『一体性幻想批判』雑感2

<事前確認と見立て>
「道元の一体性幻想批判1―道元の特異性、超脱性と道元解釈史における経豪思想の呪縛、その一体的把握について」


 先ず確認しなければならないことは、管見によると数多い道元の著述の中でも、道元自身による「一体」という語の使用は、七十五巻本『正法眼蔵』にはなく、次のように、十二巻本『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」巻(また、道元に帰される『仏祖正伝菩薩戒教授戒文』<同6,212p>。道元のものでないとするとこの例は消える)で「一体三宝」をあげている箇所にとどまるということである。

住持三宝 形像・塔廟仏宝。黄紙・朱軸、所伝法宝。剃髪・染衣・戒法・儀相僧宝。
化儀三宝 釈迦牟尼世尊仏宝。所転法輪・流布聖教法宝。阿若憍陳如等五人僧宝。
理体三宝 五分法身名為仏宝。滅理無為名為法宝。学無学功徳名為僧宝。
一体三宝 証理大覚名為仏宝。清浄離染名為法宝。至理和合、無擁無滞、名為僧宝。
 かくのごとくの三宝に帰依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三宝の名字、なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや、帰依したてまつることをえむや。
                   (春秋社『全集』2、374p)

 使用といっても道元自身の思想の根幹を表わすものではなく、引用としての例示であり、いわば利用といえるものであろう。
 七十五巻本『正法眼蔵』には一例もない。

 道元在世当時でさえ「一体」という語、表現は思想文献、仏教文献に氾濫していたにも関わらず、また道元がこれらを知らなかったとは考えられないにも関わらず、道元はこの「一体」という語を用いてはいないのである。他の仏教文献と比べると道元が「一体」という語を意識的に避けたとしか考えられないほどそれは徹底している。そこから考えると、道元がこの「一体」という語、表現を避けた点にこそ道元思想が積極的に評価される面、一つの特異性、超越性があるとは考えられないだろうか。
 そしてこの「一体」の語の忌避、回避は潜在的にであれ、ある種の、それは特殊的なものかもしれないが、「一体性批判」をも表わしていないだろうか。

 それにも関わらず、道元の著作を解釈し解説する際、現在でも「一体である」と説かれることが多い。例えば「道元はここで月と水は一体であることを説いている」などと無批判にも学術論文等にさえ出てくる。

 「一体」の語を用いた解釈、「一体釈」が行なわれるのは、成立史的問題も孕んでいるが、七十五巻本『正法眼蔵』に対する現存最古の註釈書『正法眼蔵聞書抄』(詮慧の「聞書」と経豪の「抄」を合わせて経豪が纏めた書。延慶元年、一三〇八年)からである。「聞書」に四例、「抄」では九十例ほど見える。
 道元自身が、ある意味、意識して積極的に避けたと考えられるにも関わらずである。二例をあげよう。

此馬祖ノ常(ママ)体即法性ナリ、ユヘニ馬祖道ノ法性ハ法性道ノ法性ナリト云ナリ,、馬祖与法性、一体ナル理カ、馬祖ト同参ス法性ト同参ナリ、トモイハルルナリ(中略)法性騎馬祖ナリトハ、法性ト馬祖ト一体ナル道理ヲ、馬祖ノ詞ニ騎ト云詞ヲエムナルニヨリテツケラレタルナリ、所詮只馬祖ト法性ト一体ナル姿カ如此イハルルト可心得
 (泉福寺本「法性抄」『永平正法眼蔵蒐書大成』一 三、四三五|四三六)

タトヒ火珠、水珠ノ所成ナリトモ即現現成トハ、只心月ナ ルヘシト云ナリ、心与月一体ナル事ヲ被明ナリ、仏祖ノ 心ヲ談スル道理、如此ト云
        (同「都機抄」『永平正法眼蔵蒐書大成』一二、二八九)

