな光が一瞬見えたような、不思議な気持ちになった。

過去にもらった気持ちは確かにある。それは、自分が自分自身にあげたものもたくさんある。
それらをひとつひとつ確認していく作業が、今の自分の立ち位置を「足りないものだらけ」から「たくさんのものが蓄積した今」にするんだろう。


私はこれからも、その時自分や人からもらったものを、忘れないうちに書き続けたい。

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