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大学講義の準備を終えて ~科学至上主義、デカルト主義から相対主義を考える~

 大学での統合医療講義が実に2年ぶりに、通常の「対面」式に戻ります。久々の生での統合医療概論なので、準備をしておりました。
 例年、この準備をして思うことは、いわゆる、科学至上主義、エビデンス至上主義を唯一の真理と信じて、入学後に学習してきた学生に対して、それだけで本当に良いのかというゆさぶりをかける難しさです。いきおい、科学とは何か、医学とは何か、といった哲学的問いを無視することはできません。

 こうした中で、今週はジャングルカフェも開催予定です。こちらはコロナ関連の書籍を読んでいくものなのですが、いわゆる情報が錯そうする中、何を真実とすべきかという問題を考えることになります。
 敵対する考えを即座に排除する風潮の中、分断をすこしでも止めるべく、対話の可能性を議論する予定です。当然、そこでは多元主義がテーマとなるのですが、これがまた、やっかいな概念でもあります。つまり文字通りとらえるといわゆる「相対主義」のようなニュアンスでとらえる方がなんと多いことか。これは、私がよく話題にする四つの主義のうち、じつは折衷主義と表現すべきものなのですが、これが多元ととらえられやすい、つまり間違えやすいということ。
 また多元主義には、ある種の「統合」的な意味合いもあるので、時に統合主義と表現しうる場合もあるし、また統合主義と安易に表現すると、今度はナイーブな意味での善悪二元論に陥りやすくもなる。とにかく概念の混乱が多い領域というわけです。

 こうした中で特に注意すべきは「相対主義」に陥らないということ。これは哲学的な議論においてもとても重要なことではあるのですが、どうすれば良いかとなると、かなりの難問ではあります。この問題に関して最近、モリス・バーマン著『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』を読んで、非常に大きな気づきがありました。

 そこには、最初に書いたような科学的思考、つまりデカルト思考の誕生によって「相対主義」が出現することが繰り返し述べられています。
 つまり錬金術の世界を脱し、科学が誕生する中で、思想においてなにかとんでもない過ちを犯しているのではないかという考察です。
 こうした思想における大きな転換を科学史から解き明かす内容は非常に興味深いものです。この相対主義の出現の問題は、多元主義の根底と不可分なものでもあり、これはまた後日に再度考えることにしましょう。


デカルトからベイトソンへ
――世界の再魔術化 (文春e-book)

モリス・バーマン
文藝春秋
2019-07-25



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