(注・右の「抄」で引かれる『眼蔵』本文の「即現現成」の句は、泉福寺本と同様に森福寺本<『蒐成』続一〇、四二〇>、万仞『秘鈔』<同二二、六六六>、万仞『傍訓』<同二三、二一〇>でも同様に書写されている。
 因みに「即現成」と書写する写本は乾坤院本<同一、二一八>、龍門寺本<同二、二八四>など)


 直弟子、詮慧(懐奘とともに「興聖寺語録」の編者でもある)の『聞書』では僅か数例であるが、経豪の「抄」になると増加している。
 もちろん、先にも述べたように、この「一体」という語は、仏教文献、禅文献に限らず様々な分野の著述等に頻繁に、あたかも当然のように用いられるが、そこにはまた各々の思想上、教理学上の意味付け、意味合いというものがあろう。
 しかし七十五巻本『正法眼蔵』解釈という点に限れば、道元が意識的に避けたとしか言い得ないこの「一体」という語を、経豪が解釈に用いたことは、註釈書であるから「誤解」とまではいえないまでも、それは「経豪の解釈」「経豪の思想」であることは間違いないであろう。ある意味、他の文献上の表現との共通化、一般化を図っているのかとも邪推するが、道元思想の特異性、超脱性を表わすと考えられる「一体」「一体釈」の忌避、回避、さらに想像を逞しくして述べることが許されるのならば、道元思想の特質、超脱性とそこに内包する一体性批判に背くものであるともいえる。

 それを現在に至るまで「AとBとは一体である、一体性を道元は説いている」などというが、それは『聞書抄』、特に経豪の「抄」の理解であり、それは実際、「道元の思想」ではまったくなく、「経豪の思想」であると言わざるを得ない。「抄」の注釈に依って『正法眼蔵』を解釈するという読みの姿勢なら妥当であろうが、それは道元の『正法眼蔵』からは、解釈を踏まえる宿命上、乖離するのみならず、その特異性、超脱性をまったく無化、無みするものになる。
 また、繰り返しになるが道元自身が意識的に避けたと思われる語を用いての解釈となると、解釈を踏まえた理解ではすまない。道元思想の本質を見誤ることにもなり、それをあたかも道元の思想として世に流布、流通させてしまうことにもなる。

 『聞書抄』は、江戸期にいたって全体的批判、局所的批判もあったようだが、いずれにせよ『正法眼蔵』解釈の一つの「標準」として用いられる。その後も今日に到るまでこの呪縛を脱してはいないように感じられる。
 しかし、またまた繰り返しになるが、道元は七十五巻本『眼蔵』では、このような無批判で安易で、ある意味「決定的」な言葉は用いていない。七十五本については一例もない。それは道元自身が避けたと思わざるを得ないほど徹底している。

 勿論、道元自身「一如」「一等」という語は使うが、これらの語には道元禅の特異な思想性があり、それがそのまま単純に無批判に「一体」を意味するものではないであろう。もし一体であるのなら、なにより道元自身が一体の語を使って説いていただろう。
 道元は自身の思想を非常に慎重に論理的に語る。「一体」という非論理的、論理超越的な言葉は使わない。
 この道元のいう「一如」「一等」また「同参」という概念は「一方を証するときは一方はくらしに」(『正法眼蔵』「現成公案」巻。春秋社『全集』一、三)の論理に通じるものであろう。

 道元が説いた「一如」「一等」「一斉」また「同参」等の語を、経豪は「一体」を意味すると捉えた。それは経豪解釈の独自性ではあっても、道元自身が避けたといえる語を用いたものであり、そう考え得るとすれば、道元の一体性の忌避と回避、もっといえばそれに内包する一体性批判に反するものでもある。経豪の独自な読み、理解であるにも関わらず、ここれを今でも道元の思想だと説明している。

 道元は「同体」という語ですら、管見によると『正法眼蔵』に関しては、十二巻本「四禅比丘」巻で以下のとおり『嘉泰普燈録』の「序」を引用し、雷庵正受と弧山智円の三教一致を批判する箇所での引用と『永平広録』での引用のみである。

