14日目
お久しぶりです。
覚えてますか?
始めます。
私は今、お風呂の中です。
美容と健康に気を遣い半身浴に勤しんでおります。
というのも、家にいることが多くあまり運動することも減ってしまったので、半身浴で汗と疲れを取っております。
お風呂の電気は消してます。
そうすると、浴室リモコン的なやつの明かりで
青っぽくなって、落ち着くんです。
それでお笑いを観る。
最近ハマってます。
なんか疲れやすいですよね。やだね。
今日は長いです。
あと私の思い出話なんで、つまんないと思います。
特に内容もないです。
思ったことを書きます。
もしよかったら、ぜひ。
最近、ふと高校生の頃を思い出しました。
なので今日は、私の高校の時のお話です。
まあ1、2年前の話ですが。
私は中学生の頃、勉強はできる方でした。
いや高校の話じゃねえのか。
まあまあ聞いてよ。
私は中学生の頃、勉強はできる方でした。
しかし、1つレベルの下の高校に行きました。
なんだって近いから。
昔から早起きが苦手な私は、
小学生の頃からギリギリの時間に家を出て、
走って学校に行っていました。
なので近いところなんです。
徒歩3分。
走ったら1分。
近いっていいね。
まあ近くなっても早く起きることはなく、
またギリギリに家を出て走って行ってました。
小学生の頃から10年以上、
毎朝走って登校してたんだよ。
すごくない?
でも足が速いわけでも、
体力があるわけでもないの
なんかあって欲しかったよね。残念。
近いってのもあって、同じ中学の友達がいっぱいいましたね。
(小、中、高、全部近いんですよ)
帰り道なんてみんなすぐ終わっちゃうから
近くの公園でずっと遊んでましたね。
水風船したり、バトスピしたり、野球やったり、遊戯王したり、逆再生動画撮ったり。
部活に入らずバイトしてたので、暇なことが多かったです。
でも中学の友人の中で1人だけ、部活に入ったやつがいました。
彼は入学前まで、
「サッカーは中学まででいいかな」
とか
「バレーやりたいんだよね」
とずっと言ってたので私もてっきりサッカー辞めるんだと思ってました。
しかし、小学生の頃からずっとめちゃくちゃ上手かった彼は、親と話し合った結果
彼の入部届にはサッカー部と書かれてありました。
私は1年生の時、
彼と同じクラスだったのですが、
最初は少し嫌そうでした。
あまり仲の良い人がいないのも相まってか。
それでも彼は3年間しっかりとやり遂げ、
最後の試合では涙流してた。
ような気がします。
たまに彼が言ってたんです。
「部活してなかったら何してたんかな」って。
それを聞いた時はちょっと虚しいというか、寂しくなりました。
高2の時、同じクラスのタニと
そいつの友達でまだ私があんまり喋ったことないヘロムの3人でカラオケに行きました。
タニいわくヘロムは歌声良いらしいのですよ。
それを聞いた私ははもう海外のオーディション番組の審査員みたいになってました。
そして彼が入れた曲は「葛飾ラプソディー」。アニメ両さんの主題歌ですね。
結論、もう惚れました。
私の中でスタンディングオベーションの嵐です。
彼はスーザン・ボイルだったんですね。
私から3つのイエスをあげます。
そして彼が「ソラニン」を歌った時に、
文化祭でやろうと誘いました。
彼はギターもやっていたのです。
すごいなって。サッカー部なんすよ。
なんでも出来んじゃん。すごいなって。
3年の最後の文化祭に向けて練習しました。
メンバーは私がギター。
ベースは私の親友がやってくれます。
私とそいつが親友になったのはよくわからないです。
中学の時3年間同じクラスだったんですが、
しっかり喋ったののは3年の時が初めて。
音楽の趣味がおんなじで、好きなバンドが同じだったこととかで盛り上がった気がする。
夏休み、当時スマホなんてないから家の電話で呼び出し、呼び出され、
マックに2人で行って特に会話せずに暗くなったら帰るってのをずっとやってましたね。
はたからみたら老夫婦。
そいつとは高校の頃からずっと今も同じバイト先なんです。
私は今日バイト辞めます。
まあ、そんなやつがベースで。
ドラムは、私が1年の時の1番最初の隣の席のやつです。
ドラムやってって言ったら
いいよって。
ボーカルギターにヘロムで4人でやってました。
しかし、ここで問題が。
サッカー部の試合と文化祭の日が被ってしまいました。
ヘロムは文化祭に出ることは出来ず、その日の試合で引退だったかな。
私たちはヘロムなしで、ボーカルを私とベース
で分けてスリーピースで終えました。
