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死ぬってどういうことですか。

Amazonオーディブルで茨木のり子詩集を聴きながら書きます。
「ふん」と鼻で笑えたり、自分に言われているようでなんとも言えない気持ちになったり。
彼女の父との別れの時の詩で喉に詰まるものを感じたり。


・・・・
死って
なんだろうと子供の頃から考えていた。

私は10代の頃親がしていたある宗教を、活発に行なっていた時期がある。

幼稚園の頃、同じクラスだったT君にコンタクトをとりたく彼の家に電話をかけたことがある。
すると彼のお母さんが出た。
「息子はね、バイクで事故を起こし、もういないのよ」
幼稚園の微かな記憶しかないのに、私は彼に会おうとした。
そんな自分が恥ずかしくて情けなくて。
でもお母さんはそんな私を「是非お線香あげに来てちょうだい」と言ってくれた。
一瞬躊躇ったが私は彼の御宅へお邪魔し、仏壇の前で10数年ぶりに彼の顔を見た。
遺影での再会。
クラス一元気者でやんちゃな彼の記憶そのままの笑顔の写真だった。
彼の友達だった幾人かの友達が、たまたま私の中学時代の同級生だったので話が弾んだ。
しばらく話をし、私はその場を後にした。あまりお母さんの顔が見れなかった。

二十代になり、友達たちから風の噂で学生時代の同級生が亡くなったんだよ等何人か聞くことがあった。直接関わりはなかったけれど、そうなんだ・・・という感じで実感はなかった。
6年生の時に私の前に座っていたひろみちゃんという子が亡くなった、と友達から電話があり

お葬式行くけど一緒に行く❓と聞かれたことがある。グループが別だったし、中学も別だったので私は断った。
色白で細くて、足の血管が薄っすら見えて。一度彼女の誕生日に呼ばれサンリオキャラクターの
ノートとペンを持って行ったことがある。
他の子たちはもっと豪華なプレゼントを持ってきていたので、自分が持っていったものが急に恥ずかしくなり、ささっと彼女に渡した。
友達のお母さんたちが何人か来ていて、台所で料理を手伝っていた。
彼女のお母さんをそこでまじまじと見た。とても楽しそうだったな・・・。
中学の体育の授業で突然倒れて、そのまま逝ってしまったらしい。

また、こんなこともあった。
同じ宗教組織にいた近所の方の娘さんが高校のアルバイト帰りに交通事故に遭い、意識不明だと。
私も顔は知っている方だったので、近所の人たちで集まって彼女が回復するよう願った。
神様がもしいるのなら死なせないで・・・そんな思いで必死に願った。
だけど、彼女は死んでしまった。
この時宗教ってなんなんだろう、願うってなんの意味があるの❓と困惑した。
いまだにその答えはわかっていないけれど・・・。

・・・・

私自身も二十代前半うつ病を患い、自殺未遂をなん度もした。
リストカット、オーバードーズ・・・。
胃洗浄するため夜中に運ばれたり、精神病棟に入れられたり・・・。
生きることが辛くて悲しくて。道が全く見えなくて。
死ぬ以外ないって、毎日それだけ。
痩せ細りガリガリで立てなくなって寝るだけで。

でも何やっても死ねなかった。危機に瀕する度にいつも人がいた。手を差し伸べてくれた。

生きてても意味ないじゃんっていつも思っていた。
なんで生きなきゃいけないんだよ、と。周りに刃向かい散々迷惑をかけた。
仏教の教えから死は巡るものという捉え方があって、
魂はずっと消えない、永遠に巡るものと。
死にたいのに、いつも死ぬことを怖がっていた気がします。

今はそれから大分時が経ち、具合も元通りになってきましたが
もし今私の目の前に死にたいという人が現れたら
否定もせず肯定もせずただ「そうなんだね」と受け止めてあげたい。
自分がその言葉を待っていたから。
死ぬのはいけないこと、ダメなこと、そんなの誰もが知っていること。
脳内物質の関係や自律神経の関係が複雑に絡み、更に周辺環境や人間関係も絡んでいる問題に対して私は軽々しく「そんな考えはいけないよ」とは、言えないのです。

砂漠で水を欲するが如く、愛に飢えてる人が多い。この病気はそんな気がしています。
自分で抱えきれなくて、受け止めきれないからいろんな感情が、思いが溢れ出してしまった。
その結果かなと。

自分自身は死への誘いを回避できたから言えることなんだろうけれど、いまだに「死ってなんだろう」そう思います。
その時にならないと、わからないものだとは思うけれども。
父が高齢だったりすることも再考するきっかけになっていることは確かで。

「その時」になってみないとわからないけれど、その時がくるまで、私は考えることを続けたいです。
先に逝ってしまった人たちは、私にとってなくてはならない人たちでした。
声や言葉って、いつまでも心に残りますね。
いつでも会うことができます。
最初こそ寂しさはあったけれど、今はいつでも会えると思い心で会話しています。
でも関係が近ければ近いほど心はどうなっちゃうのかな・・・・と恐れに似た感情もあったりします。

息子が「お母さん死なないで」とたまに言います^^;
年齢からすると○君よりお母さんの方が先に死ぬね。。。
先に行って待っているから、人生楽しんでね❗️というと(どんな会話だ)「うん、わかった❗️三途の川の先で待っていてね」という息子^^;
人生は苦しむためにあるんじゃない。
「衆生所遊楽」この世は遊び愉しむ所・・・。
苦しみさえも「善き哉」と悠々と泳ぐように生きる。

まだその境地には達してないですけれど(^^;;
寿命は誰にもわからないけれど、命ある限り私は愉しみをたくさん見つけて
楽しみたいと思います。
まとまりなくてごめんなさい。
そして重苦しい内容でごめんなさい。🙇



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