専門職の条件 ─ 「日本語教師」?or「日本語教育者」!?(20211006)

 taeko nさんが、Twitterで、ブログサイトの記事「自分たちの仕事の未来は、自分たちで決めていくほかはない!? ─ どんな条件でいかに働けるか」は「闘いの歴史」なのである」「http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/13398 を紹介しています。(taeko nさん、ありがと。) 同記事では、どんな専門職でも「最初から「専門職」として認知された職業はありません」と指摘して、専門職の条件を以下のようにまとめています。

■専門職の条件(江尻 1968)
 1.高い知識と技術を基盤にもつ
 2.高度な教育訓練
 3.社会的責任感と職業的使命感
 4.倫理基準や綱領
 5.職業団体の組織化と職業的水準の維持・向上
 6.資格要件を定め、これを検定する制度

 わたし自身は、多くの人がイメージする、授業を実施する「日本語教師」では、このような専門職になり得ないと思います。1−4を備えていて、さまざまな教育的な「ご注文」を適正に「解釈」して具体的な教育企画をして、適当な教材(取りあえずは、既存の教材の中から!)選定し補助的な教材も準備して、チームを組織してその教育を有効に運営・実施するということができる、「日本語教師」よりも仕事と責任範囲が広範な「日本語教育者」ならまあこのような専門職になれるかなあ。しかし、本当に、現状で、「専門職」に行けるかなあ…。

(1) 本当に専門職にふさわしい教育企画ができるかなあ!?
(2) (1)にも関連して、「取りあえずは、既存の教材の中から!」が問題では。既存の教材は「さまざまな教育的な「ご注文」を適正に「解釈」して具体的な教育企画を」になっているかなあ!?
(3) 「日本語教育者」の専門性の基盤となる日本語教育学は、専門職にふさわしい学(その範囲と各分野の質と「関連性」)をすでに蓄積しているか? つまり、根本的な1に関わる課題!)
(4) 専門的な知識と技量の前に、一般的な高度な教養も必要。

 これまで大学、特に研究を重視している大学などというところにいて、他分野の優れた研究者と接してきた人間としては、(3)と(4)がとても心許ない気がします。
 まあ、ぼちぼちやるしかありませんが。

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