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23年ぶりでも彼らはあの頃のまま、そこにいた


90年代後期

私は一つのバンドに夢中になった。彼らは流星のごとく現れ、私だけでなく世間の多くの人を魅了した。

メロディアスな歌に、詩集のような歌詞。ヴィジュアルの良さに、耳に残る声。

すべてがあの頃の自分の心を奪っていった。恋愛なんかそっちのけで彼らにハマっていった。いやむしろ彼らに恋をしていたのだ。

しばらくすると彼らが地元にコンサートに来ると知った。しかし小さな町の小さな会場では、すぐにチケットは完売。

チケット一般販売の朝、つながらない電話と戦ったとて、手に入る事など皆無のチケットだった。せめて零れる音だけでも・・・とコンサート当日は会場に向かった。会場の外で、少しだけ漏れてくる音を聴きながらも壁越しに彼らが演奏していると実感するだけでも幸せな時間だった。

そんな彼らのコンサートチケットを、初めて手にしたのは大阪公演だった。それも一枚。

高校生の私が一人で大阪に行くことなど出来るわけないのに、私はそのチケットを買えないと、この世が終わってしまう!くらいの勢いで母を説得し、母の同行のもと大阪に向かった。コンサート会場に一人で入る事も初めてだった私と、ただただ外で終わるまで待っていてくれた母。

私は、初めて見る彼らに感動したものの、ただ遠くで見つめる事が精いっぱいだった。それでもコンサートに行けた事自体が最大級の幸せだった。

今度は絶対母も一緒に行けるように、とすぐにファンクラブに入ったのもこの頃だったと思う。

2回目は彼らの初のドームツアーだった。

ファンクラブで手に入れたコンサートチケットは、なかなかの神席だった。

ファンクラブ入りたてだと、新人特権でもあるのかなぁ、なんて思ったものだった。あながちその説は今でも私の中で続いてしまうのだが、そんな出来事が会場で起こってしまった為だ。

当時、私の町からドームのある町まで、中途半端に開通したばかりの新幹線に乗り継ぎながら向かった。私の親友と、母と母の友達4人で、ドキドキとワクワクと、母のようなおばさん達が会場で浮かないかな・・なんていう不安と色んな感情を持ちながら。

会場に入り、指定された先に向かうと、係員が待ち構えていた。

「会場設計の変更で、座席が変更になります。こちらにどうぞ。」と、言われ、とても不安になった。しかし、その不安はあれあれ、という前に期待に変わっていった。

なになに、どんどん前に行くじゃん。

何なの~!!と、連れていかれた場所で私は悲鳴を上げた。

花道真横の最前列。ドームという大きな会場で。私は本来の神席を超えて天国に連れていかれた。

ここは天国。いや地獄?今日で人生が終わっちゃうの!?

いやもう死んでもいい!!そんな叫び、であっただろう。

これから・・・・目の前に。。。。。。目の前に彼らが来るのだ!!

恋、恋焦がれ恋に泣き、夢にまでみた彼らの姿を目の前で拝める。

これはもう、当時の私にとって今日で人生が終わると宣告されてもおかしくない状況だった。

夢のような時間はあっという間に過ぎていった。当時は最先端であっただろうコンサート演出で、彼らは初音ミクみたいなバーチャルアイドルをMCに導入していたりした。MC中のネタに「彼女への質問はないかい?」という問いに私は「スリーサイズ!!」と、思春期の男子みたいな質問を投げかけ、会場中にその声が響いていたのもいい思い出だ。質問に答えてくれることはなかったが。

しかし奇跡で手に入れた席では奇跡が起きる。そんなボーカルがクスッと笑って一見無視された質問も、後日彼らのラジオでエピソードトークとして話されていた。ラジオの前で「それ言ったの私!!」と叫んだのも私だ。

奇跡で手に入れた席では奇跡はまだまだ起きる。演奏途中で私の目の前にメンバーのピックが落ちてきたのだ。いや、あれは私に向かって投げた。いや、本当は会場にいた当時は珍しかった世代であろう、母に向かって投げたと思う。(今でもそう信じている。)周りのファンと取り合いなんかにならないくらい、ちょうど母の目の前に落ちたからだ。

いつもいつもありがとう、母。幸運をもたらしてくれる母!ありがとう!!本当にそう思った。もちろんの事だが、私は今でもその時のピックを大事に持っている。

翌年、彼らは歴史に残るコンサートを開いた。20万人規模のコンサートを行うという。

もちろん私は行くのは無理とか、無理じゃないなど関係なく当たりまえのようにそのコンサートに行った。今度は飛行機に乗って。

そのコンサートは私が高校を卒業する年だった。高校最後の夏の思い出だ。その時は思いもしていないが、それが私が彼らを見た最後のコンサートだった。

高校卒業をし、田舎者だった私は東京に向かった。東京に来た私は、どんどん彼ら以外に夢中になるものを見つけていった。あんなに夢中だった彼らの事でも、どんどん「昔好きだったバンド」になっていった。そんな事は当たり前だと思っていたし、昔ファンだった。くらいがちょうどよい事になる事もある。

あれから20数年。彼らが変わらず活動をしているのはもちろん知っていたし、今でも最前線で活躍している事も知っていた。

そんな彼らが今週末コンサートを開くという事で、私は同世代の友達と久しぶりに観に行ってみよう、というノリでコンサートに向かった。

さいたまスーパーアリーナ。会場はコロナ対策で本来より少ない観客で埋まっていた。

あの頃よりもずっと大人になっている私にはちょうど良い席。会場全体が見渡せ、座ったまま鑑賞が出来る。声援が出せない今のコンサート鑑賞にはちょうど良い座席だ。

登場した時から、遠くからでも一人ひとりメンバーがわかった。

ぴょんぴょん跳ねているギターリスト。遠くからでもそのデカさ(高身長)が一目瞭然のリーダー。安定のベーシスト。そして開始10分で起きるボーカルの奇跡。

声援できないのに、おしゃべりできないのに。さいたまスーパーアリーナで「横浜~!!」と叫び、会場に爆笑をもたらす天然炸裂のボーカリスト。

あの頃と何も変わっていないじゃないか。(もちろんよい意味で)

すでに私はあの頃と同じ気持ちで心鷲掴みにされていた。

コンサートは新しいアルバムの曲を中心に始まった。聴きなれていないといった方がいいくらいの曲ばかりではあったが、2時間半が本当にあっという間だった。

私が夢中になっていたのは高校時代のたったの3年間。

すでに2年前に彼らはメジャーデビュー25周年を迎えていた。私がファンだったのはその中のごくごく一部。

彼らに関しては何も語れない。むしろ知らない事の方が多い。

それでも今、20数年ぶりに、私にとって彼らの第2の全盛期が始まろうとしている。

GLAY。最高だった。










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