「調味料を考える」
#foodskole 「2021年度前期Basicカリキュラム」
第六回目の授業は6月22日火曜日、「食材の始末を考えて料理をするということ」
この授業の課題は、さまざまな問題に配慮することで、料理すること、食べること、買い物することが難しくなる。楽しくなくなる。窮屈になる。そうならないための視点とは。
講師は、日本料理一灯の長田勇久さん。
この授業に関して、私は「食材を食べるために知る」と「調味料を使いこなす」というふたつの視点でレポートを書きたいと思った。これはそのふたつめ。この内容はもしかしたら授業の内容とは直接関係がないかもしれないので、番外編として書いてみた。
書いてみて「調味料を使いこなす」というよりは、「調味料を考える」に行きついたので、題名はこちらに変更した。
調味料の宝庫
授業に入る前に、長田さんの「なぜ愛知で多種多様な発酵調味料が造られ、文化として根付いたのだろう?」という記事を読んだ。
愛知県が食に関して東西のフォッサマグナ的位置づけであることは知っていたが、こんなに多様な調味料の生産地であるとは知らなかった。愛知県といえば、八丁味噌とたまり醤油のイメージ。
とはいっても、自分で長年愛用しているみりんは角谷文治郎商店の三河みりん。以前は日東醸造の白だしも愛用していた。私はこだわって使っていたものが、どこで作られているのか知らなかったのだ。これは恥ずかしい。
どうして調味料の宝庫になったのかは、長田さんの記事に詳しく書かれている。
この記事を読んで、自分がこれまで調味料に対峙してきたことの中で、自分が調味料を選択するために意識してきたことが、長田さんが授業で話していたことやこの記事にもつながるものがあるだろうかと、文章にしてみることにした。
家庭料理は食材よりも調味料
我が家の調味料のストックは一時期、砂糖、塩、醤油、味噌、みりん、酢、香辛料しかなかった。
マヨネーズはほとんど使わずに黄色くなって冷蔵庫に眠っていたし、ドレッシングは色々買って使いきれない。ソースもケチャップもほとんど使わず、空けてから2年は過ぎていた。
家族はみんなマヨネーズもケチャップも嫌いだし、ソースは揚げ物をするときくらいしか使わないが、そもそもうちでは揚げ物をほとんどしない。
ドレッシングは、そのころ見たフランス映画で、ジュリエット・ビノシュが小さなボウルに塩とハーブと油を入れてティースプーンでかきまぜて極上のドレッシングを作り、ジャン・レノに食べさせるというシーンを見て、「なんだ食べる分だけ作ればいいんじゃないか」と思ったのだ。
常備する調味料は、大きな工場であろうが小さな会社であろうが、昔ながらのきちんとした材料と製造方法で作られたものを買うことにした。
私が化学調味料が苦手なのと、いろいろな諸事情で我が家では昆布と鰹節や宗田節でダシをとる。たまに干しシイタケなども加わる。基本的には、そのダシと相性がいいかどうかが調味料選択の決めてだった。
「調味料はいいものを」というと、ふだん1ℓ300円くらいのみりんや酢が1000円くらいになる。だいたい3倍くらい。でも、これが数万円なら考えるが、せいぜい月に1回くらいの買い物で700円くらいの差であれば許容範囲だった。
いいダシでいい調味料を使うと、セール品の切り落とし肉で極上の豚丼が作れる。
みりんと醤油で肉を少しつけておく。フライパンで砂糖をキャラメル化させて、そこに肉を入れて焼き、つけ汁を入れて煮詰めてできあがり。故郷帯広の豚丼は、砂糖をキャラメル化させるのがポイントだ。
ただし、この砂糖はビート糖でなければならない。きび砂糖だと味がこってりしすぎてくどくなってしまう。
みりんも醸造された本みりんを使う。セール品の肉だと臭いがきつくなるが、いいみりんだとにおいを消してくれるし、肉もふっくらとしてくる。醤油も適当なものを使うと、肉の臭いが強く出てしまうし、ただしょっぱいだけの味つけになってしまう。みりんと醤油と砂糖の相性も大事だ。
酢でいえば、いわしのマリネを作ろうと思うと、時間をかけて作った酢と即席醸造の酢とだと、浸透の仕方が変わってくる。魚を長くもたそうとすると、即席醸造の酢だと魚が十分にマリネされずにあたってしまうこともある。
また、即席醸造の酢だとすっぱいだけで風味がなく、それを補うために砂糖をよけいに使ったり、酢じたいに香りがついていたりすることもある。
もちろん豚丼の肉も、極上のものを買えばもっとおいしく作れるかもしれない。でも、そんな食材はいつも買うことは難しい。
調味料は一度買って終わりではない。いい調味料は素材のいいところを活かしてくれると同時に、素材をワンランクあげてくれる効果があると思う。
我が家の調味料
我が家の家族は、全員が北海道出身だ。
今は神奈川県に住んでいるが、基本的な味つけは北海道であると思う。
北海道の砂糖はビート糖。ビート糖の特徴は、甘さがさっぱりしている。特に私の故郷の十勝地方は、砂糖が地域の重要な産業で歴史もある。アメリカンドッグもケチャップではなく砂糖をつけて食べるのが十勝流だ。
北海道の味噌は辛口の米麹の白味噌。京都の白味噌とは違い、塩辛い。
他の調味料も、だいたい我が家の味に合うものを探した。そして、あれこれ過敏症の私が食べて気持ち悪くないというのが、選択の最大のポイント。
ネットで買えばいろいろ買えるが、できれば地元で入手できるものは地元で買いたいと思った。買うときに、それを売っている人がその商品のことを知っているというのも、重要視するところだった。
