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躍る読書感想文

13歳のときにさだまさしの「檸檬」や「主人公」や「案山子」や「魔法使いの弟子」が収録された「私花集」というアルバムが私の宝物になった。はじめて自分で買ったカセットのアルバムだった。曲を聴いていると、頭の中で物語が始まる。当時の私は恋愛の儚さや狡さを想像しながらさだまさしを聴いた。収録曲の「檸檬」がきっかけになって梶井基次郎の「檸檬」を読んだ。丸善に置かれた檸檬はまだ私にはわからなかったけれど、さだまさしの「檸檬」の、捨て去るときには出来るだけ遠くに投げ上げることよ、というフレーズは、いつか私はそんな風に何かを捨てたり、捨てられたりするのだろうか、それだけの覚悟で何を捨てるのだろうか、と強烈に心に残ったものだ。   


さて、本題に戻って。私は中学で知り合ったギターの上手な友だちとユーミンやサザンにもハマり、歌詞が持つ心に響く力や言葉のリズムや切ない比喩を、思春期に身体に取り込んだような気がしている。大人になってもそれを自由気ままに好き勝手に、こぼれてくる言葉を並べることが楽しい。原稿用紙の使い方は習ったけれど、読書感想文の書き方を習った記憶がない。ルールがないなら自由に書いていいでしょ。

長男の場合

長男が選んで持ってきたのは、歴史と信頼と実績のJR時刻表12月号、特集はJR東日本時刻表改正。じいちゃんの家に行ったときに貰ってきたらしい。これならずっと読んでいられると言う。電車にも数字の羅列にも興味のない私には、時刻表をめくりながら、おおー!とかなるほど!とか声が漏れる理由がわからない。長男は時刻表で電車を選び自分が旅に出る想像を綴った。何時にどこそこ発の何とか号に乗る。どの駅を通過してどの列車とすれ違うのか、何とか号というのは車体が、、とマニアックな情報を織り混ぜながら電車を乗り継いで旅のレポートを仕上げて提出した。特集記事のダイヤ改正についても考察し、改正の理由についての記述は電車好きの友人や先生からは賞賛を浴びたが、それって読書じゃなくない?と、たまたまその学年はクラスの3分の2が女子という環境では受け入れられなかった。

今の私ならレシピ本で書きたい。豚の角煮の調理の決めてのポイントはどこにあるかを読み取り、なぜ筆者はこのレシピを基本のおかずにいれたのかを考察し、実際に調理してみる。圧力鍋の扱い方と独特な蒸気の音に私は何を感じるか、そしてホロホロと崩れていく肉の、豚の角煮が食卓でどんな役割を担うのか、筆者は私をどう導いたのか、を文章にすれば、採点をする国語の先生の胃袋とハートは掴めるかもしれない。

次男の場合

僕は人の背中を見て走ったことはないと小学生のときに常にリレーの選手として活躍。とにかく走ることが好きで、ハイハイをせずにつかまり立ちをした。歩けるようになると常に小走り、第二子を追いかける親は息も絶え絶えだ。小学生の次男は走れメロスを読んで読書感想文を書くと決めていた。メロスを取っ掛かりにして友達との絆、約束を守ることについて書く。陸上部のエースになった中学生では「もう一度走れメロスを読んで」というタイトルで、小学生のときに読んだ本を再び手に取り、誰かの為に走ることについて書く。大学でも走ることを選んだ高校生では「17歳の今再び、走れメロスを読む」というタイトルで、中学時代の感想文をなぞりながら王様についても考えながら書く。中高一貫の学校だったので、友人たちにはメロスのデジャブ?と面白がられる。さすが第二子は要領がいい。

若いときに読んだ本を大人になって読むのは面白い。当時の私の絶望と多少の苦難を乗り越えてきた今の私の絶望が同じであるわけがない。ノルウェイの森とかキッチンとか、本棚の奧を探してみたい。

私の場合

小学生のときに文学全集を欲しいとせがんだら、クリスマスに届いた。でも、私が欲しかったのは赤毛のアンとかにんじんとかで、伊豆の踊子とか暗夜行路じゃないから返したいと、サンタクロースに手紙を書いたことがある。トナカイが引き取りに来ないから諦めて、読めそうなのを選んで読書感想文を提出したら、大きな花丸を貰えた。
小3のときの担任の先生は、クラスの子どもたち全員と交換日記をしてくれて、毎日でなくてもいいから書いた人は先生の机の上の箱に置く。帰りに箱から自分のノートを持ち帰ると先生からのメッセージが書かれている。私はそれが嬉しくて毎日ノートを書いた。先生は「楽しいことを楽しいという表現を使わずに書いてごらん」と私にメッセージをくれて、「運動会の空はピアノの発表会のワンピースと同じ空色」みたいなことを書くようになった。そして高校卒業まで様々な手法を独自に編み出して、花丸を貰い続けるのだ。

①主人公と自分の比較作戦

主人公と自分の性格や行動の似ているところ、似ていないところを書く。似ていないところについては、私だったらそんなことはしないのに、なぜ主人公はそんなことをしたのかを徹底的に掘り下げ、共感するところは自分の似たようなエピソードを挙げてみる。

②物語の続き作戦

あらすじに触れ主人公の性格を踏まえて、この主人公はこの先きっとこんなことになったはずとか、こんな風にしていたらいいなとか、妄想の世界だから誰にも邪魔されず暴走できるし、時空を超えてどこへでも行ける。

③インタビュー形式作戦

わからないことは書けない。では私は何がわかって何があったかなぜわからないのか。聞き手のト書で「どの場面が印象に残りましたか」とか「そのときあなたならどうしましたか」とか「どんなメッセージを読み取りましたか」と私に質問をする。私はト書でそれに丁寧に答えていけばいい。出演作品について聞かれる女優みたいだし、書いたあとの原稿用紙はト書が並んでいて、ちょっと見映えが良いと自分に酔いしれることができた。

③こころに残った台詞ベスト5作戦

とにかく台詞にのみ着目する。この台詞を言う背景についてとか、これは本心なのだろうかとか、私はこんな場面で言ってみたいとか、ベスト5くらいのランキング発表が分量、力量的にちょうどいい。

④脇役に注目作戦

主人公より脇役に目を向けると、独自の角度から物語に迫れて面白い。映画のバイプレーヤーの味わい深い演技や、細やかな所作に惹かれる私は通でしょ、みたいな感じだ。

⑤ぶらり旅作戦

夏休みだから出来る醍醐味を味わう作戦で、作品に出てくる場所を訪れてみる。ということは自分の地元や近所が舞台になっている作品を選ぶということが必要になる。私はそれについてはとても恵まれていて、芥川龍之介も太宰治も夏目漱石も三島由紀夫も湘南を舞台にした作品がある。文豪の足跡を辿りながら、散歩日記みたいな読書感想文が書けた。本を読んだことをきっかけにして、ゆかりの地を訪れるという行動力が伴うと、拙い文章にさえ凄みが増す。

長男や次男のように、思い入れがある1冊があって、これについては自分なりに大いに語れるという作品があるのは羨ましいことだ。
私にもそんな1冊があったはずなのに、それは何だったのか、あの夏の私に問いてみたい。
そして、ボロボロになるほどに何度も開きたい1冊を、また探してみたい。

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