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こころさびしき12月病

チョコがだめな人もいる。夏がだめな人もいる。育ってきた環境がちがうから好き嫌いは否めない、と某まさよしさんも歌ってたし、みんなが好きなものが、わたしは好きじゃない!ってことって、ぜんぜんある。

僕にとっては、12月だ。

12月といえば、クリスマスやら年末やら、わりとめでたい時期感がある気がする。個人的な話をすれば、誕生日も12月。ほんらいなら、ひゃっほう!と小躍りしてもいいくらいのものだが、ぼくはこの12月ってやつが、めっぽう苦手なんである。

毎年、12月が近づいてくると、気持ちが落ち込んでくる。

まちはイルミネーションで彩られ、ショーウィンドウにはきらきらと包装されたアイテムが並び、駅前ではカップルが手をつないで歩いてる。なんとうか、街ぜんたいが「しあわせ感」でみちてくる。

そんな「しあわせ感」と反比例するかのように、僕の気持ちは、ずーんと落ちる。かなしいやら、わびしいやら、なんともいえない気分になって、うつむきがちに家路を急ぐ日々。「師走」のほんとうの意味は「まちのしあわせ感、マジしんど!とおもって家まで走って帰る」ってことなんじゃないか、とすら思う始末なんである。

なんていうか、まちが「しあわせだよね?ね?ね?」って、詰めてくる感じ。心から「もち!しあわせよ!」と言えない自分は、この星に馴染めない宇宙人、みたいな気がしてくる。

12月の渋谷スクランブル交差点にまぎれこんだ、宇宙人。それが僕。

が、映画『MIB』だって、地球に宇宙人がたくさん紛れ込んでたじゃないか。実は僕以外にも、「12月、しんど」と思ってる宇宙人がいるのやもしれぬ。と思っていたら、案の定、Twitter(X)で「わたしもです」というコメントが来た。よかった。僕だけじゃないのか。

しあわせな人に罪はない。しあわせな街にも罪はない。だってべつに、「12月はしあわせにすごさねば重罪」みたいな法律があるわけじゃないのだ。

だけど勝手に、落ち込んでしまう。自分だけはしっぽりと、いつもどおり、つつましく暮らしていればいいだけのはなしなのに、なぜかかなしい気分になって、「はやく過ぎてくれ!」と思ってしまう。なんなんだろう、この気持ちは。

こころさびしき12月病。冬眠中の熊みたいに冬があけるのをじっと待つのみ。

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