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「もっと嘆いてもよくない?」こうして僕は心の中の松岡修造に別れを告げた。

何年か前、松岡修造さんの本を買って読んでいた。ネガティブになりがちな自分の性格に嫌気がさして、修造さんの熱い言葉に触れたらポジティブにもなれるんじゃなかろうか、という期待を持って手に取ったのである。

「いけるよ!」「目標を持とう!」「くじけるな!」

たしかに修造さんの言葉に触れると、「おお、がんばろうか」という気持ちにはなる。ただ、なにか違うな、と思って、それっきり本はどこかに行ってしまった。

あの、「違うな」はなんだったんだろう。


あるとき、グラフィックファシリテーターとして活躍する畑中みどりさん(どりちゃん)がランチをしたとき、ふと「今って、”祝い”と”嘆き”の機会があまりないんですよね」と言っていた。

どりちゃんが講座を開いている「NVC(Non Violent Communication)」の考え方では、”嘆き”と”祝い”を大切にしているらしい。僕はNVCを学んだわけじゃないから、くわしいことはわからないけれど、”嘆き”と”祝い”が大切だということを聞いて、直感的に「あぁなるほど」とやたら納得したのだった。とくに”嘆き”について。

ある意味僕らがやってる「ほめるBar」は”祝い”の機会だし、TwitterやFacebookを開いても、「こんなことやりました!」「結婚しました!」「誕生日でした!」という投稿は多い。でも、”嘆き”の機会ってあまり多くないのである。

僕もSNSでなかなかネガティブなことは投稿しないのはもちろん、友達や恋人や家族の前でも、「実は今こんなことが不安で…」と、胸の内を吐き出すことはけっこうむずかしい。「そんな弱音を吐くな!下を向くな!前を向くんだ!」という、胸の中の松岡修造にゲキを飛ばされる気がするのだ。たまに「いけ!ほら!スペース空いてるだろ!」と胸の中の松木安太郎まであらわれる。松岡修造と松木安太郎。心が元気じゃないと、だいぶ胃がもたれそうな組み合わせじゃないですか。

それに、「こんなこと言ったら相手もネガティブな気持ちになって、申し訳ないな…」という気持ちにもなるし。

いやはや、”嘆き”、むずい。


でも、僕は経験上、”嘆き”きると自然と気持ちが上がってくるのだ。ほら、シューティングゲームとかで、画面の片端までずーっと飛んでいくと反対側の端から出てくる、みたいなのあるじゃないですか。え、ない?

でもまぁそんな感じで、”嘆く”ことをやりきると逆にポジティブになる。”嘆く”ことを自分に許していない状況は、自分の一部を許していない状況であるともいえる。そう考えると、それはつらくもなりますわ。とくに、世のおじさんたちは「大人の男はこうであらねば」みたいな呪縛に縛られて、なかなか嘆くことができんないんじゃないかな。

”祝い”、そして”嘆く”ことは、自分を全部ひっくるめて抱きしめてあげること。なので、もっと嘆きたいのである。

もう、なんか目立つことやりたいだけでもはや目立ちもしなくなっているフリーハグはいいので、嘆きあえる場がほしい。誰か「フリー嘆き」みたいな看板立てて、話聞く活動やってくれないかな。ハチ公前あたりで。そしたら世の中にポジティブな人が増えるかもしれない。


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