チョコレートの真実【2012年12月12日】

チョコレートの真実 キャロル・オフ著 北村陽子訳


久々に読み応えのある本でした。

私たちにとって身近なお菓子であるチョコレート。

それの原料となるカカオの生産に関わるダークサイドのお話。


●カバー折り返し部分 「私の国には学校へ向かいながらチョコレートをかじる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる。少年たちの瞳に映る問いは、両者の間の果てしない溝を浮かび上がらせる。なんと皮肉なことか。私の国で愛されている小さなお菓子。その生産に携わる子供たちは、そんな楽しみをまったく味わったことがない。おそらくこれからも味わうことはないだろう。・・・これは私たちの生きている世界の裂け目を示している。カカオの実を収穫する手と、チョコレートに伸ばす手の間の溝は、埋めようもなく深い。」(本文より)


安価なチョコレートの原料には、不当に搾取される生産者、強制労働⇒奴隷扱いされる児童労働の命が含まれている。


本の大部分は特にコートジボワールにおける児童労働の惨状と、利益を貪る先進国大企業の権力について詳しく書かれている。


カカオはもともと南米に自生していたもので、マヤ人にとっても貴重なものだった。

スペイン人の侵略により、ヨーロッパに渡った後も上流階級の貴重な存在だったが、現在のチョコレートとして製造されるようなると世界的に愛されるお菓子になる。


世界的な需要拡大に合わせて企業も大きくなり、カカオが大きなビジネスになっていくが、遥か昔から今も変わらず搾取されるのはカカオ生産者のようだ。これは、不当に安いカカオの価格による。

カカオの市場価格を保証する制度や協会も多くあったようだが、企業利益からの圧力により潰され、価格は下落し続けることになる。

また、カカオが育つ熱帯亜熱帯のカカオベルト地帯、カカオ生産国は発展途上国であり、政治的経済的に不安定だ。


特にコートジボワールの腐敗についての取材は突っ込んだ内容が多く、著者自身もかなり危険を伴っていると思う。

この国ではカカオ生産者らは内戦による生命の危険も伴い、兵士への賄賂や権力者への納税などなど生産コスト以外にもすでに搾取されているが、さらに、不当に安い価格に抑えられる企業からの圧力がある。

カカオ農園の経営者は、この厳しい負担を少しでもマシにするために、児童労働を強いることになる。

奴隷となる子供たちは、みんな騙されたりさらわれたり、時には親に売られてやってくることもある。

人身売買業者が公然とおり、子供たちをあっせんしていて、農園経営者はその業者に金を払うことで労働力安く買っていることになる。

(しかし、農園経営者らは、子供たちがその人身売買業者から給料をもらうはずだと言い張っている。そのため児童労働は奴隷ではない、と信じようとしている)


本の内容としては、世界各国の様々なカカオ生産地がほとんど同じように利益を搾取され、不当な扱いを受け続けている現実を伝えている。

そして、その原因は完全にチョコレート業界・企業にあると結論付けているように書かれている。


児童労働の問題はチョコレートだけでなく様々な業界で取り上げられていると思います。

本の中で特に気になった箇所がいくつか。


児童労働は絶対悪なのか?

ある特定の業界で従事している児童労働が単純に禁止されてしまった場合、結局子供たちはもっと危険で不当に安い給料で他の仕事に就かざるを得なくなる。それこそ奴隷や売春などが増える結果もありうる。

子供の稼ぎが必要な場合も多く、子供を労働の場から排除することよりも、子供でもできる危険のない仕事や就学に影響のない労働環境を作ることが大切なのでは。


●人権と経済的要請の間に一線を引くのはかなりの難題だ。それはまた、倫理問題に敏感で、問題の白黒はっきりつけたがる消費者にとってどこまでが許容範囲なのかを、見極めることでもある。(本文より)


消費者は、自分が物を買うとき、それが倫理的に正しくないものに嫌悪感を示す。が、その反面(か、それ以上に)価格に対しても強い抵抗感を持つ。


なんでこれこんな安いんだろ?って思うものいっぱいありますよね。

デフレだなんだって言って企業も苦しんでますが、その根底にはやっぱり第一次生産があってそこにしわ寄せが来ます。

日本では奴隷や強制労働ほどひどいことはないとは思います。

が、私たちが口にしているもの、使っているもの、目にするものの大半はすでに日本で作られているものではなく、世界中から集まってくるものです。

日本の物価の低下って、結局世界中の貧困と密接に関わってくるんだなと。

目の前にある様々な低価格な商品。これらがどこまで倫理的に正しく作られているのか、もはやそれを確かめる消費者はほとんどいないようになってしまっていると思う。かくいう自分自身もそんな消費者だと正直思う。


でもこの本で書かれていることはカカオだけじゃない、グローバリゼーションの根本的な問題と、先進国の消費者の無関心を指摘する。


しかし、もちろんこういう問題に目を向けてなんとかしようという運動もある。

フェアトレードはこの手の問題でもっとも期待されている運動。コーヒーにももちろんあります。

簡単に言うと、生産者に公正で公平な価格で、長期的な取引を約束するってこと。


これによって農民は確かにそれまでより豊かな生活できるようになり、安定した収入が得られるようになった。

しかし、フェアトレードを必要としているのは実は生産者ではないと指摘している。

フェアトレードの商品を買うことで、消費者が倫理的に正しいと安心したいから、だ。

先進国の罪悪感を慰めるために、フェアトレードは必要とされている!


この理屈が正しいのかどうか、、、しかし、現実にフェアトレード商品は売れる、というマーケティングリサーチによって、フェアトレード商品を扱う企業を買収する大企業(それまでアンフェアトレードによって利益を貪っていた立場にも関わらず)が多い。

そしてその結果、フェアトレードは現在その定義がねじまげられようとしている。フェアトレードやオーガニックの商品が欲しいけれど、もっともっと安く手に入れたい消費者の要求によって、大企業はもっと安いフェアトレード産品を捜し求める。

結局、こういった運動も市場原理主義に吸収されてしまったと言える。


フェアトレードの認証を受けるのも、生産者にとっては大変なハードルを課せられる。

膨大な量の書類とその莫大な費用は、全て生産側が負担する。識字率の低いカカオ生産国の農民にとって、英語で書かれている書類を理解することがすでに無理な話。フェアトレード認証機関のハードルの高さも問題があると思う。


世界規模で読むこの本は、本当によく書かれていると思います。

また、訳もすばらしくて、読み物としてもすごく惹き込まれました。

これからまた考えることが増えそうな、また読み返したくなる本でした。

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