素敵な日を過ごすと、1日を大事にしたくなる
夫が出張から帰ってきた。私は夫にぺったりなタイプの妻なので、夫がいない日は生き方のテンポがずれて体調まで悪くなる。夜遅くまで起きて何か食べていたり、朝胃が重くて夜まで何も食べずに寝て過ごしたり。20代後半で若くはないので、ダイレクトに倦怠感や憂鬱につながっていた。
怠い目元をこすりながら、夫がいなくなったらどうなるんだろう、とちょっと怖くなる。とはいえ私は自分が思っているよりも図太いし(思いつめるがどこかで浮上できる)、そもそも人間慣れるので夫が去ったとしても数年すれば自分ひとりの生活リズムを取り戻すのだろう。今の体たらくでは、そんなこととても想像できないけれど。何はともあれ、もしもを考えても仕方ない。
品川で待ち合わせて、お台場の海辺へ向かう。日差しはすっかり夏模様で、青い空と入道雲のコントラストが美しかった。遠くに横長に広がるビル群は薄いグレーの青に染まっていて、都会の夏を感じさせる。時折吹き抜ける潮風が心地よい。
お気に入りのキャミソールとスカートはそんな海にぴったりで、我ながら気持ちのいい服を着ていると自信に満ちていた。夫はそんな私に何も言わなかったが、にこにことご機嫌そうだった。日陰でも汗ばむ暑さだった。手はずっと握ったまま帰宅した。
素敵な日だった。この人に出会えて、この人と時間を過ごせる人生を歩めていて本当に幸せだなと思った。そのまま伝えると、僕もだよと笑う顔がまた可愛くて、愛おしいなと感じた。出会った時こそ彼からのアプローチだったが、今は同じくらい、むしろ私の方が?大切に想っている。
優しい1日が終わる。あと何回こんな日を過ごせるのだろう。高校の夏も、同じようなことを考えていた。きっと大人になってから、この景色を見て切なくなるのだろうなと。その通りで、今でも高校生をみると、眩しくて心がきゅっとする。だからきっと、愛にあふれた今日の日も、ずっと先で振り返るんだろう。
時間は不可逆で戻らない。しかも必ず、いつか絶対に死ぬ。
1日1日が最後の日で、当たり前だけど、大事な人生だ。私だけじゃなくて、今生きてる人たちがみんな各々の大切な日々を重ねているのかと思うと、生きることや生命の尊さに敬服せずにいられない。
宝物の日々を、出来るだけ噛みしめて生きたい。この世で生まれて、心を震わせて、言葉を紡ぐ。今日は、人という体を借りて人生を歩むギフトを受け取っているとさえ感じられた。
そんな私の命が終わる日は、きっと人生のギフトを全てもらい切って、生命の輪の一部として世界に体を還す時なのだろう。まだ遠い先の話で、どうなることやら全く分からないことだが。
とにもかくにも、その時までは、人として、良くも悪くも毎日沢山騒いで、一つ一つ感じ取れたらいいなと思う。
おわり
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