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弥生人グランプリと日本人起源説

最近行われた面白いコンテストが話題を呼んでいます。

比較ネタは、鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から復元した顔です。
大阪在住の35歳男性が優勝して、PR大使としても活動するそうです。

1次審査はAI(人工知能)と審査員で絞り込んで、最後にPRタイムで決めたそうです。下記で部分的にその模様が見れます。

冒頭記事に興味深い箇所があるので引用します。
「父方が縄文人、母方は渡来系の血筋とみられ、彫りの深い縄文人と鼻の低い弥生人の特徴を併せ持つ。」

日本人の起源は縄文人からですが、そこから弥生人への変遷には紆余曲折がありました。
そしてそれが、上記の表現にあるとおりその過程が明らかになりつつあります。

それが、「DNA鑑定」です。
今回の元ネタとなった人骨には、極めて珍しいことに脳が残っており、そこからDNAを解析して母系は渡来系、父系は縄文系であることが分かったのです。

今回は、DNA鑑定を通じた日本人の起源について紹介します。

まず、数年前に分かった日本人の起源(日本大陸に上陸)である縄文人の起源ですが、実は近年の研究で通説よりも過去であることが分かりました。

昔習った時は1万年前ぐらいだったかすかな記憶がありますが、より古代の4万年前から分岐していたことと、多様性を帯びていたことも分かりました。

その後大体3000年前以降から大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わります。

このように、今は古代研究では普通にゲノム、つまりDNAに基づいたもので隔世の感があります。

今は、上記のように混血が進んだ「二重構造説」が比較的支持されています。
元々は1980年代に唱えられていたのですが、当初は色々と反論もあったそうです。(シンプルに言うと、元々の縄文人か、後で移住した弥生人か、という完全二者択一の説)
当初は人骨の形状を比較することで提示した仮説でしたが、科学的な支持を与えたのが「DNA分析」です。
特に2010年代から急速に解析能力が高まり、今では定説といってもよいと思います。

大まかに言えば、次のような流れです。

1段階:東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫が、旧石器時代に最初に日本列島に移住して、縄文人を形成
2段階:その後に北東アジアからの移住民(弥生人原型)が、先住民である縄文人の子孫と混血
※2段階目にも複数設計する派生パターンもあります。

ここでDNA分析についてちょっとだけ補足すると、古代特有の難しさは、いわずもがなその保存状態が悪いことです。
DNAは核の中にあると思われがちですが、数千年前だと損傷が激しくなっています。ところが同じ細胞内の「ミトコンドリア」と呼ばれる器官にもDNAは存在しており、核DNAより保存状態が良いため研究手法として使われるようになりました。

近年ではさらにDNAの塩基配列1つ1つまでを解析する手法(SNP(スニップ)と呼ばれます)も編み出されて、例えば都道府県での混血度合いまでをヒートマップで表示した研究まであります。下記を紹介します。

なかなかここから混血の過程を想像するストーリーもできそうです。

実は、日本人だけではなく、人類の起源をさかのぼっても思った以上に我々ホモサピエンスは他の人種(ネアンデルタール人など)とも交雑していたこともDNA解析で分かっています。

これから解析能力が高まっていくと、より精緻な分布図が見えてくると思いますが、交雑した流れは変わらないと思います。

つまり、我々が便宜上使っている「人種」という言葉のあいまいさがより露呈されていき、この言葉すら死語になるのだろうと推察します。

数千年後には、「日本人」「米国人」という言葉もなくなっていつか今回のように「日本人グランプリ」もおこなわれるかもしれませんね。

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