いま大宋国に寡聞愚鈍の輩多し。かれらがいはく、仏法と孔子・老子の法と、一致にして異轍あらず。
大宋嘉泰中、有僧正受、撰進普燈録三十巻。云、臣聞孤山智円之言曰、吾道如鼎也。三教如足也。足一虧而鼎覆。臣嘗慕其人稽其説。乃知、儒之為教、其要在誠意、道之為教、其要在虚心。釈之為教、其要在見性。誠意也、虚心也、見性也、異名同体。究厥攸帰、無適而不与此道会。云云。
 かくのごとく、僻計生見の輩のみ多し、ただ智円・正受のみにはあらず。
                (春秋社『道元禅師全集』二、四二六)

上堂。古云、天地与我同根、万物与我同体。拈起払子云、遮箇是大仏払子、那箇是同箇体、那箇是同箇根。而今不惜性命、為諸人説。良久云、廬陵米価高、鎮州蘿蔔大。擲下払子下座。
  (『永平広録』二「大仏寺語録」。春秋社『道元禅師全集』三、九四)

 経豪には『梵網経略鈔』の書もあり、これは江戸期の万仞による禅戒思想にも響くものかもしれない。


 経豪による『正法眼蔵』解釈の特徴とされる「一方究尽」概念或いは「一法究尽」概念はスケールの大きな認識論、存在論を説くものだとは思うが、「絶対的一体性」に論理的根拠をもつものと考えられる。先にあげた「都機抄」と、これに続く経豪の注釈をあげる。

タトヒ火珠、水珠ノ所成ナリトモ即現現成トハ、只心月ナ ルヘシト云ナリ、心与月一体ナル事ヲ被明ナリ、仏祖ノ 心ヲ談スル道理、如此ト云
       (同「都機抄」『永平正法眼蔵蒐書大成』一二、二八九)

法与心一ナル道理ヲ被述テ、心ハ月ナルカユヘニ月ハ月ナルヘシトアリ、所詮心与法、月ト全不可各別ナリ 、尽界月ナルユヘニ、遍界遍月通ナリ身悉通月ナリトアリ 、只月ノ一法ノ究尽スル所、諸法月ニアラサル道理ナキ所ヲ、心モ月、遍界モ月、通身モ月ト被落居ナル
                     (同一二、二八九ー二九〇)

 月の一法究尽を説いているが、これは先に心と月を一体と捉えた上での、諸法、様々な事象(月、心、法)に関わる一法究尽である。
 経豪においては、AとB・・・n(万法、万物・多種、多様なもの)が一体であるから一方究尽なのであり、一体性に絶対的な論理的根拠のみならず思想的根拠もおいているといえる。
 それをまた更に全体に広げる。そうして一体性を根拠にした「経豪の法界概念」、経豪の理解した「仏法の境界概念」、経豪の「仏法の境界フレーム」というものが出来上がる。つまりはすべてこの「一体(性)」に根拠をおいているということである。『正法眼蔵』理解において経豪にとっては「多様と一」は同じことなのだ。
 『正法眼蔵』で道元が説く「一方を証するときは一方はくらし」は決して一体ではない。
 道元の思想は、一体の語で突如結論が出るようなものではないであろう。あたかも現象上、個々の身体や心のように、それ固有の差異性を維持しながら、止まることなく無窮に展開するものだと思う。

 にもかかわらず多くの人々がこの相違を意識することなく本来、本質的に「経豪の思想」であるものを「道元の思想」のように捉えている。またこれはこれで一つの立場ではあろうが、経豪の思想と道元の思想を等号で結んだに過ぎない。

 「承前」で述べたような一般的「一体性幻想批判」をおこなう上で、なぜここでこんな道元思想、特に『正法眼蔵』解釈史に対する大ざっぱな卑見を縷々、述べたかというと、一般的「一体性幻想批判」の土台に、繰り返し述べてきた道元の一体の語の忌避、回避とその特異性、超脱性をおきたいと思ったからである。それにあたり道元は一体を説いているなどと思われてはマズイ。そこで以上のことを述べた。

 自分の一体性幻想批判を今後、述べるにあたっての事前作業である。


(続くだろうと思う。あと間違ってたら言って。すぐ止めて違うことやるから)


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