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新しき地図 15 出所祝い

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   Youtubeに紙芝居絵本「ものほしざお」があります
    https://youtu.be/iGRwUov3O74?si=bH2ZszSCB6b6fquq 


15  出所祝い
 
  1
 
 約束どおり、出所した、野崎英一が、ある夜、クリニックの仕事を終えたダイゴの院長室にやってきた。
 いつものように、ダイゴは、仕事を終え、サックス練習をレントゲン室でおこなったあと、2Fの院長室にあがってきて、私(クニイチ)の用意した簡単なつまみで、お酒をのみはじめた。
 今日のつまみは少し特別だった。
 テーブルにでんとおかれたのは、日本酒の一升瓶。  
そのわきにあるのは、日本三大珍味といわれる塩雲丹、そしてミモレットというフランスのチーズだ(このチーズは、やはり三大珍味のひとつのカラスミと味が似ている!)。そして、生野菜、バゲットを切ったものがおいてあった。
「乾杯!」
 いつもの4人に加え、野崎英一氏。
 今日は、野崎英一の出所祝いだ。
「飲んでみると、日本酒もワインにまけてない、と思わないかい?それに、この塩雲丹と日本酒との相性の良さといったら。どんな高級ワインでも、一緒に塩雲丹を食べたら吐きだしちゃうよ。入っているアミノ酸の種類の関係で、ワインはたとえ白ワインでも、雲丹とかの生の海産物にあわないらしいんだ」
とダイゴ医師が言った。
「ダイゴはますます日本酒にのめりこんでいくようだな」
と私がいうと、ダイゴは答えた。・
「酒は、人を殺す、という。一方で、酒は、人の心の鬼も殺す、ともいう。毒をもって毒を制する、といったところか」
 最初は、野崎英一に、入所中の様子を聞くことから話ははじまった。
「記憶の或る人なら、刑務所で服役中、自分の父親を殺害するという自分が過去に犯した大きな罪をふりかえり、後悔とか罪悪感とか復讐とか、考えるのかもしれないが。記憶のないというのは、こういうとき、便利というのか、寂しいというのか。何か、ボランチィア活動に2年間参加してきたような気持ちだよ」
「そうかもしれないな」
「以前、知的障害に比べて精神障害は回復の可能性がまだある、って、ぼく、いったことあったよね。でも、精神障害だって回復は難しい、とも。とすると、たぶん、ぼくのように、記憶障害によって精神障害を克服した、というのは、まれなケースかもしれない」
「克服した?」
「『克服』と言う言葉は、適切かわからないけど。ぼくの知らない以前からぼくのことを知っていた人から聞くと、ぼくはずいぶん変わったらしい。周囲へのひがみや、物や事柄への強いこだわり、現実の歪曲、などが減った。明るくなった。別人のようだ。といわれることが多い。いい方に変わった、といってくれるのがうれしいのだけど」
「記憶障害という病気で、精神障害を治した?」
「そうでも思わなければ、過去の記憶がない自分が、寂しくて可哀そうでしかたがなくなるもの。それからひとつ恐れていることがある」
「何に?」
「ほら、よく、記憶障害の人間は、ひょんなことで、自分の過去を思い出す、というのがあるらしいじゃあないか?ぼくはそれが怖い。ぼくは、今や自分の過去を思い出したくないんだ。もし思い出したら、その記憶で自分がつぶれてしまうような気がする。ぼくは、今のままの自分が、いい」
 
