近づいて見てみたり、離れて見てみたり
久しぶりに涼しい日だったので、ベランダの植物を剪定した。
祖父が育てていた苔玉(今更だけどシノブ玉というのかもしれない)は、これまで生かすことだけを考えてあまり見た目まで気を配れなかった。
私は園芸の知識がない素人。
実際、ここ2、3年の間にカラカラに枯れてしまった枝があったり、苔がだめになって表面がボロボロになってしまったこともあった。
祖父が育てていた頃の写真を見ていると、どれだけ植物のことを勉強して、考えて、丁寧に育てて手を加えていたことか。今ならそれがよくわかる。
実際、実家には祖父が集めた植物の本がたくさんあった。
祖父が実家の庭で、その日剪定する鉢を1つ選んで作業台にのせて、じっくり眺めて少しずつ鋏を入れていた姿を思い出しながら、自分も剪定をしてみる。
全体を見ているだけだと、どこから切ったらいいのかなかなか判断できない。密集した葉をかき分けて、どの枝からそれぞれの葉が出ているのかを観察する。
育って欲しい枝についている葉は残す。
小さすぎる葉はもう育たなそうだから切る。
密集しすぎているところは、どれを切ったら風や陽の光が通るようになるか、いろいろな角度からバランスを見て決める。
そうしてチョキチョキと一周したら、今度は離れて全体を見てみる。
たくさん切ったつもりでも、まだもっさり感が抜けていない。
まだ切れる葉があるかバランスを見ていく。なんだかデッサンをしている感覚に近いなと思った。
1箇所に集中していると、解像度が上がってよく理解できる・どうしたいか判断できるようになるけど、いずれ限界が来る。
そうなったら画面から離れて見る。すると、次にどうしたいかとか、修正するべき場所がわかったりする。
デッサンはそんなに得意ではなかったのだけと、近づいて見ること(焦点を絞って集中すること)と離れて観察することどちらも必要だというのは学んだ。
そんなことを思い出した。
植物にもよるのだろうけど、シノブはかなり生命力がある方だと思う。切りすぎて失敗した、ということにはならないだろう。
その生命力を信じて、どんどん剪定する。
というか、そうしないとどう考えても祖父が育てていた時の見た目にならないとわかった。
ただ、枯れてしまったエリアにやっと新しい枝が伸びてきているので、そのあたりは葉が残っていてもよしとした。
目指すのは、繊細な線香花火のようなイメージなのだけど、おそらく今年は枝が全体に回りきらないので、そうはならない。
今年は枝を育てることにして、来年以降も継続して目指す姿に近づけていきたい。
もう一つ、今年の成長が順調で嬉しいのがムラサキシキブだ。
去年は5月の連休で家を空けた間に、すべての葉っぱが落ちてしまった。
その後、思い切って枝を全部切ったらものすごいはやさでまた枝が伸びてきて、花が咲いて、秋には紫色の実が見られたのだけど。
おそらく花が少なめだったので、本領発揮できていなかったと思う。
ので、今年は枯れないように慎重に様子を見てきた。
思った通り?花の数も多くて、現在は去年よりたくさんの実がついている。
このまま暑い夏を乗り越えて、紫の実を見られますように。
植物を育てるようになって、祖父が元気だった時にもっといろいろ教わっていたら良かったと何度も思う。
でも、直接聞くことができない今だからこそ、植物を通して、当時の祖父についてはじめて気づくことがあったりもする。
あとは植物の生命力にハッとさせられたり、自分の失敗と試行錯誤の中に学びがあったり。
改めて、植物と向き合う時間をもっと持って大切にしたいと思った。
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