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好物とアレルギーのせめぎ合いの話

わたしには、合わないってわかっていても、どうしても嫌いになれないやつがいる。
いっそ嫌いになれたらいいのに!そう思わせてくるやつがいる。
茄子
だ。

・わたしは茄子が好きである。

つるんとハリのある紫色の表面、その奥に隠されたみずみずしい実と、料理の旨味を全て吸い込んだようなジューシーな味わい……
煮てよし、焼いてよし、揚げてよし。和洋中と、多国籍な料理と気軽に相性の良くなれる茄子。なんて気さくないいやつなんだ!
派手さはないが、誰とでもフランクにパーティーを組める茄子。なのに、シンプルに焼いてちょっぴり醤油をかけただけでもアホみたいに美味い。そんなアイツは、野菜界の陽キャ、リア充と言っても過言ではない。

そんな茄子とわたしの関係だが、この数年どうも思わしくない。食べると痒くなるのだ。主に、喉が。


・きっとたぶんアレルギー

薄々感付いてはいた。今やめったに食しはしないが、昔からわたしはメロンを食べると喉と鼻と耳の奥がめちゃくちゃ痒くなる。量的にいうと、ふたくち目くらいから痒くなる。
茄子と同じ頃から、キュウリも痒くなる。トマトもダメだった。外国籍の茄子と思われるズッキーニも、やっぱりダメだった。
察するに、ウリっぽい夏のものがダメなのだろう。
ちなみにどの程度で不快感の限界を迎えるかというと、キュウリが調子のいいときで約1本、トマトは1個の半分に満たないくらいだった。
ズッキーニはそれ以来避けているので定かではないが、なるほど茄子もダメなわけである。

子どもの頃からどうやら花粉症で、春先から初夏にかけてと秋口は、目の痒みと鼻水、くしゃみに苦しめられてきた。
当時「花粉症」なんていう概念があまり知られていなかったのか、掛かり付けの小児科では慢性鼻炎と言われていたが、毎年ピンポイントの時期に鼻水を垂らすことには、子どもながらに疑問を覚えたものだ。
もっと遡ると、喘息の気があると言われていたとか、アトピーだったとか、わたし自身はまったく覚えてはいないが、そんなこともあったらしい。そういえば幼稚園の頃、玉子を食べると蕁麻疹が出ていたっけ。

要するにわたしはアレルギー体質だったのだ。
脳の方も欠陥だらけだというのに、体までデリケートな作りだったとは、神様は残酷である。ここまで不具合のあるまま現世に放たれるのなら、せめて顔面はハーフ美女くらいにしてもらわないと帳尻が合わないじゃないか。なんとかしてくれ。

ちょっと話が逸れたが、茄子をつつがなく食べられる量は、一般的なサイズで1本の半分程度だった。足りない。全然満足いかない量なんだよ!

・それでも茄子がいっぱい食べたい

キュウリに関しては何をしても無駄だったが、トマトは火を通せば痒みを感じなかった。焼いたり炒めたりソースしたりすれば、大好きなトマトの青臭さはどこかにいってしまうものの、ただただ美味しくいただける。
トマトソースが大丈夫というのは、料理の幅が広がってとてもよい。わたしはトマトだって好きなのだ。

さて、トマトが熱すれば大丈夫ということは、茄子もいけるのでは?
なにせトマトは別名「赤茄子」というくらいだ!
そう思ったが、そもそも茄子は火を通して食べることが多かったので、果たして大した意味はなかった。いつもより余分に火を通してみても、痒いものは痒かった。

最終的に、食べる前後に抗アレルギー剤を飲むことで落ち着いた。別に解決になった気はしていないし、実際になってもいない。好きなものを排除しなくていいようにするための、ただの乱暴な作戦だ。
この薬はわたしの皮膚の荒れがとんでもないので、痒み止めに朝晩に飲むように皮膚科で出されているものなのだが、いつもうっかり飲み忘れてしまう。
だけどどういうわけか、めっちゃ茄子食べるぞ!というテンションのときは、きっちり思い出せる。たぶんわたしは、食欲全振りで生きている。