 そして、ダイゴ医師は、半年くらい前に野崎英一と医療刑務所で偶然再会したときに話をした、「例の日本酒」を野崎英一にすすめた。
「どうだい」
「おいしい。でも、ちょっと待てよ」
 野崎英一は、何回も、その日本酒を口に運び味わっていた。
「野崎さんも、少し感じるかい?」
「ぼくが感じるのは、この日本酒、廃業になった『野崎酒造』のお酒の味に少し似ているなと」
「やはり、そうかい?ぼくも、この酒をはじめて飲んだ時、びっくりしたんだ」
 もう、かれこれ2年前。野崎英一が、「のぞみ苑」に鈴木宏として入所していて、ダイゴがその嘱託医だったころ。
 「野崎酒造」の杜氏だった上原春雄もまた、認知症と老衰でそこに入所していた。
 あるとき、その上原春雄の息子の岳人が、その廃業した「野崎酒造」の最後の日本酒をもってきて、皆で宴会をしたことがあった。そのときの日本酒の味に似ているというのだ。
「兄も、上原岳人君も、あの宴会のあと、交通事故で亡くなってしまったからな」
上原岳人は、その宴会のあと、「のぞみ苑」の施設長で、「野崎酒造」の蔵元だった野崎清の息子の野崎淳を、車で家に送っていく途中、交通事故をおこした。二人とも、事故死。
 そして、野崎淳は、出所した野崎英一の兄にあたる。
 野崎清は、野崎英一の父親でなく、叔父だ。兄の野崎淳は、叔父の養子にはいったのだった。つまり、野崎英一が殺害した父親の野崎守と野崎清は兄弟なのだ。
「でも、上原岳人がまだ生きていて、このお酒を醸したのは、彼だとしたら?」
 野崎英一は、驚いた。
 だが、一方で、この医師探偵は、なんの根拠もなく突拍子もないことを言いはじめることはない、とも思った。なぜなら、誰もが自殺と考えていた、あの事件、野崎病院での理事長殺人事件の真相をあきらかにした実績を目の当たりにしているのだから。犯人は、記憶を失った自分、野崎英一だったという。
「ぼくが、上原岳人は、交通事故で死んだのでなく、死んだことになっているだけではないか?と思いはじめたのは、交通事故からしばらくたって、上原岳人の父親の上原春雄が施設で老衰でなくなったときに『虐待死』だったというフェイクニュースがネットでながれたときからです。
 そのとき、上原春雄の部屋にあった、施設がとりつけた監視カメラとは別のもう一台から録画された映像が、SNS上に『虐待死ではない』という証拠としてでてきた。この監視カメラは、上原岳人が個人的につけたに違いない。彼は、情報工学科を卒業してネットにも詳しいしね。ただ、上原岳人は既に交通事故で死亡していた。なので、そのときは、それ以上追及しなかった。
 だが、この今、市場に出回り始めた話題のこの日本酒をのんだとき、野崎さんと同じように、『これは、あの廃業した野崎酒造の日本酒の同じ味だ』とぼくも思ったんだ。しかも、あの施設の宴会のとき、蔵は廃業してしまったが、日本酒の作り方を自分で研究している、と上原岳人は言っていた。野崎さんも覚えているだろう?
 そうなると、上原岳人は交通事故で死んだのではなく、死なずに、フェイクニュースを反証したり、野崎酒造の日本酒の味を再現しようとしている、という仮定をおしすすめてみてもいいのじゃあないか?と思いはじめた。
つまり、どうやったら、上原岳人は、自分が交通事故で死んだと周囲に思わせ、事故のあとも生き延びて活動を続けることができるのだろうか?と、そちらに焦点を変えて、考え、調べはじめたんだ。
 ここにいるクニイチ探偵と議論し、彼にいろいろ調査してもらったことが、答えに至るまでの大きな役割をはたした。
 ポイントは、次の二つだった。一つは、上原春雄の息子で上原岳人の兄である、『京浜大震災』でなくなったとされている上原海人。上原海人と岳人は一卵性双生児だった。上原海人は、死体の身元確認がされていない行方不明者のまま、行方不明になって1年後に、上原春雄によって死亡届けがされて受理されていたのだ。実は、上原海人には保険金がかけられていて、受け取り手は父の上原春雄。このお金は、上原春雄が「のぞみ苑」に入居する際のおおきな財源にもなったようだ。
 そして、もう一つは、野崎英一さん。あなたの母親の野崎純子さんから貴重な話を聞けたことによることが大きい」
「ぼくの、母親に?」
 野崎英一は、自分の母親のことを「母親」と呼ぶことに、まだ抵抗感があった。母親との思い出は、失った記憶の中にあり、思い出せない。でも、野崎純子に対峙したとき、あるいは社会的に、彼女のことを「おかあさん」「母親」と呼ばなければいけないということには、もう慣れていた。
 そして、ダイゴ医師は、すべての「真相」を語った。
 それは、一連の事件の「真相」であると同時に、見方を変えれば、ある日本酒の蔵元と杜氏の間でおこった、酒造りとひとりの女性をめぐる、情熱と愛情と怨念の、よみがえった記憶の「ドラマ」ともいえた。
 ふたりの情熱が「同じ日本酒づくり」に向かった時、いい日本酒が生み出されたが、その情熱が「同じ女性」に向かった時、それは悲劇を生んだ。
それは、ふたりの感受性が、そこまで似ていたのということの証でもあった。
 
