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物語「られる」仕組みの大切さ

物語るではなく物語「られる」仕組みについて。
これが良いんだ!と言われるのではなく、これって良いよねと自分から思える仕組みについて。

これまた最近ブランディングだのマーケティングだのを考えていたら昔考えていた内容にたどり着いた。

▼1.どんな場面で起こりうる課題?

「どう人に認知されるか」「どのように認識されたいか」などを検討する際である。広い観点で、デザイン・マーケティング・ブランディング共通の課題。

何かをアピールしたい、伝えたい、となった時に直球で伝える(物語る)べきか?

また、コンセプトメイキングの段階であれば1つのコンセプトを分かりやすく設定し表現する(物語る)ことが正解なのか?

▼2.当たり前の認識は何か?

上記のように、一般的に考えれば、

分かりやすいコンセプトをつくり、表現としても誤解されそうな要素は排除して整理していく作業は真っ当に感じる。

もちろん、これが間違っているというわけではないが、このように整理された価値観は感性域が狭いのではないか?という問いである。

感性域が狭いということは、ある特定の状態のみを良しとし、それ以外はNGという価値観になる。下記にも記すが、「カッコいい」という言葉の価値観が近いようである。

「このデザインがかっこいいんです!」と商品が物語ってくる(教えてくれる)イメージである。


▼3.解決のアイデアは?

タイトルのとおり、物語「られる」という受け身スタイルのような考え方をしてみようというアイデアである。

下記の本に「カワイイ」という価値観について記述があるのだが、この考え方がとても興味深いものであった。

 ▽カワイイ感覚の広さ

「カワイイ」とよばれる感性域が広いというのを下記の本で知り、面白い感覚だなと思うようになった。 感受性が広い要素というのは物語られる上で重要な要素の一つ。


このように起定が曖昧だから、カワイイとは本来相入れない感覚も緩く取り入れてカワイイ慣性を拡張することができるのではないか。
「カッコカワイイ」・「シブカワイイ」・「キモカワイイ」・「オバカワイイ」・「エロカワイイ」「ミニマルカワイイ」などが、カワイイ感性域して拡張している。
カワイイの感性域は、規定が緩いだけに、その領域は曖昧に緩くなっていく。感性の域が広いということは、それだけカワイイのデザイン表現が多彩で可能性に富んでいるということも示している。
出典:カワイイパラダイムデザイン研究
真壁智治・チームカワイイ

みんないろんな感性で異なる感覚で接するのに「カワイイ」と同じような感覚を持ち得るスタイルは面白いな、、と。
とても参考になる価値観。

 ▽良さを押し付けてこない

「カッコイイ」はその良さを物自体が我々に教えてくる=物語ってくるイメージ。
この考えがカッコいい!このデザインが良いよ!という風に。

それに対して「カワイイ」はこちらから能動的に働きかけるイメージ。〇〇でカワイイ。△△でカワイイよね。□□でカワイイよね。
のように、こちらからアクションを起こすイメージ。

ベクトルが対象物から自分じゃなく、自分から対象物に向いている、そんな「物語られる」仕組みって大切だなぁと思う。

 ▽いかに沢山の釣り針を垂らしておけるか

いかに沢山の人の気にとめる仕組みがあるかどうかは重要な観点かもそれない。

何か伝えたいテーマがあって、それをただ度直球に伝えるのが「カッコイイ」だとすると「カワイイ」はもっと多くの手法を使って伝えていくようなイメージ。

ふと考えてみると映画や漫画、ドラマといった作品をみると当たり前のようにも思えてくる。べつに恋愛映画じゃなくてもかならずヒーローとヒロインの恋愛が描かれることなんて良くある。

名探偵コナンとか新一と蘭の恋愛事情に興味あって読んでた人なんて結構いるような。。本筋は探偵の物語でもそのメイン要素だけで「名探偵コナン」ができてるわけではないですもんね。

