第101椀 高遠そばのからつゆ
初出:2022年9月7日
<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから
テーマ:お味噌諸国漫遊
「高遠(たかとう)そばのからつゆ」
毎月記事を書かせていただき100椀を越えたところで、今月から隔月で、お味噌「汁」にはこだわらず「お味噌諸国漫遊」として、各地のお味噌文化について紀行文的に深掘りしてみたいと思います。これからもまた楽しんでいただけましたら幸いです。
「からつゆ」というのは、長野県伊那市高遠町の「高遠そば」のつけ汁のことです。この「高遠そば」と会津藩主保科正之公にまつわる歴史の話が実に面白いので、少し長くなりますがお付き合いくださいませ。
保科正之は、徳川2代将軍秀忠の庶子として生まれました。つまり、家康の孫で、3代将軍家光の腹違いの弟ということですが、秀忠は正室の嫉妬をおそれ、その存在は側近のごくわずかしか知らない事実だったそうです。正之は武田信玄の次女である見性院のもとに預けられ、その後6歳で信州高遠3万石の藩主保科家の養子に入り、21歳で藩主となりました。
秀忠亡き後3代将軍となった兄家光は、正之を正式に弟と披露することはありませんでしたが、ことのほか信頼して政務へも参加させ、勲位も与え別格として扱っていたそうです。ゆえに3万石では役職と釣り合いが取れないため、25歳で出羽国山形藩20万石を拝領、32歳で陸奥国会津藩23万石を拝領。と、大大出世し、家光亡き後、まだ幼い4代将軍家綱の後見役を務め幕府を支える重鎮として名を馳せます。
話は「そば」に振りますが、正之の生まれた江戸初期には、うどんを真似た「そば切り」が食べられ始めていた頃でした。しかし現代のような醤油のつゆはまだなく、梅干しと鰹を加えて煮切った酒「煎酒(いりざけ)」という調味料だったり、味噌を3倍ほどに薄めて煮込んで、袋で吊るして濾した「たれ味噌」に、鰹を加えて煮て作る「煮ぬき汁」とよばれるつゆだったり、大根の絞り汁に味噌を加えたつゆなどで食べられていたそうです。
信州高遠では、辛味大根と焼き味噌をお湯で溶いた「からつゆ」で食べる習慣があったそうです。同じように北信では、辛味大根を絞った「おしぼり」と呼ばれるしぼり汁に味噌を溶かして薬味を加えていただく、「おしぼりうどん」や「おしぼりそば」があり、現在でも食べられています。
正之は、この「からつゆ」で食べる「そば切り」がことのほか好物だったそうで、山形、会津と転封する際に、百姓や職人も一緒に連れて、そばや辛味大根の栽培から食べ方まで伝えたと言います。会津では正之の最初の知行地にちなんで「高遠そば」と呼ばれ、300年たった今でもそう呼ばれているそうです。
そして本家信州高遠町では、「からつゆ」の食べ方は山間部の家庭で細々と伝えられていたそうですが、「からつゆ」で提供しているそば屋はありませんでした。これが平成9年に高遠町民が会津若松市に訪れたときに、「高遠そば」なるそばがあることを知り、これを機に高遠町でも「からつゆ」で提供するお店ができたのだという話です。なるほど~。逆輸入と言いますか、なんと言いますか、これは面白い。
今回は自宅でこの「からつゆ」を作ってみたいと思います。
まず、煮干しでも鰹でも昆布でもお好みの出汁をとっておきます。(出汁でなくてもそば湯でもいけます)
しゃもじに味噌を塗って、直火で焼きます。アルミホイルに薄く広げてトースターで焼いてもいいですね。軽く焦げ目がついたら、すり鉢に入れ、軽くあたってなめらかにしておきます。
辛味大根(なければ普通の大根のしっぽの辛い方)をすりおろします。これを絞った汁がいわゆる「おしぼり」ですが、家庭なら大根おろし全部使っちゃいましょう。
焼き味噌と、大根おろしを一緒にすり鉢であたるのが本来のようですが、家庭なら出汁(そば湯)、味噌、大根おろしを別々に、各自好みで加減して食べるのが楽しいと思います。
味噌と大根おろしを混ぜたら、味噌の酵素の力で大根の辛味が薄れていきますので、辛いのが好きな人は、混ぜたらすぐさま食べましょう。逆に辛いのが苦手な人は、あらかじめ混ぜ合わせておくと辛みが抜けますよ。
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写真は、十割そばの乾麺の茹で方が下手でぶつ切れになってしまっているのはご愛嬌で、、、。でも十割だとそば湯がおいしいんですよねー。
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『からつゆ』
出汁:煮干し
薬味:辛味大根
味噌:手前味噌
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