見出し画像

二〇二〇年頃より秋田に居た頃に関わった人間からストーカー被害を受け、二〇二三年の夏時期、遂に勤務先にまで嫌がらせをされる事態となり、少しく心身共に疲弊した為に仕事を辞めた。
二〇一六年より外資系企業に勤務している事もあり、元より終身雇用など期待していないので、退職する事に関しては特段の抵抗がなかったのであるが、かような形で会社を去る事になった事に関しては流石に不本意であった。無論、会社には一身上の都合での退職としか伝えてはいないが、彼らに付きまとわれて以降、仕事の能率が低下した事で、上司や同僚等からは多少不審がられてもいる。この雪辱を果たすべく、どうにかして犯人を捕まえ、司法の場で裁きたいと思ってもいるが、往々にしてこのようなケースでは実行犯は分かっても、首謀者は見つからぬもので非常に始末に困る。
退職後、いくつかの企業に履歴書を送り、採用面接を受けるなどしていたが、ウクライナ戦争の煽りを受けた欧米の不況の影響もあってか、色の良い返事がなかなか来ない状況である為、読書や思索に耽る日々を送っている。この所、不思議と頭に浮かぶのは、生まれ故郷で遭遇した誤認・誤解に纏わる珍事件である。高校の時分、同期生や教職員から、県会議員を勤めた人の孫と誤解され、金持ちの倅だのなんだのと囃される事があった。誤解された理由としては、別段当時の私の振る舞いが政治家然としていたというような話ではなく、単に本籍のある地域に同姓の議員がいただけの話であり、そうした事を言われる度、祖父の名を出し、そこは他所の家であり私には何にも関係がなく、自分は一介の零細農家の倅に過ぎないと否定したものの、どういう訳か、秋田を出て数年経って帰省した際、似たような話をかつての同期生連中より何度もされるようになり、その内、流石にうんざりして、自ずと故郷への足が遠のくようになった。私にとって何の関係もない話を何遍されても、何をか言わん、と返答せざるを得ない。まして、私の家にさえ関係のある話ではない。
しかしながら、かような珍事に巻き込まれる内、ひょっとすると、かの議員の家と何か関係があるのではないかと思うようになり、二〇二〇年の秋に市役所に問い合わせをして実家の戸籍を全て取り寄せたのであるが、蓋を開けてみると、案の定というのか、私の家は明治二〇年代末に分家した極めて新しい家であり、初代以降の血脈を全て調べたが、件の家とは何らの血縁もない事が判明し、田舎者の根拠のない噂話に何年間も巻き込まれた事に苦笑すると共に、ほっと安堵した次第である。
私が幼少の頃までは、かつての本家との付き合いが少なからずあったものの、二十一世紀の現在において、かつて本家であった家との関係は断絶しており、コロナ後は親戚付き合い自体が消失している。冠婚葬祭の需要が以前に比べて激減して久しいが、令和時代を迎えてようやく、日本も、家なる軛から逃れ、個人主義の世に入ったと実感している。
東京に移住した後も、時折、家という単位で物を考える方に出くわすが、こちらとしては、江戸時代の人間とまでは言わずとも、まるで、明治憲法下で暮らす臣民と応対をしているような、奇妙な気分とならざるを得ない。思うに、現下、先祖代々継承してきた家なるものが重大なる意味を持つのは、私の知る限り、名字のないあの方々だけである。千代田城の周辺を歩き回る度、彼らのような家ではなく、一般市民に生まれて本当に良かったとつくづく思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?