もうすぐ秋も終わる。木の葉はあと少しで全て落ちるという頃。
私のヘロムとバンドがやりたいという思いは消えずに残ったまま。
ヘロムも部活が終わり何をすれば良いかわからなくなっていました。
そんなヘロムをまた私はバンドに誘いました。
「卒業ライブをやろう」
彼は引き受けてくれました。
しかしまたも問題が。
文化祭のメンバーでやりたかったのですが、私とヘロム以外の2人の進路が大学で受験を控えていたのです。
私たちは専門学校なので、早々に合格しましたが、彼らはこれから。
勉強の邪魔はできない。
新しいメンバーを探さなきゃ。
そんなこと言ってもこの時期に暇なやつなんているわけないと声を合わせた時、目の前にとても暇そうな顔に暇そうなホクロをつけたやつがいました。
「いるじゃん!!」
またも声を合わせてしまった。
「おい!ゾノ!暇か!?」
「え、なに、暇だよ」
「1つ聞いていい?ゾノベース弾ける?」
「弾けないよ」
「うん、まあ、そうだよなぁ」
「でもウチにはあるから、弾けって言われたら弾くよ?」
「ゾノ!弾けぇぇえええ!!」
ということでゾノが仲間になった。
あとはドラム。
ドラムなんて経験者じゃなきゃ俺たち初心者をまとめてくれない。
私にはアテがあった。
それは文化祭で私たちの次に出ていた、後輩のバンドのドラムの女子。
後輩の子に連絡先もらって、その子をいきなりバンドに誘った。
だいぶ引かれたと思う。
後日、直接会って話して、ドラムを叩いてもらうことになった。
この集まった4人で、いろいろ考えて、
いっぱい練習して、大トリで卒業ライブを終えた。
卒業ライブにはサッカー部に入った私の友人も出たんです。
私がアコギを弾いて、彼が歌って。彼も歌上手いんですよ。ずっちーな。
全部終わったんです。
部活も、勉強も、バンドも、高校も。
そして、新しく生活が始まりました。
でも、私たちはまたバンドがしたくなった。
まだバンドがしたくなった。
ヘロムは
「バンドは1年やる。
1年で何か見えてきたら続ける。
何も見えなかったらきっぱり辞める。」
という約束でバンドを再結成しました。
それが梅modokiです。
1番最初のライブから全部オリジナルでずっとやってきました。
曲はヘロムとゾノが作ってくれてました。
バンドっていうと熱苦しいのを想像する人が多いと思いますが、私たちはそうではなかった。
すごくオシャレで、ちょっぴり変わった感じ。
自分で言うもんではないね。
でもすごいよかった。
梅modoki、解散します。
全て上手くいくものではない。
もっと上手くできたと思う。
その時はわからないけど、
今ならわかることがある。
大人になったんだな。
まだばかだったんだな。
青春とはあとで見返した思い出につける名前。
その時には青春だなんて思わない。
こんなことよく言われてますよね。
そういうもんなのかな。
そういうもんなんだろう。
誰しも思い当たる節があるから、
あの頃はよかったって言っちゃうんだろう。
あの頃はよかった。
あの頃がよかった。
口にはしないけど思ってしまった。
ずっとその言葉が嫌いだった。
今が楽しくないなら、楽しくすればいいのに。
そんな簡単じゃない。
とうとう俺も分かっちゃったよ。
こういう時に人は言うんだね。
子供だったなあ。
1つ違うと言うなら
ほろ酔いで学生時代を語る大人と
1つ違うと言うのなら
私は未来に期待をしている
過去を嘆き、未来を謳え。
私は今もずっとワクワクしている。
やる事もやりたい事も山ほどある。
未来は良いもんだ。
解散って言っても、また40代か50代になってやろうっていうかもしれないし、
誰かの結婚式の催し物としてやるかもしれないし、
それは今はわからないけど、
今からそういう未来に行くことはできるよね。
楽しみだね。
いい思い出ばかりではないけど、
振り返ってみるのって大切な事だと思う。
何か忘れてることはない?
見失ったモノはない?
誰かの人生経験談を聞くのもいいけど
自分の生きてきた人生から教えてもらうこともあると思うよ。
高校の思い出から今に至るまで一部でしたが、
最後までちゃんと読んだ人はいたのでしょうか。
別にいいんだけどね。
俺の記録的なモノだし。
別にさ。
別にいいんだけどね。
高校の思い出のところに恋話が無かったということは察していただきたい。
湯船つかりすぎて足ふやけちゃったよ。
もう風呂出ますわ。
今日ここまで。
では、また。
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