 ▽ポケモンやAKBを参考に

その釣り針の多さの分かりやすい例として、ポケモンやAKBがある。ポケットモンスターはご存知の通りキャラクターが沢山いて楽しめる。今や何種類いるのかわからないが、、、最初は151。

冒険始めるときは炎タイプのヒトカゲ、水タイプのゼニガメ、草タイプのフシギソウから好きなポケモンを選んで旅にでる選択肢も与えられる。

全てのポケモンについて詳しくなくても、好きなポケモンを育てて冒険して、、それで気づいたらポケモンの世界にハマっている。よく考えたらいい仕組みだったなぁと。

AKBもそもそも何人なのか良くわかりませんが、自分の推しメンがいればAKB全体を楽しめてる気分になれる。(きっと)そもそも推しメンという言葉自体がかなり能動的な感じ。

どちらもちゃんとメインの世界観を感じることができるのに、取っ付きどころが沢山あるのが良いなぁと。

しかも全く別物だとは思わせない仕組みであること。幕の内弁当(なにがメインかはわからない)になってはいけないのだ。あくまでハンバーグ弁当なのにお供物がめちゃ豪華とかそんな感覚だろうか。

 ▽脇役の大切さ

映画やドラマなどを考えると、物語の脇役はかなり重要だと思うようになってくる。脇役とはいえど作品をまわしていく上で重要な要素である。

メインのストーリーだけだと気づかないことや、たどり着けないことも、脇役の振る舞いひとつで新しいお客さんの心に響くかもしれない。釣り針の役割である。

そしてその脇役自体が人気になっていわゆるスピンオフ作品ができるようになった作品はかなり良い例の一つということになろう。

(脇役というテーマでまた色々調べてまとめてみたいな。。)

 ▽脇役のルール

またこちらの本からの抜粋で、、

脇役には、主人公のときのような制約がない、というのが大きな違いと言えるでしょう。
主人公が読者に嫌われてはいけませんが、脇役であれば、人をすぐ裏切ったりするような人間にして、「こいつ本当に嫌なヤツだな」と思わせることもできるわけで、案外、人気が出るのは、そういう脇役キャラクターだったりもします。
ただし、脇役が輝きすぎて主人公の影が薄くなってしまわないように注意が必要です。
出典:荒木飛呂彦の漫画術

かなり良いバランス感だなぁ〜と。
記載あるように、主人公を上回る勢いだとだとさすがに良くないとは言いつつも、「制約がない」というのが脇役の特権と捉えるのは大切。

作品を知ってもらおうと、ついメインテーマに縛られてしまいそれに絡めた何かを、、、と視野がせまく可能性を排除してしまう可能性があるからです。というか自分は排除していたなと思い出しながら、、。

 ▽建築では

「カワイイパラダイムデザイン研究」の中でも触れられている内容でもあるのだが、建築の観点では「less is more」の観点でいうモダニズムの考えが「カッコイイ」価値観に位置づけられる。

要素削ぎ落とし、余計なものはなくしてしまう美しさ。けど、どこか寂しいよねという感覚からなのか足し算的にいろんな要素を付け加えよう、、と昔行われたのがある意味ポストモダン時代の建築。less is bore。

しかしポストモダンの建築は昔の記号の引用など、一般人に伝わる感覚から遠い要素を扱ってしまったために理解されないどころか批判される、、「カワイくない、、」と。

隈 研吾《M2ビル(現東京メモリードホール)》1991年

▼4.まとめ

というほどまだ思考がまとまってはいないので今後もリサーチをつづけようと思う。
だいぶ哲学的な話になってしまったので、もう少し実務に寄せたリサーチを進めたいなと〜

繰り返しになるが、物語られる仕組みは、感受性が広い要素で、ベクトルがお客さんから物に向いていて、たくさんの取っ付き所があるようなものである。

なんだか、長く愛されるような冗長性の高い仕組みにも思えてきたので大切にしよう。


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