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君はBUMP OF CHICKENなんか聴かない

前日までnote初心者である私は、

自己紹介がてら私とBUMP OF CHIKENの因縁の話しをさせてもらった。

失恋した時によく聴いていた音楽は
その時の気持ちを思い出す。

私と別れるまで彼はBUMP OF CHICKENなんか聴かなかった。

彼が良く聴いていたのは
ケツメイシや三木道三。
「一生一緒にいてくれや」というフレーズをダイレクトに私に送ってきているものだと思っていたし
むしろ私達のテーマソングだと思っていた。
(ダサすぎる。ダサすぎるよ。)

ミスチルのyouthful daysなんか聴くと
彼と過ごした日々が、
若かりし頃の淡い思い出として蘇ってくるのだが、それはホントに尊くて、純粋で、若くて....。
(題名もどストレート過ぎて恥ずかしい)

でもなぜか、BUMP OF CHICKENだけはただの辛い記憶と
略奪されてしまった女の顔が思い出され
醜い思い出になってしまうのだ。

人にとってはどうでもいいことかもしれない。
つべこべ言ってないで聴いたらいいじゃない。
大袈裟なこと言ってるんじゃないよ、と。
言われるかもしれない。


そんな意見も重々承知の私は
これでも毎年BUMP OF CHICKENを聴いてみようと思い立っている。


それは毎年のイベント事のように
今年こそは!と、
どこかで聴いてみようとしていたのだ。
特に去年はコロナの影響で
たくさんのミュージシャンが無料でライブ映像をYouTubeにUPしてくれていた。

BUMP OF CHICKENの彼らも同じく。
私は彼らのライブを観たいなぁ。と、純粋に思った。

でも私聴けないんだった。
そう思ってライブ映像を観ることはなかった。
聴いてしまえば何でもないだろう。
あっさり聴けるんじゃないかという事くらい自分でも想像がつく。

でも私は「聴けない」事を選んでいる。

それは「あえて」なのかもしれない。

私の若くて、くだらなくて、
忌々しくて、鬱陶しくて、
それでも忘れたくない思い出話として

こうやって誰でもない誰かに向けて
話すことを楽しんでいるのかもしれない。

だからきっと、明日も明後日も今年も来年も

私はBUMP OF CHICKENを聴かない。

「聴けない」

のだ。

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