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論点を踏みにじって大怪我をさせられる悲しい話

海外から戻り、入社した会社を、社内の人からの一方的な暴力で大怪我させられたことで辞めた。夢を持って入った会社なので今でも思い出すと悲しい気持ちになる。大怪我させられた原因は、相手の論点に乗らなかったことだ。

相手は某東証一部上場企業の平取(専務でも常務でもない取締役)だった。彼が全国各地で起きていたトラブル処理のために部内で推し進めたのは、「営業全員で現地まで行ってみんなで謝れば許してもらえる」という趣旨のことだった。僕は部門の会議で「お客さんが困っているのは機械が動かないことだから、僕が中心になって現地でエンジニアを集めて作業にあたる」と提案したところ、その平取の上司にあたる専務から喝采され、平取は専務から叱責された。そのときの言葉はいまも覚えてる。

お前なんで役員なのにコスト意識ないねん

専務が喝采したのは、僕の論理が正しく、謝るだけよりも直接的な顧客貢献につながり、かつコストが桁違いに安いことによるものだろう。しかし、これが「みんなで謝る」を信じていた平取の逆鱗に触れた。固くいえば、平取にとってフェイス脅威度の高い行いをしたわけだ。↓に詳しい。

同僚からは「高橋、気をつけろ」と何人からも言われた。灰皿で頭を割られた前例があったので、同僚には未来が予測できていた。

論理で理解できないものは宗教だ。平取は、謝れば許してもらえると信じていた。その信心を僕はこき下ろしたのだ。

今でいえばツーブロックゴリラみたいな表現が適切に当てはまるムスクの香り漂う平取は、異分子を暴力で押さえつけるしかなかった。理屈があえば通るわけではない。従わないというだけで、マウンティングするために暴力であたる人もいるのだ。無理偏に拳骨の世代の人だ。

僕に残ったのは2つの消えない後遺症(身体と心)と示談金。彼はこの事件が直接的原因となったのかは定かではないが、僕の前任への暴力行為などにくわえて、業績悪化の責任を取る形で退任した。彼の誤算は僕がやられたらやり返すタイプだったことだろう。

これが、僕がロジカルシンキングを教える際に、いつも頭をよぎる辛い体験である。公開の場なので詳しくは書かないし、書けないが、論理とは論破の手段ではなく、ときに相手をざっくりと指す鋭利なものだからこそ、慎重に使う必要があるのだ。

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