見出し画像

悪魔の人形(1936)

 日野日出志あたりのホラー漫画にありそうなタイトルだが、すばらしい映画だった。新旧問わず今年鑑賞した映画の中でも1,2を争うほど心に残っている。

 監督はトッド・ブラウニング。代表作といえば『フリークス』『魔神ドラキュラ』で、見世物的要素を持った怪奇映画作家、というイメージだったが、こんなにしっかりしたドラマを取れるなんて。そう、『悪魔の人形』はホラー映画というより、父と娘を描いた感動作なのである。

 共同経営者から無実の罪を着せられ投獄されたポールと、マッドサイエンティストのマルセルが刑務所から脱獄するところから、この映画は始まる。マルセルはなんと、生物を小さくする装置を発明していて、ポールはその装置を使い、自分を陥れた共同経営者たちに復讐する、というのがストーリーの筋である。
 マルセルには妻がいるのだが、このマルセルの妻のキャラクターがめちゃくちゃ濃い。狂気じみた演技。ある意味この映画で一番印象に残る人物だ。

 自宅で世話をする人間(身寄りの無い若い女性)を小さくすることに成功した彼らは、ポールの地元パリに赴き、小さくした女性を使い共同経営者の3人に復讐を始める。さらにポールには娘がいて、犯罪者の娘ということで形見の狭い思いをしている。(ぬれぎぬだが)
 物語の後半で軸になるのは、ポールと娘の和解。脱獄→狂気の発明→復讐→父娘のドラマを、わずか79分にまとめているのである。しかも自然に。さらに最後は素晴らしいロケーションで泣かせるシーンを以て物語は終幕する。ご都合主義的な終わり方ではなく、苦味を残したままのエンディングなのも好ましい。

 ただ、この映画で言及すべきは創意工夫をこらせた撮影だろう。小さくなった女性が、月明かりの差す部屋でくっきりとした影をしたがえて、ポールの共同経営者の男に忍び寄るシーンは、あまりにも美しい。いったい、どうやって撮影しているのだろう。巨大なセットを用意して、さらに合成も駆使して、ということだろうか。昨今のCGだらけの映像よりも、よっぽどリアリスティックに感じた。

 怪奇映画というジャンル物に誰でも楽しめるドラマ性を差し込み、さらに高い技術力をもって撮影された、いつの時代でも古びない大傑作だった。トッド・ブラウニングは単なる怪奇映画監督ではなくて、映画監督としてしっかりした演出力を持っていることが分かる。願わくば、リマスターされた映像を映画館のスクリーンで観たい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?