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【書評】ユードラ・ウェルティ「笛」--心の底に燃える炎

 アメリカ南部文学と言うと、そこまで得意ではない感じがあった。もちろんトルーマン・カポーティやフラナリー・オコナーは好きだけど、それにしても、きちっと分かるとこまではいかない。フォークナーの底知れなさにも惹かれるけど、専門にするかといえば、道のりが遠すぎる。
 正直に言って、ユードラ・ウェルティも今までそこまでピンときてはいなかった。一回だけ「なぜ私は郵便局に住んでいるのか」というタイトルの短編を授業で取り上げたことがあったけど、なんとなくよく分からなくて終わってしまった。
 けれども最近NHK文化センターの授業でウェルティの「笛」という短編を扱って、これはいいな、と思った。話は単純である。舞台はアメリカの農村で、登場するのは50代の夫婦だけだ。冷え込みの厳しい室内で二人は眠っている。夫は高いびきだが、妻は寒さに凍えて、どうしても目が冴えてしまう。
 貧しい暮らしに薪の量もあと少しで、これを燃やし尽くしたら冬の終わりまではとても保たない。それでも、暖炉の火はだんだんと消えてきてしまう。するとそこに、笛の音が響いてくる。急に気温が下がって農作物を守らなければならなくなったのだ。
 二人は何とか目を覚まして、取るものとりあえず外に飛び出し、今までかぶっていた布団や、着ていた服を農作物にかける。農作物を守るためのカバーなど彼らは持っていない。
 ただでさえ寒いのに、服を脱いでしまった。しかも外に出たときに、玄関のドアをあけっぱなしにしてしまっている。残り少ない薪では、部屋を再び温めることはできない。
 すると夫は急に椅子を暖炉にくべる。火が明るく輝く。椅子が燃え尽きると、今度は30年も使ったテーブルを壊して燃やしてしまう。そして夫婦でその炎をじっと見つめる。まるで彼らの魂から燃え上がっているようだ。
 もう薪もない。燃やすこともない。それでも大きな決断をした二人は、ほんの少しだけ確実に以前とは違っている。
 読み終えても、この貧しい暮らしから二人がこの後、出て行くのかどうかは分からない。それでも、どんな人の心の中心にも炎は燃えていて、それは普段から見えないだけだ、ということはよく伝わってくる。
 貧困を描くウェルティの文章は限りなく美しい。こうした作品に出会えてよかったと思う。

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