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【短編小説】感情コレクション

 その不思議な男に出会ったのは、仕事帰りにふと立ち寄ったバーだった。その男は先客として、カウンターで一人で飲んでいた。歳は自分と同じくらい。三十半ばだろうか。人懐っこそうな表情に、オーダーメイドであろう高級なストライプスーツを身に着けている。黒い皮張りの大きなアタッシュケースを足元に置き、カクテルのグラスを傾けていた。

 バーの客はその男と自分だけ。どちらともなく、会話が始まる。いまどき珍しいその大きなアタッシュケースに興味を魅かれ、

「仕事は何をされているんですか?」

 と質問すると

「感情ハンターをやってます」

 と男は答えた。(感情ハンター?)困惑していると、男は説明を続けた。”喜び”とか”幸せ”といった感情を集めて、人に売る仕事なのだという。

「人の知覚は全て脳で発生します。人の一生とは、脳に刺激を与えること。つまり、感情を味わうためにあるともいえるでしょう。ところが、今の退屈な社会には感情が足りません。現代は、無感情社会とも言えます」

「けど、今の世の中には面白いコンテンツがあふれていますよね。退屈なんてしないのでは?」

「いやいや。漫画とかネットの動画なんかで描かれるのは、”喜怒哀楽”の型にはめた安っぽい感情ばかり。人工の甘味料と着色料で作られた安っぽいお菓子みたいな味しかしないんです。そんなもので人は満足できません。だから、多くの人が本物の感情を求めています。喜んで高いお金を払うんです。感情を味わいつくす。それが人らしく生きるということじゃないでしょうか」

 そして男はアタッシュケースを開いて見せてくれた。中にはジャムの瓶くらいの小さなガラス瓶がびっしりと詰まっている。その一つを取り出しカウンターに置く。

「感情を発散している人にこっそり近寄って、その感情をこのガラス瓶に詰めるんですよ。簡単なことです」

 そして説明を続けた。

「例えば、人気のある感情の一つは”幸せ”です。”幸せ”を手っ取り早く集めるには、なんといっても結婚式ですね。結婚式場のある高級ホテルのロビーに張り込んでいれば極上の”幸せ”を集められますよ。まあ、結婚式では、”嫉妬”も腐るほど手に入るんですけどね」

「”喜び”を集めたいならプロスポーツの試合とかもいいのでは?試合に勝って喜ぶファンがたくさんいますよ」

「いや、だめなんですよ。プロ野球のような、お膳立てされた場で生まれる感情は本物ではないんですよ。他人がやっていることを見て一喜一憂しているだけですからね。その人自身が体験している、本物の感情じゃないとだめなんです」

「なるほど」とうなずく私を見て、男は続ける。

「もう一つ人気の感情は”優越感”。他人を見下す喜びですね。これを手に入れるには、飛行機のファーストクラスなんか乗ると、そりゃもう大漁ですね。ファーストクラスに乗っている人なんてのは、エコノミークラスの客たちを見下すためにお金を払っているようなもんですからね。ねっとりして濃厚な”優越感”が手に入りますよ。私もファーストに乗らないと瓶に集められないので経費は高くつきます。けど、”優越感”は高い値段で売れるので、充分儲かるんですよ」

 私は興味を魅かれて、さらに質問する。

「他にはどんな感情が高く売れるんですか?」

「”歓喜”も高値で売れますね。これは今の世の中では得難い感情ですよ。じゃあこれをどうやって集めるか。これが、意外なことにお通夜やお葬式なんですよ。ほとんどの人は”悲しみ”なんですが、特大の”歓喜”を持った人が必ず一人か二人混ざってるんです。亡くなった相手によっぽど恨みがあったんでしょうね。悲しそうな仮面の下に隠された、暗くて底知れない”歓喜”。最高級品です」

「そうなんですね・・・。」

「”幸せ”とか”優越感”といった分かりやすいものだけでなく、他にも色んな感情のニーズがあります。最近の若者のあいだでは、”エモい”、”ぴえん”なんて、私にはちょっと理解できない感情もありますね。面白いところでは、”恥ずかしさ”とか、”恐怖”といった感情にも一定のニーズがあります」

 そんなマイナスの感情をわざわざ買うなんて。何事にもマニアはいるもんだ。私が感心していると、

「さて」と男はカクテルをグイっと飲み干した。

「私の話にお付き合いくださり、ありがとうございました。これから仕事なのでお先に失礼。恍惚、感傷、期待、失望、嘲り。夜の街は人間らしいドロドロした感情があふれてます。今夜もたくさん集めてきますよ」

 そう言って、男は夜の街に消えていった。
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#ほろ酔い文学 #酔えないシェイク #感情カクテル

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