         2
 
野崎英一さん。
 あなたが「のぞみ苑」にいたころ、あなたの兄で「のぞみ苑」の施設長だった野崎淳が、自分の養父であり、実際は叔父である野崎清が「のぞみ苑」で老衰で亡くなったとき、死亡診断書でなく死体検案書をぼくに書くようにたのんだ、という奇妙な行動をおぼえているかい?
 ぼくは、いわれるまま、死亡診断書でなく、死体検案書を書いた。その後、野崎淳の希望どおり、野崎清の血液は警察で分析され、野崎清が、40年前に死亡もしくは殺された岡野静子に関する事件と関わっていたことがあきらかにされた。
 関わった、と言ったが、実際は、野崎清が40年前、岡野静子を殺害したという証拠になる結果だったんだ。岡野静子の死体周囲にあった、現場の血液と、野崎清の血液のDNAが一致したんだ。
 だが、40年前の事件だったということ、そして、被疑者の野崎清が死亡しているということで、警察の調査を聞いた検察は立件しなかった。あなたのお兄さんの野崎淳は、単に、事実を知りたがっただけのようで、やはり、それ以上のことを彼も望まなかった。
 これについて、クニイチ探偵とぼくは、あなたと野崎淳の母親の野崎純子さんから貴重な証言を得たんだ。
 野崎守と野崎純子夫妻は、子宝にめぐまれなかった。それで、野崎清が殺害した岡野静子という女性の子供だった、あなたとあなたの兄の淳を、養子としてむかえいれた、というんだ。これは、戸籍を調べれば、ちゃんと記載されている。
 たぶん、あなたの兄の淳は、何かの時に、自分の本当の母親である岡野静子を、40年前、野崎清が殺したことを知った。まだ、もの心つかないころの事件だったとはいえ、話を聞いたからには、野崎淳を許せなかった。だが、一方で、現在、財政的に社会的に養父として野崎清にはずいぶんお世話にもなっている。
 その結果、野崎清が生きている間は、そのことをはっきりさせることができなかった。この、ジレンマが、野崎清が死んでから、その血液をDNA鑑定にまわすという、奇妙な行動につながったんだ。
 これらのことは、もし、あなたが記憶喪失でなかったら、あなた自身も、兄の野崎淳と同様のことを知っていたかもしれないがね。
 
(自分の産みの母親は岡野静子?自分も兄の淳も、野崎守、純子夫婦の養子だった?)
 野崎英一にとって、初耳のことだった。
(でも、記憶を失う前のぼくはそれを知っていたのだろうか?知っていたか、もう知るすべもないが)
 
