高校ラグビー全国大会を見て

全国高校ラグビー大会が12月27日開幕しました。花園ラグビー場は、昨年のラグビーワールドカップ日本大会の会場になり、様変わりしました。
 私が、高校生だった時、チームは、京都でもベスト4に入る比較的強豪校と呼ばれる高校でした。最終学年の秋、準決勝で苦しみましたが、決勝は難なく勝ち、全国大会の切符を手にしました。
 私は、故あってチームと一緒に花園に行くことができませんでした。みんなの活躍をテレビの前で見ていたことを思い出します。
 今年も、毎年の様に熱戦が繰り広げられて、まさに筋書きの無いドラマが展開されます。勝者は、歓喜の雄叫びをあげ、敗者は悔しさや、寂しさに涙します。
 私も試合を見ていると、ハラハラ、ドキドキします。まして知っている子供達が出ているとなおさらです。
 刻々と時間が過ぎ、残り時間もわずかになる緊迫するベンチを画面に映し出されると、ふと疑問が湧いてきました。「この子達は、最後まで出ないまま終わって行くんだろうか?」。
 よく最後の数分間だけ、申す訳無さ程度に交代を告げられてピッチに向かう姿が見られます。思い出作りであったり、来年に続くという様な理由からでしょう。
 しかし、これでいいのか?という疑問がさらに湧いてきました。18歳といえばまだまだ「育成」の段階です。わずか数分では試合の経験になりません。前提として「高校最後」ということがあるです。
 これは、やはり日本のラグビーが学校体育に依存し、学校の最終学年という節目を持ち、「生涯スポーツ」では無いということです。
 この様な日本のラグビー、スポーツが抱える課題は、メンバーの出場機会だけではありません。大会中、怪我をして決勝前夜まで車椅子だった高校生を次の日にプレーさせる。これは、体は大きく見えても、骨などの発達段階の子供たちの体の負担、将来に大きな影響を及ぼす危険性があります。実際、全国大会に優勝する様な高校でプレーしていたプレーヤーが大学では、怪我が続き、まともに練習も出れなくなっている例があります。高校時代は、監督、コーチに言えなかったと言います。
 3年間という区切りがあり、たくさんの大会に出られない仲間、応援してくれる保護者、たくさんの学校関係者、また、今後の大学や就職などの進路。この様なラグビーそのものとは、違う様々なことが背景にある時、いわゆる「ベストメンバー」から均衡する場面でプレーヤーを交代することができるでしょうか?
 それは、なかなか難しいことでしょう。
今回、高校ラグビーの全国大会は100回目の開催となりました。その長い歴史の中で、多くの淘汰された高校生が存在し、それが日本の高校ラグビーを形作っています。「試合に出れるのは、選ばれたもの」「ベンチに入れるだけ幸せ」という慣習の元に、疑問を持たずにラグビーをやってきました。日本の多くの指導者自身が、その様な経験を大なり小なり経験してきています。
 しかし、本来、ベンチにいる全てのプレーヤーにプレーする機会があるはずです。育成段階の高校生であればなおさらです。
 育成段階の高校生の大会のあり方をもう一度、見直すべきだと思います。例えば、ベンチメンバーの出場時間を必ず与えることをルール化するとかです。そうすると高校生の試合だと25分ハーフで50分の中で、どうやってメンバーを配置するか?という「タイムマネジメント」という概念が育ちます。これは、ラグビーワールドカップ 日本大会で世界の名将と呼ばれるイングランドのエディ・ジョーンズ監督が、「最後にピッチにいてほしい選手からメンバー編成を行った」ということに繋がってきます。誰かの代役ではなく、自分自身の役割としてプレーを捉える。メンバーを序列で考えるのではなく、一人一人の役割があり、一人一人の存在が大切だということが構造的に意識できる様になります。それは、倫理的に仲間を大切しなさいということではなく、「みんなで成長しなければならない」ということが構造的になっていきます。
 また、今回、コロナ禍で全国大会の開催も危ぶまれました。ノックダウン制のトーナメtのではなく、一定地域でのリーグ戦に変えればいいと思います。
 全国大会は、その各地域リーグの1位、2位が競い合うプレーオフ方式なら、多くのチームが無理に集まる必要もなく、滞在費用なども少なくなったり、全国全てのチームがほぼ同じ試合数を経験できるはずです。
 いずれしても、日本のスポーツは、今後、いかに「フェアか?」ということをコーチングにおいても、チーム編成においても、クラブ運営においても、大会運営においても考えていく必要があります。
 
 イコールコンディションであるか?各プレーヤーの出場時間は適切であったか?
今までの様に「自由」と「平等」の名の下にしていては、プレーヤーもクラブも、そして地域も育ちません。
 
 本当に新しい生活方式を現場から考えていかなければ、日本のスポーツは、ますます二局化が進み、最終的にスポーツの価値を失います。

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