第13椀 彦左衛門の勝男味噌汁
初出:2015年6月8日
<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから
テーマ:戦国武将と味噌シリーズその5
「彦左衛門の勝男味噌汁」
お戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという「戦国武将と味噌」シリーズ5回目です。
大久保忠教(通称彦左衛門)は、三河の岡崎に生まれて徳川家康の側近として、関ヶ原の戦でも本陣で槍奉行を務め活躍しました。家康亡き後も、秀忠、家光の三将軍に仕え「天下のご意見番」といわれた武将で、当時としてはめずらしく80歳という長寿だったそうです。これ実は大好物の鰹節のおかげだったと、よくいろんなところで書かれています。
子孫のために執筆したと言われる『三河物語』のなかでは、「鰹節の上皮を削って帯にはさみ、戦の前やひもじいときに噛めばことのほか力になる」と記してあるそうで、当時鰹節は戦闘食として重宝されていたことがわかります。また「かつおぶし→勝つ男武士」という縁起をかついでいたとも言われていますね。ただ戦国時代では、現代のようにしっかりと燻製された「荒節」や、カビを付けてより水分を抜きながらカチカチにした「本節、枯節」というものはまだ存在していなかったようで、当時は鰹を三枚におろして茹でたもの(なまり節)を、囲炉裏の上などに吊るしておいて自然に焙乾させたものだったようです。
戦場では、刀で削った鰹節と味噌をお椀に入れて、熱湯を注いだだけの即席味噌汁がよく飲まれていたということですが、実はこのお味噌汁、沖縄で「かちゅーゆ(鰹湯)」と言われるものが全く同じでして、今でもよく飲まれているそう。きっと暑くて台所に立ちたくない~…というこれからの季節でも、おいしいお味噌汁がいただけるという知恵ですね。あまりにも簡単すぎるお味噌汁ですが、これまた大久保彦左衛門と徳川家康が、陣中で語らいながら飲んでいたんだなぁと思うと、一杯のお味噌汁でも歴史ロマンを感じてしまいます。
今回は「なまり節」で作ってみました。水を張った鍋に、ざくざくっと切ったなまり節を入れて、沸騰したところへ味噌を溶き入れてみました。また、このところの暑さで少々バテ気味でしたので、きっと昔も疲れたときはそうしていたんじゃないかなぁと想像して、梅干とゴマを合わせてみました。思ったとおりバッチリ元気出ました!生臭さが気になる方はおろしショウガやネギなどの薬味を加えてみてもいいですね。
***
「彦左衛門の勝男味噌汁」
出汁、具材:なまり節
吸口:梅干、ゴマ
味噌:手前味噌(米麦混合麹)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?