野崎英一さん。
 では、あなたとあなたの兄の淳の実の父親、つまり岡野静子に子供を二人産ませた男は誰だったのか?
 それは、戸籍には書かれていない。岡野静子は、あなたと兄の淳をシングルマザーとして育てていたんだ。
 戸籍に書かれていない事実はたくさんある。その中には、作り話もあるだろうがね。
 でも、おそらく、これから話すことは作り話ではないと思う。
 あなたとあなたの兄の淳の実の父親は、野崎酒造の杜氏をしていた、上原春雄だ、と君の育ての母親、野崎純子さんは言っている。
 彼女から聞いた話をしよう。
 野崎酒造の若き担い手だった、蔵元の野崎守、そして杜氏の上原春雄。ふたりとも、日本酒づくりに対する情熱、そして才能は大きいものだった。
当時の日本酒づくりでは、できた日本酒に、アルコールを添加して、安い日本酒を作り売るというのが当たり前になっていた。戦後、日本酒不足が続き、とりいれられた手法が、ずっと続いていたんだな。
 野崎酒造の蔵元の野崎守、そして杜氏の上原春雄は、それに対して「これでは、本当の日本酒のよさが、失われてしまう。米と水だけでつくる、純米酒を自分たちは作り売るんだ」という、同じ考えをもって仕事をする同志だった。
 だが、彼らのつくる「本物の」日本酒も、おいしくないアルコール添加された「まずい」日本酒が不人気になる影響を受けて、思うように売れなかった。そういう苦難の時期も、蔵元の野崎清は経営のやりくりをしながら地道な宣伝を続け、杜氏の上原春雄はよりおいしい日本酒造りの工夫を続けた。
二人の、日本酒に対する考えはぶれることなかった。お互い、競い合い、意見を交換し、ときには、思いが強すぎる故の衝突もあったようだ。でも、それが、野崎酒造を大きくした。
 一方、仕事だけでなく、プライベートでも、ふたりは競い合うことになった。ふたりとも、岡野静子に恋をし、ふたりは彼女を自分のものにしようと競争したのだった。だが、日本酒づくりという仕事においては競争がいい方向に働いたのとは違い、こちらの競争は悲劇を生んでしまった。二人が、まだ若いころの話だ。
 岡野静子の心を射止めたのは、杜氏の上原春雄の方だった。岡野静子は、上原春雄の子、あなたの兄、淳と、英一、つまりあなたの二人の子供を出産する。だが、出産のとき、入籍はしていなかった。杜氏と蔵元が一人の女性をめぐって争うという、複雑な事情が影響したためのようだ。
 そして、上原春雄と岡野静子が入籍する前に、野崎清は、岡野静子を殺害する。なにせ、彼女は、自分ではなく上原春雄を選び子供までつくった、のだからね。
 事件後。
 当時、野崎酒造を存続させることが最優先だった。
 この、蔵元と杜氏の間におきた確執と悲劇を、周囲は、なんとかしておさめようと画策した。さもないと、野崎酒造は立ち行かなくなってしまう。
 その結果、岡野静子を殺したのは野崎清ということは、関係者の間で隠ぺいされた。母を失った、淳と英一の二人は、子宝にめぐまれなかった野崎清の兄夫婦の、野崎守、純子夫妻にひきとられることになった。
 これらの秘密は、うまく守られた。野崎清と上原春雄は、悲劇を乗り越え、なんとか和解したのだろう。その後も野崎酒造は引き続き、日本酒づくりを続けていく。だが、当然ながら、それ以後、杜氏の上原春雄と蔵元の野崎清の間に、仕事以外には会話はないまま、日本酒造りが行われていったのだった。
 それが終わるのは、約4年前、君が懲役2年の判決をうける約2年前におきた、大地震で野崎酒造の蔵が壊れた時だ。
 その時、歳をとった野崎清には蔵を再興しようという意欲も体力も残っていなかった。野崎清は、終生結婚せず、子供もいなかったため、兄の野崎守とその息子(実際は、さっき述べたようにもともと養子だが)の淳に話をして、淳を自分の養子に迎え、最終的に淳に自分の財産をすべて譲った(再養子)。
 蔵は廃業となり、野崎清は野崎淳が新しく建て施設長となった、老人ホーム「のぞみ苑」に入居した。
 上原春雄は、岡野静子が殺害されてから時間がたってから、今の妻、上原秋子と結婚し、海人、岳人の二人の子をもうけた。つまり、野崎英一さん、あなたと、「のぞみ苑」の施設長をしていたお兄さんの野崎淳さんは、上原海人、岳人の兄弟と、同じ上原春雄という父親を持つ、腹違いの兄弟なのです。これは、死んだ野崎守さんの妻の野崎秋子さんから聞いたことです。このことは、死んだ野崎淳さん、そして記憶を失う前の、あなた、野崎英一さんもおそらく知っていたことだと推測されます。
 その後、上原海人は、『京浜大震災』にまきこまれ行方不明となり、その1年後、死亡届けが出される。
 そして、上原岳人は、君の知っているように、最後に、やはり老人ホーム「のぞみ苑」に入居した父親の上原春雄のお見舞いの帰りに交通事故に会い死亡した。
 
 野崎英一は、新しい事実を聞きながら、感慨にふけっていた。
(自分が殺したのは、実の父親ではなく、育ての父親だった。本当の父親は、毎日、「のぞみ苑」でみかけていたあの上原春雄だったのだ)
(そして、あの親しみをこめて、記憶喪失の自分に話しかけてくれた、優しい上原岳人は、自分の腹違いの弟ということになるとは)
 
