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『朽腐』について

 この度、拙作『朽腐』がNIIKEI文学賞で佳作となりました。翻訳や作家業、文芸イベントのオーガナイズで活躍している西崎憲さんが審査員ということで応募したのですが、お選び頂き素直に嬉しく思います。大賞は該当なしとのことですが、そういった結果からもシビアに選考していることが伺えます。来年も応募しようかな。

 自作について語るのもどうかと思いますが、自分の思いとして、記しておきたいことがあります。

 まず、今回応募するにあたり、最初はゴリゴリに幻想文学な作品を書こうと、鼻息を荒らげて腕まくりをして練っていました。しかし、頭から湯気が立ち上るばかりで、いいプロットが何ひとつ思いつきませんでした。自分は新潟について無知だったのです。ともかく新潟について調べないと何も出てこないぞ、新潟についての調査をせねば、ということで、家の本棚を物色しました。すると、以前友人に勧められた『越後三面山人記 マタギの自然観に習う』という本と目が合いました。そういえば越後って新潟だな〜と読み始めたのですが、この本が非常に面白く、これしかない!と直感を得て、この本に記されている、ダムに沈んだ三面集落を題材にした話を書こうと決めたのです。

 数日後に読み終え、僕は「題材として使える」などと思ってしまった自己中心的な自分を恥じていました。なんと面の皮が厚い馬鹿者だろうか。美しい自然の中で暮らす生活や文化が、社会の変化や利権などの絡み合いによって失われることになってしまったのです。甘っちょろいセンチメンタリズムや、自分の作品で扱おうなどという厚かましい気持ちで手を出していい題材ではないのです。自分が扱うべきテーマではない、これについて書くのはやめようかな、と。もやもや考えていました。

 しかし、どうしても本に記されていた三面集落のことや、そこで暮らしていたマタギと呼ばれる人々のことが頭から離れません。ここは一つ、幻想文学や自分のための話ではなく、居場所を失った人たちの気持ちになって、恐れ多いけれど場所をお借りして、作品を書いてみようと思ったのです。

 それから、図書館で本を取り寄せて、マタギのことを調べたり、三面集落について調べたり、という日々が続きました。このドキュメンタリー映画も観たかったのですが、どうしても観る方法がなく、今後何かの機会で上映される際には必ずや観に行こうと思います。

 それで書き上げたのが、『朽腐』です。もしかしたら、自分のためということでなく小説を書いたのは初めてかも知れません。当初考えていた、幻想文学的にするだとか、実験的な要素を入れるとか、ギミックの効いたレトリックを多用するだとかは、現実に一つの集落がダムに沈められたという事実を前に全て吹き飛んでしまいました。僕にできることは、可能な限り事実に基づいて、その中で自分の作り話を差し挟む場所を少しだけもらって、自分ではない人の暮らしや考えを細部まで想像して書く、ということでした。

 僕にもっと実力があれば、文芸における技巧とドキュメント的な手法が同居できたかも知れません。なので、出来上がった作品を読んで、「これは選ばれないだろうな」と思ってました。だって、近年の文学の潮流やオルタナティヴな文芸の要素が入っていない、小説として拙さの残る作品が書き上がったのです。

 こんなことを言うのもおこがましいのですが、このような小説を書くことも、文芸における一つの意義なのではないかと思い、推敲のうえ応募をすることにしました。
 今回の文学賞がどのような評価基準で選考されたのかは知るよしはありませんが、作品を読んで頂いた際に、自分の意図が少しでも感じてもらえたのであれば幸いです。

 ぶっちゃけ、ほぼほぼ諦めていたので、佳作に選ばれたという記事を見つけたときは、あまりに嬉しくて会社に向かう井の頭線の中で奇声を上げそうになりました。ここしばらく、精神的にキツい時期だったので、救われました。これからも頑張ろうと思います。

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