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「諦める力」を読んだら私の世界が広がった

「諦める力」がないと人生がいくつあっても足りない

先日為末大さんの書かれた「諦める力」を読んだ。

日本人は諦めることを「逃げる」「挫ける」といったマイナスなイメージから極端に嫌う傾向がある。

しかし目的を達成するためにひとつの方法に固執するよりも、他の方法から目的を達成するという考え方もできるのではないか。というのがこの本の幹。

一度決めた目的は自分自身の核となって、その人を突き動かすエネルギーになる、しかしその結果、心身ともにボロボロになってぶっ倒れるか、時間の掛け過ぎによって戻ることのできない状態に陥ることもある。

生まれてこの方「努力することの大切さ」をあらゆる大人から説かれてきた。しかし、具体的な「努力の仕方」を教えてもらったことはない。

ただひたむきに、愚直にひとつのことに向かい続ける姿勢の全てが「素晴らしい」とされる風潮に違和感を感じた。ときには新しいことに関心を向けて、挑戦することで別のルートから目的を達成する事だってできる。

取り組み始めたらそこから離れてはいけない。それこそが人間のあるべき姿。いつからそんな雰囲気が漂い始めたのだろうか。そんなことをしていたら人生はいくつあっても足りない。

「正義」を振りかざすことだけはしたくない

大舞台で成功した選手がインタビューで「諦めずに努力してきたからここまで来ることができました」と話すことがある。その人にとっては間違いなくそうなのだろう。しかし、誰もが諦めずに努力し続けば思ったような結果が出るわけではないことは既知の事実である。

それに努力し続けられることもまた才能のうちで、結果が伴うから努力を努力と感じず突き進んで行けると考えることもできる。もちろんそれでも血の滲む努力をされてこられる選手はたくさんいるのだろうが。

為末さんの本の中でもこのような趣旨の話が出ていた。

為末さん自身が若かったころ、自分より遅い選手に対して「私は君たちの3倍努力しているから、負けるはずがない」と思っていたそう。

年齢などの理由で努力を努力と認識してしまった途端に練習がきつくなった時、この発言をしたことを後悔したと言う。

こう言ったインタビューを聞いたコーチが子供たちに「ほら、金メダリストがこう言ってるからお前たちも努力し続けろ。」と言うのはあまりにも短絡的で、下手をすれば素直な子供達の人生を縛り、可能性自体をを狭めることになっているかもしれない。本当ならそこで見切りをつけて新しいことにチャレンジできていたかもしれないのに。

誰でも初めに選んだ方法でそのまま目的を達成したいと思う。人間の一貫性の原理がそうさせている。筋が通っていないと気が済まないといやつだ。

その方法のままで最後まで成功する人は本当に一握り。どこかで新しい何かに挑戦することになる。そのときにこの本を読んでいたことで、自分を肯定するハードルが下がりそう。

今日は短めですがこれくらいで。

P.S.サッカー高校選手権の決勝、青森山田高校の黒田監督のマナー違反について最近考える機会がありました。フェアプレー、マナーってなんなんでしょうね。

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本日もお疲れ様でした!

筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽

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