朝晩の食事に多量の茄子を取り入れれば、きっと薬を飲み損ねることもないのだろう。ただ、アレルギーを抑える薬を飲みたいがために積極的にアレルゲンを摂取するのも本末転倒というか、知的生物としてはいかがなものかと思うので、別に試しはしないけれど。

・好物で体調が悪くなる悲しみ

たぶん、人生のうちで食べ過ぎちゃったんだと思う、茄子を。それは思うに、わたしが好物に走るタイプの偏食家だからではなかろうか。
嫌いなものはこれといってないが、好きな食材ばかり選び力一杯食べてしまう。母親になってみて初めて栄養バランスというものを考えられるようになったが、それ以前はひどい有り様だった。それこそ、焼き茄子だけで毎食お腹いっぱい、みたいなことはザラにあった。

花粉症というのは、コップに水を溜めて、溢れ出したときのように、アレルゲンが体内の限界値を越えたときに発症するのだと聞いたことがある。
それで言えばキャパオーバーを起こすほど、すなわちわたしの人生における一生分の茄子を食べたのだ。

しかし、いかに一生分の茄子を食べたと言えど、気持ち的には満足していない。これから先の人生も、茄子うめー!とか言って生きていたいのだ。
いっそ嫌いな食べ物になってくれればいいのに……劇的に症状が出ないから、下手に食べられるからこそそう思う。だって本当にアイツが大好きなのだ。

・好き嫌いじゃないんだよ!

アレルギーに関しては、ない人にはよくわからないものなんだろう。
好き嫌いの範疇と勘違いされることがある。

いつだったか、フルーツの盛り合わせをいただくときに、皿に取り分けてくれていた友人が、わたしにこう言った。
「ぴよさんは、メロンだけね!」
何年も前から親しい友人で、幾度も食事を共にしていた。わたしにいろいろなアレルギーがある話もしていた。フルーツを食する機会は多かったので、食べ物だとメロンが特にダメで、別に好物といったわけでもないから避けていることは、昔から知っていたはずだった。
きっと彼女は、ちょっとした冗談のつもりだったのだろう。

でも、わたしは1ミリも面白いと感じなかったし、笑顔でのたまう友人に、むしろ嫌悪感を抱いた。
味や触感が嫌いだから選ばないのではく、体調を左右されたくないから選びたくないのだ。アレルギーの程度によっては、選択肢に入れることさえできない人だっている。
でも、アレルギーがある人とない人の認識の差なんて、下手したらこんなものなんだろう。
手渡された皿には、メロン以外のフルーツがきれいに並んでいた。やっぱり冗談だったとわかって、内心、余計にムッとした。


最後にこれだけは主張しておきたい。
アレルギーがない人でも、ちょっとでもいいから頭の片隅に置いておいてほしい。知識のない人には、教えてあげてほしい。
アレルギーは好き嫌いの問題じゃない。場合によっては死に直結する、命の問題だ。

わたしのことに限って言えば、基本的には直ちに命に関わるレベルではない。だから、好きなものだったら、食べたいときに食べる。欲に駆られて大量に食べて、どうにもならない痒みで後悔したことだってある。
気分と体調によっては、例えばそれが人様からご馳走になる場合であっても、申し訳ないけれどこれは今食べられませんと断ることもある。
平気なときは平気でも、今日はそうじゃない日とも限らないからだ。ワガママだと思われるかもしれないが、タイミングを選ぶ権利は、自分にあるべきだ。
そういったときは、アレルギーがあって……と、一言添えるので、ああそういうものなのかぁくらいに思っていただけると大変ありがたい。自分が勧めたもので、誰かの具合が悪くなるのを見たい人なんて、そうそういないだろう。
わたしからは以上である。

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