森喜朗の例の発言の件について

この件について、女性差別という見解はあちこちで起こっていて、僕もこの言葉の裏には氏の女性軽視があると思っているので、同意見だ。

では、なぜこんな
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
「女性の優れているところですが、競争意識が強い。誰か手を挙げると『自分も言わないといけない』と思うんでしょうね」
「女性を増やす場合、発言の時間をある程度は規制しておかないと、なかなか終わらないので困る」
「組織委員会にも女性はいるが、みんなわきまえておられる」
といった発言に至ったのか。その件について考えてみました。

単に彼が開く会議で忖度する人たちを多く集め、「シャンシャン会議」で終わらせていた、いわゆる裸の王様でいられたところ、「機能的に働く会議体」にしたいと建設的に意見を述べた評議員が女性だったんでしょう。そして過去の会議体でも女性でそういう人がいらっしゃったからあのようなことばになったんだろうな、と思っています。

声のでかいお山の大将の意見で押し切られてしまうオジサン社会。彼らからしたらそんな逆風の中、コツコツと成り上がってきた存在はウザったいんでしょうね。

ゆえに僕はこう捉えています。
「俺の言うことに従えばいいんだ。ほら殆どの男どもは俺の言うことに文句一つ言わないだろ。お前ら女どもだけが楯突くんだよ。黙れ。」
きっとこういうことなのかな?と。
ただし、それは自分の論の自信のなさを露呈しているだけでしかありません。自分の論が正しい、正しいとは言えないがこれで理解してもらいたい。と自信があれば、議論して論破すればいいわけです。論破もできないから怒りを周りにぶちまけてハイ終わり。どちらかといえば情けない大人です。

まあ、その程度の人間を総裁とする政党を与党にしてしまった、結果首相にしてしまった。というのは間接的に国民の問題でもあり、世界から日本批判を浴びてしまうのも本来は十把一絡げではないわけですが、現実として受け止めないといけないことだと思っています。

ほんと、僕も会議では建設的な議論を求める方なので、煙たがられる側なのですが、それを許容してくれる人は圧倒的に女性のほうが多い。それも事実です。そう考えると、やはり一般的には男性より女性の方が優秀あるいは実は性差はないけれど、社会生活の中で男性の一部が上に逆らうことを止めることで(いや、逆らうのではなく議論しないってことなのですが)、年功序列で次のポストをもらうという、発展を期待する組織運営としては本来よろしくない処世術を学んでしまったのでしょう。

これをいまだに続けていたら明らかに日本は後進国に落ちぶれるでしょうね。すでに落ちぶれているってことに気づけていない、いや気づきたくだい人たちに従ってていいの?って思ってしまいます。

そんな意味で非常に悲しい一件でした。残念。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?