野崎英一さん。
 以上のことで、なぜ、野崎淳が、野崎清が老衰で死んだ時、「死亡診断書」でなく「死体検案書」にしてほしいと言いだしたかの理由が明らかになると思う。それは、殺害された、実の母親、岡野静子のためでもあり、一方で、今までお世話になってきた野崎清を生前に犯罪者として公にしたくない、個人的な情状のためでもあった。
 野崎純子さんによれば、野崎淳が野崎守・純子夫妻の元をはなれ、野崎清の養子になる際、すべてのことを彼に語ったという。野崎淳は、すべてを知った上で、養子になることを承諾し、野崎酒造を廃業して、老人ホーム「のぞみ苑」の建設をおこなった。
 だが、話はこれだけでは、まだ終わらないんだ。
 もうひとつ、上原岳人は、本当に死んでいるのか?という謎が残っている。
 上原岳人の父親の上原春雄が死亡したときに、ネットに流出した怪情報。そして、彼の死後2年たって発売されたある日本酒の味が、野崎酒造のものとそっくりということ。これらだけでは、証拠としては弱い。
 だが、それらは、ぼくとクニイチが、もし上原岳人だったら、どうやったら交通事故で自分が死んだと偽装することができるだろうか?と考え始めるきっかけになるには十分なものだった。
 そこで、ぼくらが思いいたったのが、以下のような「いれ替わり」のトリックだ。
 死んだ上原岳人の弟の海人は『京浜大震災』で行方不明になって、死体が未確認のまま、1年後に死亡が届けられたという。だが、もし、上原春雄、岳人親子が、もし、東北の現地にいって、その死体を既に収容していたとすればどうだろう?
 たとえば交通事故で亡くなったとされる上原岳人に、「死んだ」弟の海人がなりすます。
 つまり、車の中で死んでいたのは、上原岳人でなく、既に死体になっていた上原岳人の弟の海人。
 交通事故の車は激しく炎上し、上原岳人の死体も同乗していた野崎淳の死体も、身元確認が難しいくらいほどだったという。つまり、火災で焦げた骨だけといった状態だったが、その後のDNA鑑定により身元が確認された。と、警察の記録に記載が残っている。
 つまり、「入れ替わり」の余地は十分ある。
 上原海人の死体のDNAは、双子の兄の上原岳人と、完全一致するからだ。
また数年前大震災で死んだ、上原海人には保険金がかけられていて、その受け取り手は、上原春雄と上原秋子の彼の両親だったという。その保険金は、上原春雄の「のぞみ苑」への入所費用として役立ったらしい。
 そして、今回、上原岳人が死んだあと、その保険金もまた、上原春雄と上原秋子にふりこまれた。上原春雄は、息子の死後、まもなく老衰でなくなったが、上原秋子の老後の生活資金として、これから役にたつだろう。
これらのことを、上原岳人(もしくは、父親の上原春雄も、知っていたかもしれないが)が、すべて計算しておこした事故だとしたら?
 また、上原岳人にとって、野崎清と野崎淳は憎しみの対象だった。上原春雄は、年をとっていたがまだ杜氏として、十分働けた。それなのに、野崎清、淳親子が酒蔵をつぶし、その結果、生きがいを失って杜氏の父親の上原春雄は認知症になった、という「逆恨み」をもっていた。あるいは、上原春雄が働けなくなったら、自分が野崎酒造の杜氏をやろうと意欲をもっていたかもしれない。それが奪われた。
 この推理の証拠はまだない。
 関係するかは定かでは、ないが、上原春雄が、『京浜大震災』で行方不明だった上原海人の死亡届けを1年後に役所にとどける直前、何者かが、上原海人がまだそこに載っている「戸籍謄本」のコピーをしたということが、役所を調べてわかっている。古い戸籍謄本だけど、もしかしたら、上原岳人が「死んだ」あと、上原岳人が上原海人として、就職する際に多少は役立ったかもしれない。就職のとき、細かいことは、あまり詮索しないものだからね。多少、古くても、通用したかもしれない。
 いずれにせよ、もし、生きている上原岳人がみつかれば、それがこの推理が正しいことの動かぬ証拠だ。そして、それは、たぶん、今日一緒に味わった、あの日本酒をつくった蔵元を訪ねれば、はっきりするだろう。
 
