努力する人間になってはいけない【2014年8月31日】
気づけば31歳になっております。皆さん祝ってくださってありがとうございました。
久々にちょっと分厚い本を読んでます。図書館で借りました。
ずいぶん前に予約してた本で、順番が回ってきたから借りに行ったんですが、なんでこの本を予約したのか、予約しようと思ったのか思い出せない。笑
読む動機がわからないまま読み始めるという謎の読書は久しぶりです。笑
タイトルは最近のキャッチーな感じですけど、書いてある内容はタイトル通りではない。(それも含めて最近の本ぽいけど。)
書き方は親しみやすい感じで書いてるけど、内容はちょとややこいい。ややこしいというか哲学の知識がないとわからん。のでけっこう読み飛ばしてますが、一部気になった章があったのでそこについて書きます。
以下、引用。
第八章 キャリア教育の諸問題について 学校教育におけるキャリア教育とは何か
接遇=コミュニケーション能力と専門教育
最近の接遇=コミュニケーション教育は間違っている。顧客に感想や需要を直接アンケートする。
本来の接遇は、顧客にわざわざ聞かないで済むための接遇であるべき。
こういった顧客との間違った接遇教育や、コミュニケーション「スキル」主義が、専門教育の衰退を加速させる。
大学や専門学校がキャリア教育やスキル教育に走るのは高等教育の自殺行為でしかない。そんな学校は早晩滅びる。コミュニケーション能力や即戦力を期待する三流企業とともに。
しかし、コミュニケーションなどの抽象的な教育目標は各学部の講座の内容=授業を全く変更する必要がないので、高等教育の学部の教授は反対しない。
教育の本体の改革に手をつけようとしない結果が、キャリア教育の充実という事態を招く。学校本来の教育力で就職させるのではなく、就職ネットワークやパーソナリティ指導で就職させているだけ。
実際、企業が若年者に求める就職基礎能力調査で、「コミュニケーション能力」を上げた企業は85%を超えており、トップの要求をなす。他に、「人間力」「社会人基礎力」「学士力」「生きる力」「創造力」など。。
しかし、これらごもっともな「○○力」も、ここまで言われると、これがどう「若年者就職基礎能力」なのかわけがわからない。これらの「力」能力は、若者に特有の課題ではない。若年者から上になれば自然に身につく能力でもなく、大人の自分たちでさえコントロールできない「コミュニケーション」をなぜ、若年者に特有な課題であるようにでっちあげるのか。だれもコミュニケーション能力を教育できない。
コミュニケーション能力教育の反対は、専門教育に他ならない。
専門的な知識とは、商品知識ではない。
美容師のメイクやカットの技術、獣医師の動物に関する幅広い知識、介護士の食事や入浴などの介護技術は、いずれも専門的な知識や技術に属する。
この種の専門性は、自動車セールスマン=営業にはない。セールスマンが接遇のスキルを会得するようにしては、それらの専門知識は獲得できない。
自動車のセールスマンは、車についてよく知っている人間が必ずしも車をよく売るとは限らない。
セールスマンが車を「知る」ことと、車の整備士が車を「知る」ということは全く別のもの。
言い換えるとこうだ。
セールスマンがどんなに車のことを知ることになっても、その経験を何年重ねても、だからといってセールスマンが車を作ったり整備したりすることはできない。
しかし、車を作ることがでできない、整備できないことはそれ自体、セールスの営業成績とは何の関係もない。
「商品知識」というのは、専門的な勉強と関係なく身につく知識を言う。
「営業の知識」は、限り無く「ユーザーの知識」に近い。専門的な勉強なしには、営業の仕事しかないのである。
セールスマンに「知識」が必要である度合は、その人の人間性、コミュニケーション力が必要という度合とほとんど変わらない。その意味でセールスマンにとって「知識」は単なる道具にすぎない。
それに比べて、美容師や獣医師、介護士などの知識は人間性と代替される道具ではない。それらは「専門的な知識」がないと対象に関われない領域を有する。知識は相対的な道具ではなく対象そのものに関わる。知識の「質」の違いだ。
しかし実際、調理分野と美容分野の両分野は、「技術」職とはみなされず、知識不要な「経験」職とみなされる。
引用はここまで。
特にどこが気になったかっていうのは、最後の「商品知識」と「専門知識」の違い。
これは、私自身がずっと探してた答えの一つでもあるように感じました。
チェーンのカフェで店長職をやっていた頃、コーヒーの商品知識を覚えてたくさん買っていただけるようになった。でも自分でコーヒーを育てたり焙煎したりすることはできない。エスプレッソはおいしく淹れられても、エスプレッソマシンは造れない。
結局自分のできることはコミュニケーションスキルの有無かそのレベルの話であって、他人に代替できるものでしかない。その頃は具体的には認識しなかったけど、そのモヤっとした不満がつのっていたのを覚えてる。
醸造をやろうと思ったのもそう。
普通に、ビールをメーカーやインポーターから買って売るだけだと、コーヒーのそれと変わらない。
転職の際に、ビールメーカーの人と話すうちでもよく聞かれた。コーヒーじゃだめなのか?
コーヒーの業界に入ろうと思ったのは、コーヒーを飲むのが好きだったし、商品知識の世界観が好きで、カフェ文化が新興だったからだ。
商材が、コーヒーと状況が似たビールになっても、確かに同じようなもんだろう。
だからこそ、特にブルーパブに限定したことは、専門性に起因する。
ビールの商品知識がいくらあっても、ビールは造れない。それが嫌だった。
転職する意味もない。
この専門性・専門知識に対する執着は、20代後半からより強くなって、おそらく大学に進学しなかったコンプレックスが影響してる。
自分は大学にいかなかった4年間で、社会人として大きくスキルを伸ばして同年代と差をつけたと思っていたけど、なんのことはない、得られたスキルは代替可能なコミュニケーション力や「経験」的スキルでしかない。
あー、、、こうやって書いていくと、より一層、自分を理解できる。笑
ブルーパブはきっとおもしろい。ただし、私が思うブルーパブは、造った人が、造ったビールを自分で注いで売る。ブルーパブは製造業じゃない。飲食業であり、サービス業。それも重要。
営業の商品知識やコミュニケーション力を有する人間が、専門知識も有する。
別に多くの業界では珍しいことではないと思うけど、このビールの業界ではまだあまり見かけない。これが面白いと思う理由。
この本は全般を通して、けっこう興味深い内容ではあるけど、
今の自分の知識じゃ到底理解しきれないし、今はそういうタイミングでもなさそうだ。
またゆっくり読みたいと思う本。
今日は久々に土曜日を完全にオフにしてもらって、リフレッシュしたと思う。
専門知識を手に入れる時間がもっと必要か。
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