うちの調味料
三州三河みりんは、本当はもっと薄い茶色なのだけど、一升瓶で購入して小分けにしているうちに、糖化して黒くなってしまった。なめてみたけどおいしいので、そのまま使っている。
塩はこのとき在庫がなかったので、撮影していない。
●砂糖とオリゴ糖 北海道のビート糖
沖縄料理などを作るときは、きび糖のザラメを買うこともある。ザラメだとじっくり味がしみこむのと、キャラメリーゼをするときに便利だからだ。
●塩 できるだけ普通の塩
ミネラルが多いと、昆布と喧嘩をして味がわからなくなるため。
●醤油 茨城県つくば市の山口信太郎商店の三年醸造
つくば市に住んでいたときに、この土地の醤油が使いやすく美味しかったから。生産者さんから直接購入。北国っぽい濃いめの味。
●白だし 愛知県三河の日東醸造の白だし
山口信太郎商店の醤油が濃いめの味なので、さっぱりした味を出したいときに使う。
ダシ入り調味料は好きではなかったが、これはどんなダシとも相性がいいと思う。ある意味魔性の調味料。
これを買ったときにちょっとしたアクシデントがあり、日東醸造の専務さんからこの白だしがいかにすばらしいかを電話で説明された。
●魚醤 神奈川県藤沢市の鵠沼魚醤
魚醤は地元の魚醤を応援している。利尻昆布とのバランスもいい。
●味噌 茨城県つくば市の山口信太郎商店の特選味噌
醤油と同じところの味噌を買うことで、味の統一感を出すため。ここの味噌は利尻昆布との相性もいいと思う。
●みりん 愛知県三河の角谷文治郎商店の三州三河みりん
そのまま飲んでみて美味しいと思ったから。
●日本酒
最近使っていない。ふだんの飲み残しを使ったりする。三河みりんがあったらいらないと思う。
●酢 京都の村山造酢の千鳥酢か、京都の飯尾醸造の富士酢
そのまま飲んでみておいしいと思ったから。食材との馴染みもよく、むせない。
それと、油は用途に応じて使い分ける。太白の黒いごま油と白いごま油。米か大豆の油、オリーブ油は成分無調整のものを購入するようにしている。
リサーチを楽しむ
ここまでに落ち着くには、いろいろと試行錯誤があった。
茨城県から神奈川県に移住したことで、手に入らなくなったものもある。
私の体調が変わることで、選ぶものも変わってきたこともある。必要ないと思ったマヨネーズも、最近はまた買ったものを使うようになった。
こうして見ると、産地はバラバラ。食材は地元のものが多いので、食材とのバランスも気になるところ。
ただ、つくば市のときは地元の調味料が地元のスーパーで売られていたが、神奈川県の調味料はなかなか見ることがない。神奈川県でも広範囲で味噌や醤油を醸造しているのだが、地元のJAなどでも見かけず、味を確かめるにはまだまだリサーチ不足が否めない。
それでも、今までふつうに食べていた調味料をまずく感じたことで、可能な限り足を運び、味を確かめたりするのは楽しい。あれがおいしそうと聞けば、となり町まで足を運んで買ってみたりする。
千鳥酢と三河みりんは、こだわりの日本酒をおいている近所の酒屋さんにあった。おかみさんと立ち話をしていて調味料で困っているというと、安心できる製造元などを教えてもらい、取り寄せてもらったのだ。
今は通販でなんでも手に入るが、テレビやお店の人に聞いて探して歩いた。それがご縁で今でもつながっている人もいる。今はこれで落ち着いてしまっているけれど、ネットで自分に合う情報を探すのもいいかもしれない。
味も出会いとご縁なのだと思う。
食を楽しむ
料理すること、食べること、買い物することが難しくなる。
楽しくなくなる。
窮屈になる。
私は、化学物質過敏症という病気と化学調味料が苦手ということもあり、自分の生活の中で使うものを意識するようになった。特に食べ物に関しては一時期食べられないものがとても多く、外食もなかなかできない時期もあった。これまで美味しく食べていたものが、とたんにまずいものに変貌した時期は、料理をすることが苦痛だった。
3.11のときなどは、直接の被災地ではないにしろ、物流がとまることでふだん買うものが手に入らなくなったこともあった。
こうして思い返してみると、自分の食と向き合う機会がたくさんあったように思う。
食べるという行為自体が苦痛だという人を何人か知っているが、そういう人はそういう人なりに実は食を工夫していたりする。
人は食べなければ死んでしまう。食べることが苦痛だけど、それは通らなければならない儀式なのだとすれば、いかにして苦痛を和らげるかを考えるのだという。
それを話すとき、なぜかみんな楽しそうなのはどうしてなのだろう。
どんなにいやでも、料理は自分でしないという人でも、食べることをやめることはできない。
料理すること、食べることを、窮屈じゃなく楽しむには、何が苦痛じゃないのか、何が楽しいのか知る必要がある。
毎日インスタントラーメンを食べていたとしても、それをどう楽しむのか。トッピングを考えたり、調理方法を変えてみたり、銘柄をコンプリートしてみたり、やり方は人それぞれできまりなどないのだと思う。
こうして文章にしてみると、自分が選んできたものが自分の生活にあっていることが嬉しいと思う。
長田さんの調味料に関しての記事を読むことで、自分の模索してきたことを振り返ることができ、今後の選択肢の助けにもなってくれそうだと思う。
そのうち、三河にも一度足を運んでみたい。
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