 話を聞きながら、野崎英一は思った。
(たとえ、上原岳人が、わたしの兄である野崎淳を殺したとしても、彼がもし生きているなら、そのことを警察に訴えないどころか、むしろこっそり彼のめんどうを自分がみよう。
 彼が、同じ上原春雄という父親をもつ、自分の腹違いの弟でもあるという理由だけからではない。
 正直、過去の記憶を失っているものにとって、「兄」とか「腹違いの弟」いう言葉は、ぴんとこない、形式的な空気の振動、「音」のひとつとしてしか響かないのだ。
 でも、わたしは、「のぞみ苑」にいたとき、記憶喪失で失意のぼくに声をかけてくれた、上原岳人の笑顔は覚えている。彼はぼくに「タブレット端末」をくれて、インターネットの使い方まで教えてくれたんだ。
 そして、彼のもってきた昔の野崎酒造でつくっていた日本酒の味。そして、もし、ダイゴたちの推理が正しいのなら、彼が父親の死後、自分の力で醸した日本酒の味。それが好きだ。日本酒づくりの才能と情熱をそこに感じる。これらのことは、記憶を失った後、新しく蓄積しはじめたぼくの記憶に確かにあるものだ。
 ぼくは、それにしたがって、彼を守ろうと思うのだ。他に、なにが頼りになるというのだろう?愛するためのものに悪になることを、ぼくはいとわない)
 
野崎英一さん。
 最後にまだ付け加えるなら。
上原春雄の自然死は、施設による(それも職員の小林奈津子による)「虐待死」だったという、フェイクニュースがネットに流れたとき、上原岳人は自分が個人的に「のぞみ苑」の上原春雄の部屋につけていた監視カメラの映像をもとにそれを反証しようとした。
 小林奈津子と上原岳人は生まれ故郷の幼馴染だった。
現在、小林奈津子は、介護の仕事をやめて、自分の村に帰って暮らしている。
 これは、もし上原岳人と話をすることができたら、上原秋子さんが自分で言うと、おっしゃっていることだが、実は、小林奈津子は、上原秋子が、上原春雄と結婚する前に、別の相手との間にもうけた娘なのだ。すなわち、小林奈津子と上原岳人は、父親がちがうが母親が同じ、「腹の同じ」兄弟なのだ。
 そして野崎英一さん、あなたと上原岳人は、母親は違うが、父親が同じ上原春雄である「腹違い」の兄弟だ。だから、ある意味、あなたは、小林奈津子さんとも兄弟関係にある、ともいえるのです。わかります?
  
         3
 
 長い、ダイゴの話のあと、沈黙が流れ、それをやぶるように野崎英一は言った。
「あなたたちふたりはまだ、上原岳人が、生きているかどうか、この日本酒の蔵に、確かめに行ってないのですか?」
「まだです。あなたに、確かめにいってもらいたい。そして、ぼくらの推理が正しいか検証してきてもらいたい」
「なぜ?」
「正しいことが良いこと、とは限らないからです。もし、上原岳人が、生きていたら、あなたはどう思うでしょう?どうするでしょう?彼は、あなたの実の兄、野崎淳を殺害しているのです。兄の敵、ということになりますが」
「私は、行きます」
と野崎英一は答えた。
「上原岳人への恨みからではありません。確かに真実は大切です。でもそれだけではありません。2年間の、獄中で、記憶がない、自分自身の過去の罪とむかいあったときに、ぼくはこんな風に考えるようになりました。
確かに記憶喪失は悲しく寂しいものです。でも、ぼくにとって、記憶喪失はかえってよかった面もあるのではないか?話に聞くと、ぼくには、医学部へいけず、結果、医者しかなれない病院の理事長になれないというひがみが、あったようです。また、もし記憶があれば、自分が父親の野崎守を殺害したという罪の意識や、兄の野崎淳を殺害した上原岳人に対する恨みに、今もさいなまれているかもしれない。
 でも、実際のところ、それらのことについて、すべて記憶にないのです。
実は、周りの人から、記憶喪失してから、人がかわった、明るくなったといわれることがあります。
 上原岳人をみつけたとき、きっと、ぼくはフェアに行動できると思います」
 ダイゴは言った。
「実は、上原岳人の母親の上原秋子さんに、『息子さんの上原岳人が、まだ生きている可能性がある。でも、彼は、殺人の犯罪者の可能性がある』という話は、既にしています。
 すると、お母さんの上原秋子さんは涙を流して答えました。
『犯罪者でもいい。生きていてくれるなら。それが、母親の願いです』
上原秋子さんも、この数年の間に、夫、そしてふたりの息子を次々失い、つらい時なのでしょう。
 とにかく、この複雑な人間関係がからんだ様々に事件は、もう第三者のわれわれがどうこうすべき、というものを越えている気がしているのです。
関係者で、これから生きていかねばならないのは、あなた、あなたの育ての母親の野崎純子さん、そしてこの上原秋子さんのわずかに3人です。年老いて、あるいは事件で、他の関係者の方はみな亡くなっています。なので、これからのことは、当事者の一人である、あなたの意思を尊重するのが一番いいと、ぼくとクニイチの思いは一致したのです」
 
