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不妊治療、いつやめようかな

共感されない痛みに耐えて2週間。もはや副作用で胃腸炎になっていることよりも、副作用で胃腸炎になる人が少なすぎることの方が辛い。

本当は健康体なのに、薬で害される食生活、QOL。平日は休みたくもない仕事を休み、休日も痛みに耐えながら横になり終日過ごす、この虚しさ。服用薬で胃腸炎になる人はほぼいないようで、ネットの海に仲間を探すこともできない。

ちなみに、痛みに耐えても卵胞は育たない。2週間(D14)で7㎜程度。
「全然育ってないですね」と苦笑いする医師を傍目に、そうですかと乾いた返事をした。まあ、そうだろう。別に何の感情もわかなかった。なんの期待も無かった分、知っていることを言われて、そうですねと返事しただけ、それだけに感じた。
薬の副作用の可能性は低いですが、と言いながらパソコンをたたく。私の話は大してメモられていなそうに見えた。話すだけ無駄に感じるが、一応胃腸炎の経緯や、飲み始めた薬を提示した。ぱっと見て、また画面に目を戻した。何かを記したか、記していないか。4文字程度の指の動きをしていた。


悲しいとか辛いとか、明確に名前の付く感情はない。ただ、自分の人生を考えていた。自分の心を読み取ろうとした。出てきた気持ちは、「若い大事な時間を、無駄に生きたくない。治療に費やしたくない」。
未来のことなんか何も考えていない意見だった。でも本音だった。後悔したくないとか、老後に寂しいんじゃないかとか、夫に申し訳ないとか、そういう未来を憂いた感情は全然なくて、ただ、「痛いのは嫌だ」「私はもっと自分を大事にしたい」「子供のために生きたいなんて思ったことは一度もない」そんな声ばかり聞こえた。私の心は、未来でなく「今」を生きていて、「今」を最も幸せに生きることに対して貪欲だった。


身体を壊してまで何かを選択することは、間違っていると感じた。心を長期間にわたって苦しめることは、私の生き方ではないと明確に言い切れるほど、そこに関しては価値観が固まっていることに気づいた。

#蛇足だが、私は仕事が原因で鬱になり休職していたことがある。その時は文字通り死ぬかと思ったが、幸い回復して今がある。それが自分のターニングポイントになっているのは間違いない。



うちに新しい人間が来ないということは、来る必要がないということ。私には他にすべきことがあるということ。同時に、夫もそうであること。そのくらい割り切って新しいスタートを切って生きていく方が、よっぽど豊かで、自分たちオリジナルの人生が描ける気がした。
夫にそのまま伝えた。本当にそのまま伝えた。しばらく聞いてから、楽しそうにそうだねと笑っていた。子供がいるときっと楽しいけど、僕はあなたと生きていくのが幸せだから、自分たちの力が及ばないところでくよくよするのは無駄だよね。と笑った。同じ気持ちだよ、と抱きしめる彼を、私も抱きしめた。涙が出た。


期限を決めよう。どこかで区切りをつけて、人生の再スタートをしよう。
20代だが、体外受精をするのはMAX6回まで。その間、耐えがたい身体的苦痛が発生して、治療の継続が難しい場合は、その時点で終了とする。そのくらいでいったんはいいだろう。自分で自分の人生をハンドルして、生きていくことはできる。自分で望めば。

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