自由に家族をつくるためには、「家族主義からの脱却」が必要? -『結婚と家族のこれから』筒井淳也-
家族に関する連載のなかで、「家族は自由になっている」と書いたことをちょっと反省している。というのも、さいきん読んだ『結婚と家族のこれから』という本で、「それはちがうぜ」といったことが書かれていたからだ。
『結婚と家族のこれから』の概要は、こんな感じ。本の紹介ページからの抜粋でご容赦を。
著者の筒井淳也さんによれば、現代社会で起きているのは「家族の自由化」ではなくて、「共働き社会化」だ。
もうちょっとくわしく説明すると、「男性も女性も経済的に困窮せず、その上で自由に結婚したりしなかったりする」という「リベラル派の理想の親密性」は、実現していない。
実際に起きているのは、男女がともに協力して家族を支える「共働き社会化」や、それ以外の不安定な家族(シングル子育て世帯)や単身者の増加だ、という。
筒井さんは、「家族や結婚のかたちは、経済的な生活基盤に応じてある程度決まる」という。たとえば、武士の社会では、食べていくためには戦で功を成すことが重要で、そのためには手柄を立てて「家」を確立させた人物の血を引いていることが重要視される。そのため、単婚や一夫多妻、家父長制が広まっていった。
じゃあ、現代社会はどうして「リベラル派の理想の親密性」が実現せず、「共働き社会化」が起きているかといえば、次の3つの要因があるらしい。
裏を返せば、「安定した雇用が男女ともに行き渡り、家事や育児のサービスがなんらかのかたちで提要され、高齢者が少なく、それを支えるコストが小ければ、「リベラル派の理想の親密性」に近づくのだ。だけど、ご想像のとおり、そんなの無理ゲー。条件はなかなかそろわないのだ。
だからこそ、人々が自由に家族をつくるためには、「家族主義からの脱却」が必要だと筒井さんはいう。
具体的には、雇用が供給されたり、家事や育児へのサポートなど、行政やNPOなどからのサポートによって、家族がなくても生活できるような社会を実現していく必要がある。
自由に家族をつくるためには、「家族主義からの脱却」が必要…というのは逆説的なようだけれど納得感がある。そういえば、家族連載で紹介した池田家がすごく自由だったのは、地域に依存先を増やすことで、家族がなくても生活できる状態をつくっていたからだった。
(参考:「家族を「しがらみ」じゃなく「自由の基地」にするために、今日からできること。“個人を自由にする家族”を、神戸市長田に訪ねる。」)
個人の目線からいえば、どれだけ家族以外に依存先を増やせるか。それが、自由に家族をつくるために必要になってくるんだろうな。
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