がんばれ、がんばれ
2人の息子を授かり、スリルとサスペンスな要素を含むコメディーな子育てをしながら、私はいつかその日が来ることを常に意識していた。彼らは自分の未来を真っ直ぐに見つめて、振り返りもせずに私に軽く右手を振って、案外とあっさりと社会に出ていくのだろう。ありったけの愛情と試行錯誤の創意工夫で、彼らを育てて社会に出荷する生産者の私の願いは、彼らが社会の役に立ちますように、オリジナルな風味が受け入れられますように、返品されてしまうならどうぞお早めに。
理系長男は小さな頃から、家の前に来ていた電線工事を何時間もながめていたり、壊れた掃除機を分解したり、家電の取扱い説明書を熟読したりしていて、私の父が亡くなったときには、形見分けでハンダゴテをもらっていた。
体育会系次男は6歳違いの長男を追いかけているうちに8か月で歩き、1歳で三輪車を乗りこなしてしまった。庭の木に登ったり、ひたすら穴を掘ったりしながら、くたびれるとそのまま庭のベンチで居眠りをするアウトドア派だ。
運動会では放送委員として機材やスピーカーの配置を考えたり、音量を調節したりして、最終演目のリレーでは噛みまくりながらも選手の紹介と順位が変わる展開を実況放送したのは運動が苦手な長男。一方で小中高と毎年リレーの選手に選ばれたのは次男。次男のクラス保護者会では、足の速い子どもばかりが活躍する運動会のあり方を意見した方々もいらしたが、足は速くないけれど自分の興味のある分野に力を発揮して、運動会を盛り上げるうちの長男のような子どもたちがいることを大人が見逃したら残念だというようなことを申し上げた。すると先生方のご配慮で、その翌年から応援団のほかに楽器隊が編成されて、次の競技の準備の時間や応援合戦がとても華々しくて感動的なものになった。
長男と次男の個性はそれぞれだが、どちらも男の部屋には雑誌や衣類や趣味の小物が放りっぱなしになっている。それらすべてを片付けろと言っても私の言うことはイヤホンをした彼らには届かない。長男には工具やパソコン部品、次男にはスパイクやユニフォームについて「自分の商売道具だけは大事にしなさい」と繰り返し手短に叫んだ。片方だけの靴下や空のペットボトルは私が廊下の掃除のついでに拾うけれど、自分が目指す世界は大事にしなければだめだ、自分の世界に関わるものには特に絶対に感謝しなければだめだ、と結局、私の小言は手短ではなくなる。
大学を卒業して就職してしばらくすると長男が壊れかけた。朝早く出掛けて、終電で帰宅する。休日も連絡が来ると出勤する。あまり食欲もなさそうなのに、身体がむくんでいく。荒ぶれたり、泣いたりするので、私たちは君を一度社会に出荷したけれど、恥じることなく戻ってくるよう説得した。働くことの真ん中には、安全で正しくて幸せがなかったら、私は毎日「いってらっしゃい」と見送れない。
仕事を辞めて休息して身体と心の元気を整えて、得意な分野を妥協せずに転職をして、しばらくして遠方での転勤を決めて、長男は案外とあっさりと家を出ていった。知らない土地になんとなく馴染んで、ひとりで暮らして、職場で自分のポジションが定まった長男から、たまに近況報告が入る。
母さんが言ってたことに助けられているよと長男から照れもせずに、感謝の気持ちが伝わる。「この作業はあとどれくらいで終わる?といきなり課長に聞かれた。母さんが自分の作業効率と集中力の維持がどの程度かをいつも把握して取り組めって言ってたから、作業完了の目処を答えられた。それから、電話のやりとりでは伝えることは先に明確にまとめて、言葉には感情を乗せろって言うのは自分では苦手だったけれど、わりと誉められているし、メモや資料は年輩の方には大きめの文字にしていることも気づいてもらえた。いつだったか部署で居酒屋に行ったときに注文を任されたときもセンスがいいと好評だった、母さんがいつか職場で役に立つって居酒屋注文の極意の指導の賜物だわな」というような近況報告に、私は胸を撫で下ろす。強くて狭い好奇心、被害者意識、自由で大胆で不器用な個性が学校生活ではうまくいかなかったが、社会に出て自分の能力と稼ぎで暮らしている。当たり前と言われればそれまでだが、それが何よりも有り難くて誇らしい。
就活中の大学4年の次男は、不採用の通知に深いため息を2回ついて、自室に戻って短い叫び声を上げて、ちょっと出掛けてくると言って2日間姿を消した。そして、こざっぱりと散髪して戻ってくると、あと1年家に置いてくださいと頭を下げた。大学の部活に夢中になって、将来の自分のやりたいことに対しての本気さが足りなかったのが、面接の敗因だと自己分析した。自分が何をしたいのか、何が出来るのか、どんなふうに役に立てるのか、俺の幸せはなんだろう、もう一度仕切り直すそうだ。そして、次男は机にばかり向かって身体が重くなると何かを吸収しづらくなるからと、また走ることを始めた。
さて、私は出荷のための作業をまた始めよう。それが私の本業で、出荷するのは食べ頃の果実ではなく、社会の中で汗や涙という水分と経験という土と希望という光と人々という肥料によって、芽が伸びていく種だ。これからが俄然楽しみな種だ。