   4
 
 ダイゴが野崎英一に語った、複雑な人間模様を今一度要約しよう。そこには、三つの秘密が暴露されていた。
 一つは、過去に、野崎酒造の社長の野崎清が、野崎酒造の上原春雄の恋人の岡野静子を殺害したこと。そして、その兄の野崎守と純子夫婦が、上原春雄と岡野静子の間にできた、二人の子、淳と英一をひきとって自分の子供、野崎淳、野崎英一として育てたということ。
 この秘密は、秘密を知る、野崎英一の記憶が失われていなければ、あるいは野崎淳が死んでいなければ、その二人から語られていたことかもしれない。だが、二人とも、その秘密を語ることができなかったため、ダイゴと私が、秘密を知る最後の人物、今は亡き野崎守の妻である野崎純子から聞きだし、ようやくわかったことであった。
 つまり、野崎淳、野崎英一、上原海人、上原岳人は、腹違いの兄弟なのだ。
 もう一つの秘密は、野崎淳を殺害したのは、上原岳人で、同時に死んだと思われた岳人の死体は、実は、以前に死んでいた岳人の双子の兄の海人の死体だということ。すなわち、上原岳人は今も生きている、ということであった。
 そして三つめは、小林奈津子と、上原海人、岳人の兄弟が、父親は違うが上原秋子という同じ母親から生まれた兄弟であるということ。これは、いずれ、上原秋子自身の口からも語られることだろう。
 
     *
 
 だが、ダイゴが野崎英一に語ったこれらのことは、最終的な真実ではなかった。
 ダイゴは野崎英一に、知っていることのすべては語らなかった。
 ダが、野崎英一に語らなかったことが二つあった。
 一つ目は、これは、野崎守の妻の野崎純子が語ったことだったが、昔、野崎清が殺害した相手は、岡野静子ひとりだけではなかった。実際には、自分が思いをよせる岡野静子を奪い、子供まで作らせた、自分の会社の蔵で一緒に酒造りをする上原春雄も同時に殺害したということ。
 そして、二つ目は、野崎清が、上原春雄と岡野静子の二人を殺害した後、今の上原春雄とは、太平洋戦争で死亡したことになっている、上原春雄の兄による「いれかわり」である、ということ。これは、後に上原春雄の妻となった上原秋子でさえも知らないことであった。
 この二つのことは、野崎純子だけが知っていることで、このことはダイゴも私も、野崎英一だけでなく、上原秋子をはじめとした、今回の関係者一同に対しても明かさないこととしたのだった。
 私とダイゴは、この二つの秘密を、関係者一同に明かさないことについて、議論をしたことがあった。
 私は、ダイゴに尋ねた。
「真実を話すのが、われわれ探偵の仕事なんでないかい?」
「そうかもしれない。でも、ぼくは探偵ではない。探偵として真実を話さなければならないか、決めるのは、クニイチ君、君の判断だよ。君は探偵だろう?」
「ダイゴ、それはずるい言い方だな。・・・そうだな。ぼくは、すべてを話さないという、正しい解決というのがあると思う。自分が神様でないのに、おこがましいかな?でも、ダイゴと話しあって決めたことだもの。自分の独断ではない」
「おいおい、結局はぼくに責任転嫁かよ」
 ダイゴは、笑いながら言った。本気でないのはわかっていた。
 そのとき、私はふと思った。
「ひょっとして、ダイゴが外科医をやめようと思ったのは、どんな時も、真実を伝えることが一番よい、という医療をめぐる風潮に嫌気がさした、という理由もあるんではないかい?」
「医療の現場でも、真実を語ることが最良の選択とはいえない場面はよくあるよ。でも、真実を語ることが医者の仕事か?と問うことに、ぼくはあまり関心がなかった。ぼくは、判断は常に、周囲の状況をみて最良の方法を選ぶべきだと思って仕事してきたし。外科医をやめた今だってそうさ」
 今回の一連の事件において、実際問題としてさしつかえないのであれば、個人の秘密は、できるだけ守ろう、とダイゴと私は相談して決めた末に、このような説明になったのだった。
 最良の選択とは、愛する人ために悪になることも良しとする、選択ともいえる。 


1 へのリンク: 新しき地図 1 プロローグ|kojikoji (note.com)

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